三井本館(南西角)。中央区日本橋室町2-1。1985(昭和60)年4月14日
『ウィキペディア』や『三井広報委員会』などを参照すると、三井本館は、アメリカ〈ニューヨーク〉のトローブリッジ&リヴィングストン事務所が設計しジェームズ・スチュワート社が施工。鉄骨鉄筋コンクリート造、地上5階(現7階)地下2階建、屋上塔屋付。
三井なら設計施工は横河民輔・横河工務所になるはずだが、三井合名理事長・團琢磨はアメリカの会社に決めた。工期の問題が大きかったらしい。震災復興期で、横河工務所は目いっぱい仕事を抱えていたのかもしれない。「近代化された建築生産方式を導入し、当時6年かかるといわれた工期を2年8ヶ月で完成させた」(『三井不動産>ニュースリリース>2009年』)という。工程管理などの手法を学んだということもあったのだろうか。
大正15年6月24日起工式、昭和2年11月10日上棟式、昭和4年3月23日竣工、6月15日開館した。総事業費2,131万円は通常の10倍の単価で、現在の価値にして約1,000億円という。さすがは財閥である。隣に建った39階建ての日本橋三井タワーが建てられそうだ。今は贅沢な建物を建てようにも、株主から「そんな金があるなら配当に回せ」ということになるから、建物に金をかけることはできない。それができた時代の遺産として、三井本館を眺めることもできる。
昭和初期は昭和恐慌の時代で、不況にあえいでいた。労働者は首を切られ、学校を出ても就職先がない、農村では娘を身売りする、という事情が一方ではあった。財閥はドル買いで大儲けしていると反感を買っていた。三井本館のような建物に大金を、それもアメリカなんかに建てさせるなんて、と三井も憎まれていたようである。1932(昭和7)年3月5日、團琢磨は三井本館南の玄関前で車から降りて建物に入ろうとしたときに、菱沼五郎(血盟団、22歳)に射殺された。享年75。
三井本館。2003(平成15)年5月4日
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