sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて
冷たいシャンパンとチーズと生ハム、
届いた本と手紙に気持ちが緩む、
感じ。

言葉と写真

2017-10-16 | 写真
写真のついてのレクチャーと
ポートフォリオレビューの見学に、うちからわりと近い写真ギャラリーに行ってきた。

金村修×タカザワケンジのレクチャー&ポートフォリオレビュー。
こじんまりした中にも抜けの良さがあって、いいギャラリーですが、
こういうイベントのとき、スクリーンやディスプレイが下の方にあると
大きな男の人たちが前に座ったら、小さい自分には見えまぜんね。
もしも生まれ変わってでかい男の人になったら、
自分は後ろに座る人になろうと思いました。
いや、前に座れるように早く行かなかった自分が悪いんですけど。
というか、段差のない床でのイベントは、スクリーンの位置大事ね。
やや見上げるくらいでないと、後ろの人には何も見えない。

レクチャーは、ゆるい感じでおふたりが
関西の写真家について、あれこれ論評されて、面白かったんだけど、
何しろディスプレイが全然見えなかったので
写真が映って、これはいいね〜とか言われても
なんのことやらさっぱり、の連続だったのがとても残念。
写真の話を写真を見ながらするのに、写真がまったく見えないのは苦しい。
それ以外はおもしろかったです。
お二人が有名作家を「興味ないねぇ」とぼそぼそ切り捨てるのも面白い。

文学に文壇という物があるように、
音楽ならギョーカイというものがあるように、
写真にもそういうものがあって、この二人はそこに属してない人ではなく
ややアカデミック系というか、写真専門学校とか大学の写真学科とかを出て
写真の技法も写真史やその文脈も、写真の読み方も一通り修めてきた人たちで、
そういう人同士のそういう匂いもしたけど(それは東京っぽい匂いでもある)
自分からは遠いモノなので、それも面白いです。たまにはね。
金村さんは、はっきりした意見を気だるげにぼそぼそ言うけど
思ってたほど毒舌でも辛辣でもなく、案外ちゃんとしてる。笑
この二人の組み合わせはとてもいいですね。
ゆるい話から、ちょっと面白い方向に話が振れることが多いです。

1時間半ほどのレクチャーというかトークのあと、
6人の人のポートフォリオ・レビューを見学。

相変わらず気だるげにぼそっと話される金村さんと、すっと解説的なことを挟む
タカザワさんだけど、よく聞いてるとなるほどなぁと思うことは多い。
最初の人には、これは記録なの表現なの?
表現ならこれで何言いたいの?この奥に何かあるの?みたいなことを詰めていき
最初、きれいだなぁとぼんやり見てたわたしも、その通りだわと思うように。

日付入りの黒白スナップの人には、日付入り写真の理由が
荒木さんのファンだから、ってそれ、舐められますよと。そりゃそうだよな。笑

カラオケで誰かが歌う数分間を30枚弱に収めた作品の女性は
自分ではフランシス・ベーコン風と言ってたけど
これは先生方の言葉を待つまでもなく、詰めが甘すぎ。
時間が流れるということを描きたいなら自動シャッターで10秒ずつ撮るとか
もっと掘り下げないと、といわれていましたが、真っ当すぎる評。
思いつき程度のコンセプトでは、思いつき程度の写真にしかならないんだなぁ。

最後の人のカラーフィルムの郊外写真の中から、余分なモノを捨てて、
コンセプトをはっきりさせるように先生たちは組んで選んでたけど
その捨てられた方の、やや叙情的で、写真家の心情がふと漏れそうな半端な写真が
自分の撮る写真に一番似てるなぁと思ったりしました。

いつも自分たちの写真の会の先生たちの講評を聞いて勉強しているけど、
たまに別のタイプの人の講評を聞くのはおもしろいですね。

写真の言葉のことを考えると、言葉はすごいなぁと思う。
複雑で味わい深く語られた写真が、案外薄っぺらでがったりだっすることはよくあって
言葉ばかりが良すぎるのもなんだかなぁ、と。
論評を読んでたのしみにしてた写真展や写真集が、なんだこんなもんかという時。
でも逆に、とてもいい写真が、社会問題に絡めたありきたりなテーマで、
独自の切実さも伴わず、あまりに安直に説明されると、いつもがっかりして、
聞かなきゃよかったと思う。
なんか、そもそも自分はいつも驚かされたがってて、
子供の絵本なんかは、ぼーっと見てても相変わらず驚きがあるんだけど、
写真は難しいですね。
いや、写真や写真家のせいではなく
単に自分の、驚ける能力が擦りへってるだけかもしれない。
ああ、わたしのみずみずしさは、どこに・・・