スピノザの『エチカ』と趣味のブログ

スピノザの『エチカ』について僕が考えていることと,趣味である将棋・競馬・競輪などについて綴るブログです。

スピノザと啓蒙思想&バルーフ

2015-06-22 19:13:59 | 哲学
 『スピノザの方法』を読んで,僕はもしかしたら重要であるかもしれないひとつのことに気付きました。それは,スピノザ主義といわゆる啓蒙思想との間には,ある乖離があるということです。
                         
 啓蒙思想をどのように定義すべきかは難しいところがあります。ここでは,自分が獲得した真理を他人に教えることを重視する思想について,それは啓蒙思想であるといっておきます。そしてこの思想を啓蒙思想と定義する限り,スピノザ主義は啓蒙思想ではあり得ないと僕は考えるようになったのです。
 AがBであるということが真理であるとしましょう。もし啓蒙思想家がこれを他者に教えようとする場合,単にAがBであるということを教えただけでは十分ではありません。これは逆に考えれば明白です。なぜならもしこれで十分であるとするなら,人は他人から聞いた事柄がすべて真であると認識するということを前提しなければなりません。これでは偽であることも真であると認識するかもしれませんし,少なくとも不確実であることを真であると認識しなければならないことになります。
 他人の方がAがBであるということを真に認識するとは,その人間がなぜAがBであるかということを理解するということです。したがって啓蒙思想家はこれを教えなければなりません。ところがスピノザ主義では,一般に真理獲得の方法はありません。ですからその他人に対して、AがBであるということを説得力のある方法で説明できたとしても,なぜそれが真理であるかということは教えられません。それがなぜ真理であるのかということは,説明される側の精神ないしは知性に依存することになるからです。
 この種の啓蒙思想が成立するためには,一般的に真理を獲得する方法を,人は他人に教えるということが可能であると前提しておかなければならないのです。ところが,一般的に真理を獲得する方法を知るということは,真理を獲得するのと同時に,またそれによって初めて獲得されるものです。つまり,一般に真理を獲得する方法を,真理獲得以前に教えることはできません。よって個別の真理を教えるために,教える相手の精神のうちの真理の観念に依存しなければならないのです。

 ジャン・ルイの手紙で最も問題としなければならないのは,訳出部分の中身で中心的に語られている少年が,スピノザであると断定できるのかという点だと思います。
 手紙自体のテクストからそれを示すのは,一部分だけです。それはメナセがこの少年のことを「バルーフ」と呼んでいる部分です。たぶんルイがバルーフ少年と会ったのはこのときが初めてであったと思われます。手紙にはこの少年の姓が何であったかは知らなかったと書いてあります。
 奇妙ないい方に聞こえるかもしれませんが,スピノザにはみっつの名前があります。名前自体が意味をもっていて,それが言語別に訳されているからです。喩えていうならタイガー・ウッズを森寅雄と日本語に訳してしまうようなものといえるでしょうか。
 スピノザが産まれたとき,命名された名前はベントーでした。これはポルトガル語です。スピノザの父はポルトガルからオランダに逃れてきましたから,ポルトガル語で命名されるのが自然であったのでしょう。祝福された者,という意味があるようです。
 スピノザがユダヤ教の学校に通うようになると,それがヘブライ語に訳されます。その名前がこの手紙にも出ているバルーフです。つまり祝福された者という意味を有するヘブライ語がバルーフです。
 後にスピノザは自身で同じ意味のラテン語名を名乗ります。それがベネディクトゥスです。スピノザが生存中に発刊された二冊のうち,『デカルトの哲学原理』では実名を明かしていて,ベネディクトゥスが用いられています。
 メナセ・ベン・イスラエルが私塾を開講していたと仮定して,そこで教えられるのは当然ながらユダヤ教神学に関連する事柄です。ですからこの場ではヘブライ語が用いられるのが自然で,スピノザがヘブライ語名のバルーフと呼ばれたという記述には信憑性があります。バルーフという名前を有するユダヤ人がスピノザだけであったとは断定できないでしょうが,有力な証拠となり得るのは否定できないでしょう。
 教師が生徒を名前で呼ぶのは,日本人的感覚では違和感があります。ですが僕はそのこと自体には取り立てて意味はないと考えています。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする