ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




田中蒲団店。千葉県夷隅郡大多喜町久保。2003(平成15)年6月1日

写真の通りは県道172号で、大多喜駅付近では主要な通りである。右奥の民家が重要文化財になっている渡辺家住宅で、その南に並ぶ家並み。現在も写っている4棟は残っていて変わらない景観だ。地名の久保は窪地のことらしい。大多喜駅から大手町通りを東へ行くと200mで写真のセブンイレブンの看板のところに出るが、その間ずっとゆるい下り坂である。
写真左の家がGoogleマップに「田中ふとん店」とあった。看板がないので営業しているのか心配だが、声がかかれば蒲団の打ち直しなんかをやるのかもしれない。



山本燃料店。大多喜町久保。2003(平成15)年6月1日

1枚目写真の左から3軒目の家。Yahoo!地図に「山本燃料店」とあった。店頭に出ているのは炭・練炭・七輪などだろうか。ストリートビューで現状を見ると、2階の窓に角材で手すりが取り付けられている。昔の外観に復元したように見える。1階のガラス戸が取り替えられているが、左右の端に戸袋が作られた。これも復元したのかもしれない。建物左の木戸が取り払われて車が入るようになった。

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レストラン キャノン。茨城県牛久市柏田3612。2005(平成17)年12月13日

醗酵室(神谷傳兵衛記念館)の西端から南へ突き出した、元・貯蔵庫だった平屋の煉瓦造の建物。東側の壁は木造だった。レストラン「キャノンCANON」の開店は1976(昭和51)年9月。
国指定文化財等DB>シャトーカミヤ旧醸造場施設』の解説には「貯蔵庫は、煉瓦造平屋建、建築面積404.58平方メートルで、南妻を寄棟とする。当初の西面は腰の高い位置に小さな丸窓を並べた倉庫然とした貯蔵庫であるが、現在は、丸窓の下部を穿ち大きな開口とする等の改造を施してレストランに活用している。小屋組は木造のキングポストトラスとする」とある。
牛久シャトーの建物は3棟とも2011年の東日本大震災で被災し、2016年3月で復旧工事が完了した。閉店していたレストランは2015年1月に「レストラン」として再開された。ところが2018年12月でまたも閉鎖に。思うように客が増えなかったようである。それが日本遺産の認定に合わせてまた復活された。

2007年、経済産業省は牛久シャトーの旧・事務所、醗酵室、貯蔵庫の3棟を「牛久醸造場関連遺産」として近代化産業遺産(18.官民の努力により結実した関東甲信越地域などにおけるワイン製造業の歩みを物語る近代化産業遺産群)に認定した。2008年に国指定の重要文化財に、2020年には文化庁より日本遺産(日本ワイン140年史~国産ブドウで醸造する和文化の結晶~)に認定された。

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牛久シャトー、ワインセラー
茨城県牛久市柏田3612
2005(平成17)年12月13日

国指定文化財等DB>シャトーカミヤ旧醸造場施設』に「醗酵室(神谷傳兵衛記念館)と貯蔵庫との入隅部はもと洗滌場とされる」とある部分。「もと洗滌場を主体とする越屋根付き煉瓦造平屋建を設け、内部北面の階段で醗酵室地階と連絡する」ともある。牛久シャトーの3棟の施設が明治36年(1903)に竣工してから、明治38~44年に増築された(『シャトーカミヤの建設経緯と建築的特徴(日本建築学会計画系論文集、2008年)』)。
収穫した葡萄を醗酵室に運び入れる前に、ここで洗滌したのだろうか。あるいは樽を洗っていたのかとも考えられる。
牛久シャトーでのワインの生産は昭和45年で中止、以後売店やレストランが順次開店していくが、「ワインセラー」(ワインの販売所)に転用されたのもその頃と思われる。



苗木場(北面)

『国指定文化財等DB』に「醗酵室の西面には地階床と同レベルの煉瓦造平屋建のもと地下室苗木場が附属し」とある部分。『建設経緯と建築的特徴』によれば明治44年以前の増築。「地下室苗木場」というからには写真は1階部分でこの下に地下室があるのかと思えてしまうが、見える部分が地下室らしい。西側に出入り口がある。ここに葡萄の苗木を保存していたものらしい。

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神谷傳兵衛記念館。茨城県牛久市柏田3612。2005(平成17)年12月13日

牛久シャトーの「神谷伝兵衛記念館」は『国指定文化財等DB>シャトーカミヤ旧醸造場施設』の「醗酵室」。明治36年(1903)竣工、煉瓦造2階地下1階建、設計は岡田時太郎とされるが、DBには「岡田時太郎が率いた岡田工務所で、シャトーカミヤの設計担当は、この時期に住所を岡田時太郎方とした森山松之助と推測される」とある。施工者は不明。解説に「醗酵室は、階上を「機械作業室」、階下を「醗酵室」、地階を「貯蔵倉庫」とし、北東端と北西端を張り出して階段室とする」とある。
神谷傳兵衛記念館は2001(平成13)年1月の開業。



神谷傳兵衛記念館内部、1階・2階

シャトーカミヤの建設経緯と建築的特徴(日本建築学会計画系論文集、2008年)』によると、収穫された葡萄は「トロッコで入口まで運ばれ、手動式小形起重機で2階に運び上げられた」「2階で葡萄が機械で搾られ、果汁は落し口から階下の樽に移され、そのまま醗酵させた」「地下室は中央に通路、その左右に小樽が横置きに並べられている」と醗酵室でどのように葡萄酒を作っていたかの一端が分る。
地下室にも窓があり、その外は地上に半円形に掘られた穴があって外光が入る仕掛け。
建築材料の煉瓦はかつてシャトーカミヤの敷地にあった煉瓦釜で焼かれたという。土も牛久葡萄園内のものだったらしい。その場所は醗酵室のすぐ東、現在、「FOOD OFFストッカー牛久柏田店」というスーパーになっている。
生産をやめたのはいつのことかと気にしながら「建設経緯と建築的特徴」を読んでいくと、「神谷葡萄園は戦時中に荒廃した」働き手が兵隊に取られてしまったせいだろうか。「戦後の農地改革により小作地として解放され、葡萄園の大規模経営は終焉した。現在は敷地の多くが宅地として分譲された」「戦後は規模を縮小して昭和45年に貯蔵・生産を中止した」とあった。
生産高は明治大正を通して、葡萄酒が一般家庭には普及しなかったので、150-180石前後であまり延びなかった。戦後はさらに縮小してしまったと思われる。銘柄はやはり「蜂ブドー酒」だったのだろうか。記念館には明治40年頃の製造とされる「牛久葡萄酒」が展示されている。



神谷傳兵衛記念館裏(北)側。

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牛久シャトー本館。茨城県牛久市柏田3612。2005(平成17)年12月13日

神谷傳兵衛は「蜂葡萄酒」と「神谷バー-電気ブラン」が有名で、洋酒がよほど好きだったのだろうか。『牛久シャトー』によると、子供の頃に酒造家の裕福な暮らしを見て、将来は自分もと思ったらしい。横浜の洋酒醸造所で働くようになる。病気になったときに、葡萄酒を飲まされて全快した経験が決定的だったようだ。1886(明治19)年に、輸入した葡萄酒を甘くした「蜂印香竄(こうさん)葡萄酒」を売り出して成功する。次に考えたのは、ブドウ栽培からワイン醸造までの一貫生産で、今までとはレベルの違う事業である。
神谷は小林傳蔵を婿養子として迎え、1894(明治27)年に彼を研究のためにフランス・ボルドーへ留学させる。小林傳蔵は優秀な人で、2年間でブドウ栽培やワイン醸造法を習得して帰国する。
1893(明治31)年には茨城県稲敷郡岡田村(現・牛久市)に23町歩(最盛期には160町歩、栽培面積40町歩)の「神谷葡萄園」ができあがる。1901(明治34)年3月に「牛久醸造場」の建設にかかり、1903(明治36)年9月に完成する。小林傳蔵が中心になって建設したように思われる。



「牛久シャトー本館」は、『国指定文化財等DB>シャトーカミヤ旧醸造場施設』の「事務室」で、1903(明治36)年竣工、煉瓦造2階建、「設計は、岡田時太郎が率いた岡田工務所で、シャトーカミヤの設計担当は、この時期に住所を岡田時太郎方とした森山松之助と推測される」とある。普通は岡田時太郎として森山松之助の名前は出てこない。
「事務室」とはいえ、迎賓館として建てられたと思われる。フランス・ルネサンス風の洋館。
『近代建築再見[上巻]』(山口廣+日大山口研究室著、㈱エクスナレッジ、2002年、1400円+税)に以下のような外観についての記述があるので引用してみる。「外観は付け柱(ピラスター)がなく装飾は簡素。1階中央のアーチとその上の三角破風(ペディメント)、傍の塔が大胆で華やかで外観をまとめている。入口アーチは中央より少し右にずれ、窓の配置も左右対称ではない。左右の端に腰折屋根(マンサード・ルーフ)を載せ外観全体をひき締めている。細部を描いていくと、軒の出の深い庇、2階の窓台、その下の腰蛇腹(コーニス)と3本の水平線が建物全体をめぐり、窓枠と窓桟の垂直線と調和(バランス)をとっている。」。
『近代建築再見』には、神谷が酒税法改正のために、シャトーに政治家・役員・文化人を招いて視察・試飲してもらった、という推測が述べられている。

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丸枡染色。葛飾区柴又4ー27。2006(平成18)年5月5日

柴又街道(都道307号)の柴又6丁目バス停の西側に、現在はスーパーのOlympicがあるが、その裏手に「丸枡(まるます)染色」の本社と工場がある。写真は敷地の北側にあった工場で(倉庫かもしれないが)、右奥のビルが事務所棟(1989年完成)。左の白い壁が新しい工場で、現在は切妻屋根の工場は取り壊されて時間貸し駐車場になっている。
丸枡』によると、丸枡染色は1901(明治34)年「丸桝友禅工業」として城東区亀戸に創業した。友禅とは布に模様を染める日本の代表的な技法。1939(昭和14)年に現在地に移転。事業の拡大で広い工房が必要になったのかと想像される。1969(昭和44)年「丸枡染色株式会社」に組織変更。この頃から対象を和服から洋服への転換を図ったらしい。以後、積極的に自動化、コンピュータの導入を進めていって現在の隆盛がある、ということらしい。今では小物、ストールなどの自社ブランドも持っている。



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模型くらぶ。葛飾区柴又4-7。2006(平成18)年5月5日

柴又駅前の広場から南へ、「柴又親商会」という商店街がある。逆に北へいけば帝釈天参道につながっている。親商会商店街は京成金町線の踏切までの間の200mと東の2本の横丁。この道路は踏切の先はそのまま京成の線路に沿うようにゆるくS字型にカーブしながら南西に延びて「さくらみち」(旧佐倉街道)にぶつかる。佐倉街道から柴又帝釈天へ向かう「帝釈道」の古道である。この古道はさらに南西に延びて「諏訪野の渡し」で中川を渡り、葛飾区立石8-38の「帝釋天王/文政三庚辰歳四月」の道標に至る。

柴又親商会の中程に「模型くらぶ」という模型店がある。HPを持っていて、そこには「昔ながらの模型屋です、古くて小っちゃいです宜しく」とある。『Bizloop>模型くらぶ』によれば創業は1976年という。店内を探せば古いストックがありそうな感じだが、店主は自分でも模型を作る人らしく、完成品の販売もしているということで、店の在庫品くらいは頭に入っている様子だ。

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三軒長屋。葛飾区柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

当ブログ前回の「アパート」の裏手といったところにあった平屋の三軒長屋。長屋とは言え3軒にそれぞれ門と玄関がついている。玄関の上の漆喰塗りの壁に空いている飾り窓が、それぞれ形が異なるのが面白い。まん中の家に「有限会社 ニッタ」の看板が出ている。
ストリートビューを見ると、2009年7月ではすでに更地で、2013年7月では現在の住宅が建っている。


長屋の前の道路は、水戸街道(国道6号線)の亀有警察署前交差点(葛飾区新宿4)と柴又帝釈天を結ぶ古道で、警察署裏手の旧水戸街道からの分岐点には「帝釈道」の道標が立っている。この古道を「国分道」ともいい、市川市の国分寺と結びつけられるらしい(『柴又七福神めぐり』)。「帝釈道」でもいいのだろうが、その名前の道は南から帝釈天へくるものもあって、区別するために「国分道」を使っているのかと思う。今は住宅街を通っているなんということもない道路だが、明治期までは帝釈天への往き来に結構人が歩いていたような感じの道筋だ。戦前まではこの道路の北側は水田が広がっていたようだ。



民家。柴又1-32。2006(平成18)年5月5日

三軒長屋の西の角を南へ入った路地。写真左奥に三軒長屋が写っている。現在は、なにかの商店だったらしい手前の家と、その左、三軒長屋との間にあった、やはり長屋と思われる家が、それぞれ同じような住宅に建て替わっている。

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アパート。葛飾区柴又1-46。2006(平成18)年5月5日

写真左の通りは、柴又駅と京成高砂駅を結んでいる通りで、京成金町線の西側を平行に走っている。ヤフー地図には「都道307号」の表示があるが、都道307号は普通は柴又街道を指すわけで、ここではその「支線」ということにしておく。写真のアパートは支線の柴又駅のすぐ北で、右へいくと柴又八幡神社。
特に珍しい建物でも無いが、ストリートビューで見ると2009~2013年の間に取り壊され、2015年に現在の新しい店舗付きアパート、「ともよし荘」が建ったので、記録として出しておく。
写真のアパートの店舗は、奥から「婦人服の店 サクラヤ、不明、はり・きゅう・指圧 草間マッサージ院、メガネのまつざわ」。



ストリートビュー、2009年7月より

1枚目写真の左奥は五叉路の交差点。その方からの、ストリートビュー(2009年7月)の画像。歩道の内側に信号がある。「支線」の左側の車に向いているのだが、その車に「注意して進め」と指示しているようだ。支線に侵入してくる他の道路は一時停止になっているので、ほとんど意味が無いと判断されたのか、2015年に撤去されたようだ。

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