ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




水明亭。新宿区霞ヶ丘町11。2017(平成29)年12月8日。

霞ヶ丘町(かすみがおかまち)といってもぼくなどは知らなかったのだが、明治神宮外苑である。林の中の一軒家で、不思議な立地だが、ちゃんぽんと皿うどんの店として有名だったらしく、ネット上には多くのサイトで取り上げられている。
創業は1960(昭和35)年で、店舗もそのときに建ったのだろうか。「明治神宮外苑水泳場(神宮プール)」の横に出店したので「水明亭」の店名になったそうだ。2018年10月31日で閉店した。「閉店のお知らせ」の張り紙には「建物所有者の事業変更に伴い」とあったが、事情はさっぱり分からない。
ありゃりゃサンポ>ちゃんぽんの水明亭の跡地」を見て驚いた。水明亭の外壁裾の石積部分が残されて休憩場に替わっている。その案内板には「この広場一帯は、かつて水泳場東側苑地と呼ばれ、明治神宮外苑創建時(大正一五年/1926年)に建造された北部大番町寄休憩所の建物がありました。/この休憩エリアは、歴史的な建造物を後世に伝えるべく、建物の形状を一部復元し、使用されていた石材を再利用しております。/令和元年8月 明治神宮外苑」とある。北部大番町寄休憩所を土台にして水明亭を建ててしまったということになりそうだが、そのへんに案内板が「水明亭」に言及しない理由があるかもしれない。



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慶応大学北里記念医学図書館。新宿区大京町(だいきょうちょう)35。2017(平成29)年12月8日

三田評論2011年12月号』によると、慶応大学信濃町キャンパスの医学図書館は、昭和46年に「医学情報センター」、平成5年に「医学メディアセンター」と改称されているが、普通は「北里記念図書館」の名称が使われているらしい。
北里柴三郎は初代医学部長。北里が没して3年後、昭和9年に博士を記念するための北里博士記念医学図書館建設会(会長は長山本達雄、日本銀行総裁、大蔵大臣等を務めた実業家、政治家で、当時義塾評議員会議長)が作られ、2600人から30万円の寄付によって昭和12年(1937年)10月に竣工した。
設計者は和田順顕(「横浜郵船ビル(昭和11年)」が有名)、施行は清水組。構造はRC2階建。


北里記念医学図書館、背面

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慶応大学予防医学教室。新宿区大京町(だいきょうちょう)30。2017(平成29)年12月8日

JR総武線信濃町(しなのまち)駅前の慶応病院(慶応大学信濃町キャンパス)の裏に、通りを隔ててつい最近まで3棟の昭和初期に建てられた慶応大学医学部の建物が並んでいた。北から「予防医学教室」「北里記念医学図書館」「慶応大学病院別館」だが、別館は2009年に取り壊されて、「大学病院3号館(南棟)」に替わった。
予防医学教室(校舎)の建物は『日本近代建築総覧』では、「慶応大学予防医学教室、新宿区大京町30、建築年=昭和4年、構造=RC4階(地下1階)建、設計=曽禰・中条建築事務所、施行=清水組、備考=「曽禰・中条建築事務所作品集」による、一部鉄骨、塔屋」。
三田評論2014年2月号』によると、総工費39万9千円の大部分17万5千ドルがロックフェラー財団からの寄附による、という。
また、昭和20年5月24日未明の空襲で、木造だった病院の主要部分は全焼した。その際、学徒挺身隊80名と看護婦270名、医局員、学生の敢闘によって、入院患者180名全員を別館や国民学校に避難させ、予防医学教室、図書館、別館を焼失から守ったという。病院に焼夷弾を大量にばらまくとは、米軍はなにを考えていたのだろう。


慶応大学予防医学教室、南側面

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近江屋写真用品両国分室。墨田区両国3-19。1986(昭和61)年9月7日

写真左の通りは京葉道路(国道14号)で、両国橋東の両国橋交差点と緑一丁目交差点との中間辺り。現在は「文友社ビル」(1991年1月築、8階地下1階建)が建っている。
戦後まもなくの建築と思われる建物は「近江屋写真用品株式会社 両国分室」と「近江屋倉庫」。
倉庫は写真をよく見ると石積みのように見える。『上浅青果店、春日屋米店/両国2丁目』に載せた「昭和20年9月28日」の写真の、両国国技館の左に見える焼け跡に残る建物がそれではないか。

デジカメWatch>2016.01.26』の記事によると、近江屋写真用品株式会社は写真機材卸業者の大手で、HANZA(ハンザ)という写真用品のブランドでも知られていた。1915年の創業。デジカメなどの普及で業績が落ち込み、電子映像関連に携わるも2004年10月にはフジカラーイメージングサービスに営業譲渡して解散した。



1989(平成元)年6月25日

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純喫茶 白鳥。墨田区両国4-33。1986(昭和61)年9月7日

JR両国駅の南の京葉道路(国道14号)の両国三丁目交差点を北へ入ったところ。現在は「大衆酒蔵 日本海 両国店」が入っていて、外壁などが改修されている。玄関上部、2階の2連アーチ窓のステンドグラスは残っているがその右の六角形の窓は潰された。
1969(昭和44)年の住宅地図に「白鳥ビル」で出ているので、そのビルと思われる。1965年頃の建設になるのだろうか。
撮影した頃には白鳥のはす向かい(両国3-24)に「高砂部屋」があった。そこには「ヴィラロイヤル両国」(1980.08築、7階建21戸)というマンションがあるのだが、その1階が高砂部屋だったのだろうか。

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サンロイヤルビル。千代田区神田駿河台2-4。1985(昭和60)年7月7日

当ブログ前回の「ウイーン」と同日の撮影。「サンロイヤル」という喫茶店の、「お城のような」「ロシアの教会のような」と言われるランドマーク的なビルである。『御茶ノ水駅サンロイヤルビル』には「1971.8(昭和46年)竣工」とあり、当初は「サンロイヤル」という大きな喫茶店として建てられたと思われる。写真では喫茶店の看板はなく、ピザとしゃぶしゃぶの店に替わっている。垂れ幕に「サンロイヤル」の文字があるが、社名として出ているのかもしれない。
このビルもついに建替えのため、今頃は解体工事が始まっているようだ。

都内には西洋の城郭のような外観にした喫茶店がいくつかある。新宿歌舞伎町の「王城」が有名だ。上野にあった「名曲喫茶ウィーン」の他に、今も建物は別の店になって残っている両国の「純喫茶 白鳥」を知っている。どれも同じような時期に建てられたのではないかと思う。

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