平和と調和の国・実現への希望と意欲

2008年01月24日 | 歴史教育

 ふうふう言いながら、「十七条憲法の意味」のレポートに取り組んでいます。

 でも、多くの学生たちの反応に感動しています。

 そして、彼らの証言どおり、小中高でこうした国家理想について教えられなかった(今もおそらくほとんど教えられていない)ことに、怒りに近い残念さをあらためて感じています。

 よかったら、彼らの感想とそして「十七条憲法」の原文そのものを読んでみて下さい。


 今回の授業で、聖徳太子の十七条憲法を初めて読みました。第一条だけ、小学校のときにやった記憶があったのですが、あとの十六条は、まったく初めてでした。しかもその意味を理解して、聖徳太子って実はすごい人だったことを知りました。私の中の聖徳太子は、一度に七人ぐらいの人の話をいっぺんに聞けたとか、すこし嘘っぽい人だと思っていたのでびっくりしました。
 私は、この「現代社会と宗教」の授業を受けて、少しずつ、日本人としての誇りをもてるようになったかなという気がします。
 日本の文化は好きでしたが、その文化といっても外国の人が思いつく様なきものや、神社、お寺、奈良・京都ぐらいのイメージでしかなかったのが、その根底にあった「仏教」という教えに触れることができて、「日本の文化ってこういう教えを軸にしてできてきたのか」ということこがわかりました。私は、仏教をまったく全然知らなかったので、実は、日本の文化もなにもしらなかったということに気づかされました。
 最近は「愛国心」とか「国際化」という言葉をよく耳にしますが、実は、そう言っている人たちも、「日本の文化」その根本的な教えである「仏教」を正しく理解していいないのではないかと思います。「日本の文化はすばらしい」とか「日本には古き良き伝統がある」とか言葉で口にしていても、何がどうすばらしいのか、どんな教えが古き良き教えなのか、初めてしっかりとした答えを教えてもらいました。
 私は、今の日本が何か不安でちゅうぶらりんな感じがするのは、わかった様に上辺だけで「日本」を語っていて、根本的な「日本」「日本人」を誰もが理解していなかったから、ではないかなぁと思います。
 この授業を受けて、日本が大好きになりました。やっぱり「日本はすごかったんだ」と実感しました。だから、私は、今の日本もこれからの日本も好きなままでいたいです。この日本の大切な「教え」をもう一度しっかり理解することができれば、本当の意味で日本はすばらしい国になると思います。
 それにしても「和をもって貴しとなす」という言葉は、胸にひびきました。
                                       (社会政策学科1年女)


 高校の倫理の授業で聖徳太子の「十七条憲法」について学んだときに、第三条は天皇絶対主義の考えだと誤った解釈をしていました。また、「三宝を敬え」など仏教の思想や実践方法を多く十七条憲法に取り入れているので、聖徳太子は仏教絶対主義の考えの人だと思っていました。しかし、今回の授業で聖徳太子が唯識や仏教の思想を深く理解していて、足りない部分は他の宗教(儒教など)で補ったりしながら、日本をより平和で調和のとれた国にしようとしていたことが分かりました。私達は、これからの社会を支える人間として太子の目指した理想を正しく理解し、実践していくことが大切だと思いました。1年間、この授業を通して、生きていく中で必要なことを新たに気付かされたり、これまでの世界観が大きく変わることを色々教えていただきました。ありがとうございました。
                                       (社会学科1年女)


 私の小中高で一番好きで得意科目としていたのが日本史である。しかし、授業の中で教師が教えてくれた聖徳太子は本当にいたかどうかも分からないような人物であり、十七条の憲法も出来事の1つとしてしか伝えてくれなかった。内容についても資料集に小さく載っているだけだった。聖徳太子の掲げた国家理想などこの授業を受けなければ知らずのままだったと思う。
 後期1回目のレポートで唯識について考えた時にこんなにも遥か遠くにあるような思想を導きだした人は素晴らしいと感じたが、聖徳太子はこの高みにある思想を人々に広めようとした。誰もがたどり着くことができるわけではない無住処涅槃をこんなにも丁寧に優しく伝え、理想とした。こんなにも素晴らしい人間が存在したかもしれない、存在しなくてもこの思想は存在した。私は日本を今までと違う新たな見方ができるようになったと思う。
 聖徳太子の理想は現在でも現実のものにはなっていないけれど、私たち世界に必要な在り方はこれだと思う。1人1人がこの理想を持つことができれば、十七条の憲法の1条にあるように上も下も和らいで睦まじければ実現できないことは何もないのである。
 そのことを教えていただきありがとうございました。
                                       (メディア社会学科1年女)


 「十七条憲法」を初めて読んで、“これは理想だなー、だけどこんなこと本当に実践できるわけはない”と思ったのが正直な感想でした。条文内でも言われていたように、この憲法は「人間に極悪なものはいない」のを信じて作られているように思えますが、今の世の中を見ていたらそんなことは到底信じようがありません。しかし、だからこそ今、原点に帰って足元を見つめ直すことが必要なんだという気持ちがわいてきたのも確かです。高い理想を掲げ、そこに向かって歩き出す人がいるからこそ、その後をついて来る人がいるのです。変われる人から、気付いた人から始めるのが大切であり、それがやがて大きな力となって世界は変わるかもしれない。そんな風に思いました。聖徳太子はまさにその先駆け的存在だったのではないでしょうか。時代は変わり、人も変わり、世界も変わりましたが、それは立ち位置が違うだけ。最高の山の頂は一つで、今も昔も目指すべきは変わらない。内容に感心するよりも、実現への希望と意欲を感じずにはいられませんでした。
                                       (メディア社会学科1年男)


 引用したのはごく一部ですが、もっともっとたくさん引用したいものがあります。

 今年度、特徴的なのは、レポートの最後に「ありがとうございました」と書いてくれる学生が非常に多いことです。

 これは大切なものがしっかりと伝わった証拠かな、と素直に喜んでいます。



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