自分と他人、おれたちとあいつら、この物とあの物、人間と自然など、すべてのことを分離し別れたものと見るものの見方を「分別知(ふんべつち)」というのでした。
確かにそれぞれの物・事には区別があります。
くっきりと区分することができます。
しかし、根本的には分離していない、つながっていて、結局は一つなのでした。
そういう根本的な真理・法・ダルマからいうと、他人が私に損をさせた、嫌な思いをさせた、傷つけたというのは、広く深い意味で自分が自分に損をさせた、嫌な思いをさせた、傷つけたということになります。
傷つけられたというので傷つけ返したら、実は深い意味での自分を二重に傷つけることになります。
譬えると、右手に包丁を持ってお料理をしていて、誤って左手の指を切ってしまったというので、傷ついた左手が包丁をひったくって右手に切りつけて仕返しをしたら、両手とも傷ついてひどいことになるようなものです。
いうまでもなく、右手と左手は同じ一つの体のそれぞれの部分ですから、決してやられてもやり返したりはしません。
それどころか、左手の指を切った拍子に刃が上を向いた状態で包丁を落とし右手のほうがもっとひどい怪我をしたというケースなら、軽く傷ついた左手でもっと傷ついた右手の治療をすることだってあります。
六波羅蜜の第三で、ある意味では〔少なくとも私にとって〕もっとも難易度の高いメニューである「忍辱(にんにく)」というのは、他のもの(者・物)から傷つけられてもそれを忍ぶということです。
〔もちろん私も含めて〕私たちは、なかなか自分に不利益を与えた相手を許すことができません。
腹を立て、憎み、恨み、仕返しをしようと思ってしまいます。
しかし、すべてがつながって一つということを知って、さらにそれを実感し、覚りたいのなら、この困難なトレーニング・メニュー、「忍辱」に挑戦する必要があります。
ここで重要なのは、これは条件付きmustで、強制的な意味での倫理、絶対化されたmustではないということです。
無理をして、「人を許さなければならない」と思っても、なかなかできません。
無理をしないためには、まず頭だけでいいから理を認識することが先です。
「あいつとおれとは、実は一体なのだ」と理論としてだけでも認めるのです。
そこのところを、唯識では「忍はまず認から始まる」といいます。
怒りや恨みや仕返ししたいという感情を押さえつけようとするより、感情は感情としてあるがままにしておいて、理をしっかりと認識するのです。
そして理をしっかり認識できたら、少しずつでも実習するのです。
「まったく腹が立つ。どうにもゆるせない。何とか仕返しをしてやりたい……でも、本当はあいつとおれとはつながっていて、それどころか一つの宇宙の部分同士なのだ。まったく気に入らない、そんな気になれない、どうしてもそうは思えないけど……しかし理としてはそうなるんだ。ならば、せめてひどい仕返しをするのだけはやめておこう」というふうに。
ブッダの言葉に「怨みに報ゆるに怨みをもってすれば怨みの絶ゆることなし」というのがあります。
憎しみに対して憎しみ返すと、また憎しみが増幅されてこちらに返ってきます。
果てしない憎悪の悪循環を断つためには、忍辱という薬が必要です。
それより何より、人を憎むと自分自身の心も不愉快です。
自分自身の心の爽やかさのためにも、憎悪の悪循環を断つためにも、そして「すべては一体」と覚って心が超健康になるためにも、このきわめて難易度の高いメニューに何とか取り組んでいきたい、と筆者も思っています。
みなさんも、金メダルに向けて選ばれた人・選手のように、菩薩でありたいと思われるならば、ぜひ挑戦してください。
たぶん、よほど運のいい方か、もともときわめて柔和な方以外は、毎日のように忍辱修行のチャンスを与えられていると思います。
この世・娑婆(しゃば)世界は怨憎会苦(おんぞうえく)の世界ですからね。
毎日続くハード・トレーニング、長丁場で挫折しないよう、お互いに健闘を祈りあいましょう。
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相手に怒りを感じたり、「自分は被害者だ」と思っている自分に気がつくことはつくんですが、頭でいくら「この人と私はつながってひとつなんだ」と考えても、心の火はなかなか消えません(´・ω・)
無理せず、徐々に、沁みこませていくことが重要だと思って・・・・これからも続けていきます。
いつか腑に落ちるように!
あ、でも、頭で一旦「考える」という作業を通しているからか、仕返しをしそうになって寸前で止まることが多くなりました。
教えてくださった先生に感謝、感謝です。
だから、どうして?と思って理解できないことが多いです。人を傷つけて自分がいい思いをしようとするのが、生物学的な利己性に基づいているというのを読んで、そうなのかと思ったこともありましたが。