大阪大学で入試採点のミスにより、受験生30人を不合格にしていた事案。
外部からの再三の指摘にも耳を貸さずに、10カ月以上スルーしていた。この問題は図らずも大学の閉鎖性を物語っている。
外部、ましてや予備校からの指摘など「取るに足りない」と判断したのだろう。
30人の不合格者は、それぞれ理科系の受験生だった。
本来ならば、柔軟な頭脳でなければ研究や実験が不可能だと思われていた「理科系」の教授陣。それが以外に「閉鎖的」であったという事実。
日本の大病院などでは露骨な「学閥」主義が幅を利かせている。大学でも教授が「こうだ」と言えば「こうなる」らしい。
出世を願う者は教授には逆らえない。
「患者よがんと闘うな」の著者である近藤誠氏は、定年退職まで講師のままだった。
患者をどんどん手術して抗がん剤漬けにしていれば、教授で定年を迎えられただろう。
日本の組織は盲目的に従っていれば、それなりの評価を受けることができる。
これだと理科系の進歩など期待できないことになる。
文科系と理科系を比べると、理科系のほうが閉鎖的なようだ。
学術の分野に「閉鎖性」は絶対タブーのはずなのだが、日本では綿々と続いている。
大阪大学の一件も「予備校などの指摘は無視してもいい」という考えが、大勢を占めていたのだ。
3.11東日本大震災による原発事故。これも「安全神話の語り部」たちの大合唱が原子力行政を歪めてしまった結果だ。
太平洋戦争の泥沼化も、疑問を差し挟まさせないサイレントマジョリティによって決定された。
大阪大学の問題は多くのことを考えさせてくれる。