両国公会堂。墨田区横網1-12。2004(平成16)年3月27日
『日本近代建築総覧』では「墨田区両国公会堂(旧本所公会堂)、建築年=大正15年(1926)、構造=RC(4階建)、設計=東京市(森山松之助)、備考=「建築世界」T15.09による」。
『東京建築懐古録』(読売新聞社編・発行、1988年、1600円)によると、安田財閥の安田善次郎(1838-1921)の遺志にもとづいて遺族が350万円と安田家本邸を東京市に寄付して作られた。総工費336,900円、大正15年6月完成。1階がホールで、2、3階が定員790人の講堂。
設計者の森山松之助について、『近代建築ガイドブック[関東編]』(東京建築探偵団著、鹿島出版会、昭和57年、2300円)の解説文を書き写してみる。
森山松之助(明治2年~昭和24年)
明治の末から大正にかけて台湾で活躍し、旧総督府はじめ今日もなお数多く遺る台湾の華麗な洋風建築はほとんど彼の手によったという。帰国後は民間に事務所をひらき、町の小商店である、同族会社のオフィスビルであれ、また銭湯であれ何でも手がけ、一方また華族の大邸宅も多くこなすという、幅の広さを身上としているが、彼の偉さは、商店や銭湯といえども決して気ばらず、同じ気持で着実に作っていった点である。民間建築課の鑑のような人物であった。
『東京建築懐古録』には「戦後は、一時、占領軍のダンスホールにも使われたが、労働組合の全国大会、テレビの公開録音などに利用された」とある。昭和42年4月に、東京都から墨田区に移管された。
老巧化により2001年より使用停止となり、墨田区は建物を改修して残すように動いたものの経費などの面から解体された。2015(平成27)年8月からの解体工事は年内いっぱいかかったようだ。その後「本庄松田家屋敷跡」の発掘調査が行われて、跡地には「刀剣博物館」が建ち、2017(平成29)年1月に開館した。
両国公会堂(西側)。1988(昭和63)年4月10日
講堂。『東京建築懐古録』より