原爆記念日、今、一分間の黙祷をしたところです。
私は戦後生まれですが、小学生の時、学校で見せられた原爆の記録映画(たぶん『原爆の子』)に受けたショック(数日間、悲惨なシーンが脳裏を離れず、どうしようもなく憂うつでした)が、私の公的仕事すべての原点です。
みなさんと同じく、「二度とこんなことはあってほしくない」という思いを原点に、しかしそれだけでなく「どうしたら、二度とこんなことが起こらないようにできるのか」と考え続けてきました。
ようやく、その原理と方向性だけはつかめたのではないかと思っています。
秋のシンポジウム「日本も〈緑の福祉国家〉にしたい!」も、そうした方向性を具体化するための試みです。
スウェーデンは何とこの180年余り、まったく戦争に加わっていないのです。
なぜ、加害者にも被害者にもならない国であり続けることができたのか、そのモデルに学びたいと思っています。
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是非そうしたいです。
戦争や争いが無くなるのもそうですが、持続可能に向けた行動が起きるのも、
皆がある程度心が裕福に、そして格差がある程度無くなる事が必要かも とふと思いました。
私も心と経済的に最近多少余裕が出来たのでエコ等を意識した生活をしてますが、
それまではそれどころか、どうしたら裕福になれるかばかり考えていて、人類の事など・他人の事など・人間の最低限のルールとか全く気にしてませんでした。
皆がそうではないかもしれませんが、多くの人の基本的な欲求を満たす事も持続可能に向けては必要なのでは? と思いました。
そうですね。
マズローの成長の5段階(6段階?)にもあるように
生活の中心軸がエゴからエコへとなっていく人はほんの一握りだとケン・ウィルバーも言っていますが(これは私の大まかな意訳ですが)、それは現代アメリカの場合であって、日本においてはそのパーセンテージはもう少し多くなるのではないかと思います。しかし、このエゴからエコへという方向転換は実はなかなかなことなのではないかと思います。特に物資、経済的に豊かな社会においては。ともするとエゴの肥大化になりかねないからです。
日本は物質的にとても貧しい時代を経験しているから、そして禅や茶道(今の茶道ではなく、発祥の頃の茶道です)などで精神的にすでに道をつけてあるから、と思うのですがどうでしょうね。道元や利休の心を忘れていはしないか心配です。
「心が裕福になる」ということは物質的な豊かさとは別なのではないかと最近思ったりもします。確かにある程度の豊かさは必要ですが。
おっしゃる通りで、
エゴからエコへの変換は難しいでしょう。
私の周りも・・・危機を伝えてその時は頑張らないとと言っていた人が、一週間後にはもう忘れている。
エゴなのか、平和ボケなのか。
私は最近毎日ブログを書いているので、それのお陰で毎日エコの事を考えてますが、そうでなかったら日々の平和さのせいで、持続不可能な状況など忘れてしまっているかもしれません。
持続可能に向けては、”心の裕福さ” と ”日々現実の状態を思い出す事” が必要とすると、
私は宗教とか全く知らないのですが、
・今生きている事や先祖や色々な事を感謝する事
・他人に迷惑を掛けない事
・後世(7世代後とか)の事を考えて生活する事
・そして現実の持続不可能な状況を再確認する事
のような事を毎日確認する、聖書のようなものを読む習慣とかも必要のように思いました。
”マズローの心理学”読んでないので、読んでみます!