旧平櫛田中邸。台東区上野桜木2-20
2013(平成25)年11月6日
言問通りの谷中霊園入口(上野桜木二丁目交差点)際にある浄名院の裏手に、平櫛田中(ひらくしでんちゅう、1872〜1979)の住居とアトリエだった家が残っている。家の裏は谷中霊園が広がる。
田中は大正8年にアトリエを、大正11年に同じ敷地に住居を建てて、昭和45年(98歳)に東京都小平市に家を建てて移るまで、そこで暮らした。昭和48年に上野桜木のアトリエ・住宅は、田中の故郷である岡山県井原市に寄贈された。その後、田中の弟子の浜田氏が管理人を兼ねて住んでいたが、平成11年には空き家になってしまった。現在は「井原市の協力の元、平櫛田中先生の顕彰と建物維持、新たな芸術文化の育成・発信を願って、 地域やNPO、東京芸大等の有志により掃除・修繕と公開活動が折々おこなわれている」(『東京都の近代和風建築』(東京都教育庁編集、2009年)参照)。
敷地の南側中央の門から見て、左がアトリエ棟。玄関がある住居とは変な角度で建っているが、南北の軸に正確に建てたためだ。アトリエの天窓が北に向くようにこだわったのである。少しくらいならいいではないか、と思うが芸術家は少しでも夕日が差し込んではいけないと考えるのだろう。見えている部分は二階建ての、アトリエに付属する部屋がある部分である。『東京都の近代和風建築』によると、アトリエ棟は「木造平屋建、切妻造鉄板瓦棒葺」「変形の真束小屋組で、彫刻制作のために天井高を高くとる。屋根北側には近代木彫制作に適した採光用天窓を設ける」。手前に「木造2階建、寄棟造、桟瓦葺の附属棟を持つ」。
住宅棟は「木造2階建、寄棟造桟瓦葺、小屋組和小屋、外壁は下見板張」「起り破風付きの玄関」がある。
門を入った右側には住居棟の南に突き出た平屋の台所が付く。台所の南に風呂場が増築されている。田中は近所の銭湯を使っていたのかもしれない。
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