滋賀医科大学ハンドボール部

滋賀医科大学ハンドボール部の日々ある出来事を紹介してゆく驚くべきブログです。皆さん、どうぞお立ち寄りくださいませ。

#17 井関颯太 箸休め

2020年12月26日 12時21分45秒 | Weblog

12月に入ってやたらと寒くなっていつでも耳がちぎれそうになってます。寒いと、あったかい飲み物を買いたくなるのですが、いざ買うとすぐに冷えてしまって少し悲しくなります。でも、あったかい、その一瞬のためにその次も買いたくなるんですよね。ちなみに、僕は「小岩井ミルクとコーヒー」が好きでよく買ってます。井関颯太です。

 

初ブログということで何を書こうか3日前ぐらいから考えていたのですが、結局何も思い浮かばなかったので、とりあえず自己紹介から始めようかなと思います。

 

僕は彦根東高校出身で、高校生の時は今より筋トレも体幹トレもしっかりできていました。今より8キロぐらい痩せていたころですね。彦根東は彦根城のお堀の中にあって、春には桜が咲いてとても綺麗なのでぜひ来てみてください。彦根城近くのキャッスルロードには、近江牛を使った食べ物やおしゃんなカフェもあってけっこう楽しいと思います。

 

大学には長浜から電車で通っているので、いろんな人に「大変じゃない?」と言われるのですが、僕はこの時間がけっこう好きです。あの人の服おしゃれやな〜とか、あの髪の色いいな〜とか、おじさんがゲームで一喜一憂してるの見てたりとか、帰りは学校のこと・部活のことについて反省会したり、今も電車の中でこのブログを書いています。

 

話は変わりますが、つい先日リモラブ最終話でしたね。最後はキュンキュンが止まらんでしたね〜、ごもちゃん推しだった僕としては、ごもちゃんにはもうちょっと幸せになって欲しかったです。僕はテレビが好きでよく観るので、最近はこたつでリモラブや35歳の少女を観て過ごしてました。今は逃げ恥スペシャルが楽しみです。

 

ここまで書いてきて自己紹介ってこんな感じやっけ?と思ったので、ハンドボールについても少し書こうかなと思います。

 

僕は高校でハンドを始めて今でも続けているわけですが、特別ハンドが好きで続けているわけではなく、大学では違うことしよ〜とも思っていました。でも、なんか気づいたらハンド部に入っていて、なんだかんだ今も楽しくやらせてもらってます。ハンド部の雰囲気が好きなんだと思います。

といっても、かなりの人見知りな性格でして未だに緊張してうまく話せないでいます。これからどんどん慣れていくと思うのでよろしくお願いします。

 

こんな感じで、あまり中身のない文章を読んでなんだこれ??ってなっている人もいるとは思いますが、私も同じ気持ちでいます。

箸休め程度に読んで頂ければ幸いです。箸休め大事です。

 

今更ですが、いつもありがとうございます、そしてこれからもよろしくお願いします。

 

ではでは良いお年を〜


#16 大許多恵 すべてのことには意味がある

2020年12月23日 21時13分57秒 | Weblog

お疲れ様です^ ^

はじめまして。看護学科一回生の大許多恵です。

ブログはみるのも書くのも初めてで緊張しています、、

 

まずは軽く自己紹介をします。

 

私は兵庫県の西宮市に住んでいます。片道2時間かけて通っています。遠いです。このことを説明するたびに、「一人暮らししないん?」と聞かれますが、家がすきなのと、怖いのと寂しいのとめんどくさいので、限界までは通い続けるつもりでいます。

 

私は中学ではバスケ部、高校ではハンド部に所属していました。プレイヤーです!競技を変えた理由は、怪我が多く、バスケは大好きだったけどいい思い出が少なかったからでした。父が大学でハンドをしていたので、それが影響で、また、初心者も多くはじめやすい!という理由で入部しました。そこでハンドボールの楽しさを知り、強豪校!というわけではなかったけれど、オフがあまりない部活中心の生活を送っていました。結局、競技を変えても、前十字靭帯損傷という人生の中でいちばんの大怪我をしてしまったのですが、、

 

初めての手術と、自分の代での1年間のリハビリ生活は、本当にしんどくて、正直精神面でもかなりやられていました。当時はいろいろな気持ちがあったけど、いま私は胸を張って、いい経験だったと振り返ることができます。

 

また、私は一浪なのですが、勉強が嫌いなので、浪人なんてたえらしくない、ほんとにおかしくなっちゃうんじゃないか、と周りにも心配されていました。自分でもいろいろな欲を我慢するのは本当に大変で、よく耐えたと思っています。けれど、1年頑張っても、希望の大学には行くことができませんでした。つまり、失敗を2回経験したのですが、浪人した1年は私にとってすごく濃い、意味のある1年であったと思っています。

 

そう思えているのは、「起こること、すべてのことには意味がある。」という考えを持っているからです。失敗を何回も経験したけれど、それを、「なんでこうなったんや」って考えるのではなく、「自分にとって、その経験がプラスになっている」と考えるようにしています。 

 

実際、怪我をした時「なんで私なんやろ」って思いました。けれど、リハビリ生活の中でコートの外からプレーについて見て、考えることで、ずっとコート内にいては得られていなかったであろうものを得て、復帰した際プレーに役立てることができました。また、「引退までに絶対復帰する。間に合わせる。」と目標を決めて頑張り抜けたという、達成感や、自信を得ることもできました。

 

1年前、合格をもらっていた私立大学に行っていれば、我慢や辛い気持ちをすることはなかったかもしれません。けれど、浪人生にしかわからない、得られない気持ちや経験をすることができました。だから私は1年前の浪人をするという選択に全く後悔はしていません。

 

私が滋賀医大に入学したことも、ハンド部に入ったことも、そこで先輩方や同期と出会えたこともすべて、私にとって意味があることだと思っています。この出会いを大切に、自分なりにできることを考えて、チームのために動けるマネになれるように頑張ります。

 

もしこれからなにかうまくいかないことがあっても、自分にとって意味のあることなんだと受け止めて、向き合っていけるように、成長できるような人になりたいです。

 

自分の話ばかりになってしまいましたが、これでおわらせてもらいたいと思います。

 

コロナが落ち着き、先輩方と試合や旅行、マネ旅行も!いけることを本当にたのしみにしてます!連れて行ってください!!^ ^

 

これからもよろしくお願いします!!


#15 髙橋樹 こんにちは

2020年12月20日 21時09分00秒 | Weblog
こんにちは1プレの髙橋です。本当は昨日ブログ書く当番だったんですけど1日遅れで申し訳ないです。
まずは先の同期2人にならって自己紹介から始めようと思います。

僕の出身はアメリカ合衆国マサチューセッツ州のボストンという都市です。別に親がアメリカ人というわけではなく2人とも純日本人です。日本に来たのはまだ2歳の時なので帰国子女でもないですし当然英語も話せません。ちなみにキュウリが相当好きだったらしくてひたすら「cucumber!」を連呼してたそうです。今はどっちかと言うとズッキーニの方が好きです。
現在は京都在住で、中高一貫で洛南高校に通っていました。部活は中学3年間だけ陸上部をやっており種目は短距離と走り幅跳びです。顧問は高校陸上部につきっきりで僕らは適当に独学で楽しんでいました。ここで何か得られたかと言うと特に何もありません。しかし日本人初の9秒台を出した桐生祥秀選手と同じグラウンドで隣で練習していたのは一生の自慢です。
高校に上がっても得たものは特にありませんでした。強いて言うなら物事の逃げ道を見つけるのが上手くなりました。今思えばひたすら非生産的な3年間でした。生産されたのは白髪とニキビと親のため息だけ。

ハンド部にはそもそも入るつもりはなく陸上部一本に絞るつもりでした。ハンド部に見学に行った理由としてはもともと競技自体に興味はあったため1日体験するくらいならいいかなと思ったからです。そしたらこれが想像以上に楽しい競技で行く度にまたやってみたい、またやってみたいと思えてきました。あと今思ってみると新歓期特有の、先輩たちがたくさんプレーを褒めてくれるので恥ずかしくも単純人間な僕の承認欲求にグッサグサ突き刺さったせいもあるかもしれません。もう一度言うと、単純なので。

結果的に今は陸上部と兼部することになって、プライベートの方でも今は忙しくてなかなか時間的にも体力的にも大変な状況ではあります。
樹さんと陸部のキャプテンには何度も相談になってもらい本当に感謝です。しかし大変なのはそうなんですが今はそれ以上に楽しいが上回っています。初めてやるチームスポーツに、楽しい同級生に、優しくて面白い先輩たちに、美味しいお酒。いつまでもこんな感じが続けばいいなと思います。というか続かせる努力をしないといけないですね。
部の中でハンドボールの経験がほとんどないのは僕とたかれんだけで、ルールも知らなければ投げ方もポジションも動き方も全く分からない状態からまだ言っても2ヶ月ちょい、まだまだど素人で周りに追いつくので今は必死です。これであと数ヶ月後には後輩が入ってくると思うと夜も眼れないほどではないですが多少の焦りを感じます。のくせに初っ端から怪我してる僕らはもはや芸人ですね。アンガールズ寄りの。ついこないだやっと治ったのでオフ明けからまた全力で頑張ります。

10行くらいで終わるかなと思っていたのに意外と長々と書いてしまいましたがそろそろ読者の方も読むのに飽きて6行前の「眠」と「眼」の誤字に気づかないほどにはなっていると思うのでここら辺で初ブログは終わろうと思います。

ということでこれから数年間お世話になります。医学科一回、髙橋樹、とりあえずの目標としてはハンドボールプレーで日笠さんを喰えるくらいになることです。         
よろしくお願いします。




ご精読ありがとうございました。







#14岩井玲奈 選択

2020年12月16日 20時34分31秒 | Weblog

 はじめまして。看護学科1回生の岩井玲奈です。

 初ブログで緊張してます。

 私は岐阜県出身です。滋賀県で一人暮らしを始め、まだ2ヶ月半で滋賀県のことも大学のことも部活のこともほとんど分かりません。部活を中心に様々なことを経験していきたいと思っています。

 次にハンド部に入ろうと思った理由を話したいと思います。新歓期間、人生で1番と言っていいくらいどの部活に入ろうか悩みました。私は高校時代バスケをやっていて、ハンドボールは見たことも経験したこともなかったです。そんな私が最終的にハンド部に入部しようと思った一番の理由は、自分に1番合っていて自分が1番好きなのはハンド部の雰囲気かなって私なりに思ったからです。実際、ハンド部の雰囲気ってやっぱりいいなあと入部してから何度も思います。今、こんなふうに思えるのは新歓をしてくださった先輩方のおかげです。ありがとうございます。 

  人生は何事も選択だと思います。ハンド部に入るという選択をしたからには、その選んだ道で大きく成長し、結果を出したいと思っています。一度選択したことは、全力でやり遂げたいというのが今の気持ちです。  

 しかし、そう思ってはいますが、まだまだ仕事は全然できない状態です。自分が今まで経験してきたこととは違う全く新しい世界に入り、自分がマネージャーとして役に立てるのか不安に思いながらも、いつも1マネのことを考え、優しく教えてくださる先輩マネさんには感謝でいっぱいです。いつまでも一年生だからという甘えに頼らず、先輩のようなできマネになりたいです。ことね、たえ3人で協力して頑張って行こうね

 文章書くのが本当に苦手なので、短くてすみません。変な文章があるかもしれませんが、これで終わりにしたいと思います。

これからもよろしくお願いします!!


#13唐鎌克真 初心

2020年12月12日 19時58分00秒 | Weblog

一回生の唐鎌克真です。


今年度から滋賀医大ハンドボール部にプレイヤーとして入部しました。初めてのブログなので何を書けばいいのか分かりませんが、とりあえず自己紹介からしようと思います。


僕は大阪の大阪教育大学附属高校平野校舎出身で高校からハンドボールをやっていました。高校では逆サイド専門でプレーしていました。


しかし、ハンドボール経験者と言えども、僕の出身校の部は負けることの方が多く、それほど強い部活ではありませんでした。また、僕自身もボールの投げ方を知っているくらいで、プレイヤーとしてはまだまだです。


それでも大学でハンドボールを続けようと思ったのは、僕がこのスポーツが好きだからです。やっぱり、サイドシュートが決まった時は気持ちいいですし、頭を使ったプレーで相手のディフェンスを崩していくのは奥が深く、面白いです。せっかく大学でもハンドボールを続けようと決めたからには精一杯頑張っていきたいと思います。


さて、僕が入部して約2ヶ月が経とうとしています。この2ヶ月で自分の中で世界が広がったのを感じます。部活が始まったことで友達も増えましたし、様々な先輩方とも知り合うことができました。


この中で感じたのは、先輩方は自分の役割を知っており、それを全うするためには何が必要かを考えておられるということです。その点で、僕は自分の思考がいかに浅かったか思い知らされたように感じます。


例えば、プレーにおいて、ディフェンスの場面では先輩方は声を掛け合い、お互いに誰を見ているのか、誰のフォローをいつ行くべきなのかを把握してそれを遂行するには自分がどう動けばいいのかを考えていらっしゃるように思います。オフェンスの場面では、自分の得意なプレーを分かっていて、そのプレーをどのタイミングでやるのが効果的なのか考えておられるように思えます。


僕はいつも先輩方のこのような姿を見て、チームの中で自分がどのような影響を与えられるのか考えることの重要さを感じます。


長々と自分の気持ち書いてきましたが、入部して2ヶ月が経ち、滋賀医大ハンドボール部でプレーする中で、将来このチームにとって良い影響を与えられるプレーヤーになりたいと明確に思うようになりました。


自分の役割はこれから探していくことになりますが、意識次第でそれはより一層確かなものになると思っています。少なくとも、僕のサウスポーとしての特性は存分に利用することができると信じています。


以上を初心としてこれから練習していこうと思います。


先輩方、同回生のみんな、これからもよろしくお願いします。


#12 人生

2020年12月08日 22時41分04秒 | Weblog

とてもお久しぶりです。

ちょうど国試を2ヶ月前に控えております。6回生の西村知起です。

愛読者の皆様には大変お待たせいたしました。約10ヶ月ぶりのブログです。

2020年は未曾有の一年となりました。学生生活そして部活生活のラストがこのような形になってしまうとは夢にも思っておりませんでした。

まさに”失われた一年”といえるでしょうか。

 

久しくお会いしていないOBの皆様からはあれ?こいつなんでまだブログ書いてるんや?まさか卒業留年!?。。。といった心の声が聞こえて来そうですが、無事卒業は決まりまして、現在国試に向けて日々勉強中です。

多くの人には直接お伝えできていないのですが、僕はまだ現役として続けており、来年の3月を引退をもっての引退にしようと思っています。

ただでさえ1年留年しており、その上3月までの継続となると本当にいつまでいるんやといった感じですが、理由としては

”やりたいことは全部やる。ただの1つも後悔を残さず、次のステージに行きたい”

と言ういたってシンプルなものです。

 

 

先ほど、失われた一年と表現しましたが、自分にとっては忘れることのない一年となりました。

コロナ期間、stayhome期間と称され、人間的な活動を制御されたこの2020年は将来を見据え、準備するには十分すぎるほど時間があり、ご存知の方は多いかと思いますが、米国臨床留学をするにあたり最初の難関となるusmle のstep1を10月に受験し、pass いたしました。医学も英語もほとんど0からのスタートでしたので自分の中でこの挑戦は一つ大きなものでした。

(今後名も知らない後輩たちが臨床留学をしたいと思った時にこのブログを見て興味が湧いたならなんでも協力しようと思うので遠慮なく連絡ください。)

 

近況も踏まえ、ここで僕が伝えたいことは夢や目標を持ち、それに向かって努力することの素晴らしさです。

何度も何度も伝えてきたことですが、本当にこれにつきます。

 

誰もが言いますが、僕たちは別に将来ハンドボールを仕事にするわけでも、マネージャーになるわけでもありません。

ただハンドボールをするだけ、マネージャーをするだけなら6年ないし4年は長すぎます。

でも、その人間同士の関わりの中で、目標を掲げる中で、夢を見る中で心が動き、それに対し努力をすることで人生の糧になるものが身につき、意味のある時間になるのではないでしょうか。

宇宙の年齢に比べれば一人の人間が生きてる時間なんてほんとにわずかなものです。そんなわずかな時間くらい、逆に思い切り贅沢していいんじゃない?って言うのが僕の個人的な意見です。

 

 

今のチームの目標はなんでしょう?夢はなんでしょう? 

それは個人レベルでも言えると思います。

 

えりかも書いていましたが、このオフでそのような物思いにふける時間を作ってみてもいいんじゃないでしょうか。

 

ps引退に際してのブログは3月を目処にまとめたいと思います。あと少し、よろしく。