善の心3:愧(き)――恥を知る心

2006年03月11日 | 心の教育

 一昔前は、政・官・財界で不祥事を起こした人間がよく「慙愧の念に堪えません」といったものです。

 あまり心からそう思っているようには見えませんでしたが。

 最近は、いろいろ言い訳をする人が多くなり、ただのセリフとしてさえも「慙愧の念…」という言葉はあまり聞かれないようです。

 この「慙愧」は、慙(=慚)と愧から成っていて、慚は内的反省、愧は対他的反省つまり他・社会に対して恥を知る心のことです。

 自ら省み、他に照らして、どう考えてもよくないことをしてしまった、どうして予め考えなかったのだろう、どうしてやってしまったのだろう、という気づきで、居ても立ってもいられないほどの気持ち・念です、というのが「慙愧の念…」という言葉の意味です。

 人間は、生まれる時から死ぬ時まで他とのつながりなしには存在できません。

 他との関係なしに自分はいません

 ですから、他とのいい関係なしにはいい自分になれないのです。

 幼い頃は、そういういい関係を作ることは親任せ、大人任せ、他人(ひと)任せでいいのですが、しだいに自分のほうからいい関係を作っていけるよう努力をする必要があります。

 それが、大人になるということです。

 ですから、大人になっていくということは、自分がいい関係を作っているか、むしろ悪い関係にしてしまうような行為をしているか、反省する心が育っていくことでもあります。

 他からしてもらったことへの感謝、他への思いやりを忘れてはいないか、他から見られて恥ずかしいことをしてしまった、それどころか他に迷惑をかけてしまったのではないかという反省、そうした他に照らして自らを省みる心は、人間が成長するための必須条件です。

 自分自身がいい人生を送るためにも、「愧」、恥を知る心はぜひ必要な善の心だといってまちがいないでしょう。

 ……とお説教している私自身、そういう意味でどのくらい大人になれているかなと反省せざるをえません(赤面)。

 しかし、まちがえていけないのは、慚は自己非難の心ではないということです。

 成長のために、自ら省み、他に照らして、「私はまだまだだな、もっと成長したい、もっと修行しよう」と反省する心なのです。

 今私たちがどんなに未熟でも、コスモスは私たちに驚くほどの成長可能性・潜在力を預けてくれています。

 自己非難に陥ることなく、慚と愧の心を忘れることなく、成長を続けていきたいものです。


*写真は、公園に咲いていたサンシュユという珍しい花、実が漢方薬になるようです。


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3 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
写真 (ぶっち)
2006-03-11 19:35:56
昨日の紅梅も綺麗でしたが、

今日の花も綺麗ですね~。



ほんとに春らしくなってきましたね。



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恥を知る (HIRO)
2006-03-11 20:55:56
“恥”って、面白い言葉ですね。



心の耳・・・



自己非難でない、豊かな「内省」を心掛けたいと思いました。



今日は、思ったより仕事がはかどらなかった・・・



自己非難、改め、内省
返信する
ちょっと武士道に近いかもと・・・ (りょう)
2006-03-12 15:50:15
武士道的な恥を知る文化を連想しました。



傍若無人な振る舞いが目立つ現代人、私も含め内省を心がけるべきですね。



恥を知ること→美しい生き方につながりますね。

自己非難せずに、内省します。
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