最近読み続けている『摩訶般若波羅蜜経』(昭和新纂国訳大蔵経版)は、全部で90品(章にあたる)もある、長いお経です。
これまで何度も挑戦しかけて途中で挫折したのですが、今回はなぜか続いています。
といっても、他の仕事の合間を見ながらなので、まだようやく第40のところまで到達したところですが。
でも、この調子なら、最後まで読み通せそうです。
続いている理由を考えみると、2つあるようです。
1つは、かつて読み始めた時は意味を十分に読み取れなかったので、文字面を追っているだけになって厭きてきたということです。
今回は、「なんと深いのだろう!」と驚くことができる程度に読み取ることができているのです。
年季は重ねるものです(もっと年季を重ねたら、もっと深いと思うことでしょう)。
もう1つは、繰り返しが多いことの意味も感じられるようになったことです。
わかったつもりになり、おぼろげに覚えてはいても、しっかりとわかりしっかりと記憶してない修行者が、声に出してこの繰り返しを読んでいるうちに知らず知らずのうちにそのリズムと一緒に内容のもっている雰囲気が無意識(アーラヤ識)に熏習され定着していく、というのがお経の文句の繰り返し効果なのではないかと思うのです。
私は、まだ声に出して読んではいませんが、目で追っているだけでもそういう感じになってきます。
これから、この書き下し文をお経として読んでみるとさらにいいのではないか、やってみようという気になっています。
ところで、今夜は仕事の後で、ものすごく久し振りにかみさんとコンサートに行きました。
サングラハの仲間のお母様が加わっている合唱団のコンサートで、招待していただいたのです(感謝、合唱に合掌)。
プログラムはプーランク『グロリア』とデュリュフレ『レクイエム』、そしてアンコール曲はフォーレ『レクイエム』の一部という、近代フランスの宗教音楽づくしでした。
どれも心洗われるような美しい曲、感動的な演奏でした。
指揮者、合唱団、オーケストラ、オルガニスト、全員に心から拍手をしました。
帰り道、デュリュフレかフォーレのレクイエムをバックに道元『正法眼蔵生死巻』か『摩訶般若波羅蜜経』のどれかの品(章)の朗読をやってみてはどうか、きっと感動的になるのではないか、というアイデアが浮かびました。
そのうち、密かに実行して、MD録音でもしようかなと思っています。
成功したら――「たら」です――サングラハの関係者のみなさんには、お聞かせするかもしれません(著作権の関係で内部使用にとどめざるをえないのがちょっと残念ですが)。
かつて、新潟・旧山古志村の木喰観音堂で、CDプレーヤーでバッハのカンタータ『目覚めよと我を呼ぶ声あり』(カール・リヒターの指揮のもの)をバックに流しながら『般若心経』を唱えたことがありましたが、実によかったので、今回もきっといいのではないかと予想しています。
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私が言うのも変かもしれませんが、息子として・・・
このことを母に話したら、またさらに感謝感激していました・・・。勿体ないばかりの他者承認をありがとうございます。
あとで本人に読ませます。
>フォーレのレクイエムをバックに道元『正法眼蔵生死巻』か『摩訶般若波羅蜜経』のどれかの品(章)の朗読
とのこと。
この取り組みは半端なく興味あります
ぜひ実現したいですね!!!