スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

サンケイスポーツ盃優駿スプリント&ローンの確信

2015-06-23 20:46:54 | 地方競馬
 優勝馬には習志野きらっとスプリントの優先出走権が与えられる第5回優駿スプリント
 コンドルダンスが出遅れ。すっとハナを奪ったのはルックスザットキル。アクティフ,コールサインゼロ,エイシンアクロンの3頭が追走。ハーモニーウィル,メガンテ,ゴーノムラダイオー,ラガッソ,ジャジャウマナラシの5頭が集団,モリデンシーザーが単独でその後ろ。少し差があってカリエンとフィールドスラッピ。後方にキモンダッシュ,コスモグリズリー,アヴァンシア,コンドルダンスの4頭。前半の600mは34秒7のハイペース。
 3コーナーを回るとルックスザットキル,アクティフ,コールサインゼロが雁行で4番手以降との差が開きました。直線に入るとコールサインゼロは脱落。ルックスザットキルがよい手応えで徐々にアクティフとの差を広げ,3馬身差で逃げ切って優勝。アクティフも2着は楽に確保。出遅れての最後尾から内を回って追い込んだコンドルダンスが2馬身半差で3着。
 優勝したルックスザットキルはここまで9戦5勝。前々走まで1200mでは無敗でしたが,前走のトライアルは大敗していました。ただスピード能力が上位であることは疑い得ず,うまくコントロールできればまず勝ち負けと目された馬。今日は変に行きたがらなかったので快勝に。これまでで一番いい内容のレースをしたのではないかと思います。折り合えるならスプリント戦ではかなり上の方までいかれる馬だと思います。JRAの尾関調教師が2月にモトリー・クルーのファイナルツアーをさいたまスーパーアリーナに観に行ったけれども途中からになり,Looks That Killから参加することができたと記事にされていました。僕はバンドのことは何も分かりませんが,その曲を馬名にしたものでしょうか。
 騎乗した大井の早田功駿騎手,管理している大井の中村護調教師は南関東重賞初勝利。

 ジャン・ルイの手紙の中で,メナセ・ベン・イスラエルによってバルーフと呼ばれている少年がスピノザであると考えて構わないと僕が考える理由は,別のところにあります。
                         
 これは『スピノザの生涯と精神』の中に訳出されたものですから,その部分の内容は,あたかもバルーフ少年が主人公であるかのようになっています。でもルイは,バルーフ少年のことを伝えるという目的でファン・ローンに手紙を送ったのではないと僕は考えます。むしろルイの主目的は,メナセが何を考え,何を計画し,何を実行しようとしているかを伝えるためであったと思うのです。というのは,その部分の内容というのが,ローンがアメリカに旅立つ前に,レンブラント邸で,ローンがメナセにもアメリカ行きを誘ったときのメナセの答えとリンクしているからです。ルイがその場にいたかは不明ですが,ローンがその答えに関してどう考えていたのかは概ね理解していて,それと関係する事柄をローンに伝えようとしたと理解するのが,訳出されている部分から考える限り,最も妥当であると僕は考えます。
 ローンはこの後,すなわち帰国後もメナセに会っています。何よりメナセはレンブラントの親しい知人でしたから,「レンブラントの生涯と時代」というタイトルの手記にこの手紙をそのまま掲載したとしても不思議ではありません。しかしもしも手紙の内容に疑いがあれば,おそらくそうしなかったでしょう。つまりローンはバルーフ少年がスピノザであると確信していたのです。それは手記の別の部分で,ルイから受け取った手紙にあったスピノザといわれていることから明白です。
 ローンとスピノザは親しかったのですから,ローンには何らかの確信の根拠があった筈です。後にスピノザ自身に確認したかもしれません。またそうでなくても,この手紙にはスピノザの瞳に関する記述が二箇所あり,そのうちのひとつでは,バルーフ少年の瞳はルイが見ただれよりも黒かったとされています。こうした記述から,実際にスピノザを知っていたローンが,これは間違いなくスピノザであると確信したかもしれません。なので手紙のバルーフはスピノザだと僕は判断します。
コメント
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