ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




中(あたり)質店。千代田区神田神保町2-5。2006(平成18)年3月31日

手前の駐車場(アップルパーク)はさくら通りにあった東洋キネマの跡地。現在は「住友商事神保町ビル」(2011年11月築、8階地下Ⅰ階建て)が建っている。
中質店』によると、「1931(昭和6)年、神田神保町のこの地で開業。……1993(平成5)年、本社を自社ビルに建て替え営業開始する」とある。写真の蔵は開店時の1931年頃に建てられたものなのだろうか。ストリートビューを見ると2013年以前に取り壊されて駐車場になっている。
撮影時にはとっくに看板の矢印のほうに、路地を出た横町の向かい側のビルに移っていたわけだ。そのビルが建つ前にあったのが、『伊勢屋和菓子、不言堂薬局』。



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ナカジマ青果店、ヤマザキショップ中島店。千代田区神田神保町2-10。2006(平成18)年3月31日 

靖国通りの専修大前交差点と神保町交差点の中間辺りを北へ入ったところにあった戦前築の二軒長屋。ストリートビューからだが、2019年に取り壊され、現在はマンション(8階建、2022年11月完成予定)を建築中。
ナカジマ(中島)青果店は戦後すぐの火保図に載っているので、戦前からある店かもしれない。ヤマザキショップは昭和50年頃の地図では「ナカジマ電気」で、電気店だった時期があったようだ。この二軒長野の裏に別の戦前築の二軒長屋がまだ残っている。


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早川写真工房。千代田区神田神保町2-42。1995(平成7)年6月25日

白山通りの西神田1交差点と専大通り-水道橋西通りの西神田交差点を結ぶ東西の通りの中央辺り。写真右奥は南の方向で靖国通りに出る。写真に写っている古い建物は戦後まもなく建てられたものだろう。現在は大原学園高等学校のビルが建っている。2009(平成21)年に開校しているのでその時に建ったのだろうか。
交差点角の家は「早川写真工房」。廃業しているように見えるがフジカラーの幟が立っていて、DPEの店だったようだ。そこから右へ、住宅、マイクロ印刷、川上商会。
右奥のビルは「昭和ビル/昭和図書株式会社」。『NISSEI>昭和ビル』によると、1959(昭和34)年の竣工。2001(平成13)年5月に現在のビルに建替えられた。『昭和図書株式会社』の会社沿革では、「1959年、昭和図書設立」「1964(昭和40)年、神保町倉庫を建て替え、本社ビルが完成」とあり、こちらの方が正しいようだ。
写真左の「阿部ビル/ベーカリーアベ」が今も変わっていない。

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セブンヘアー。千代田区神田神保町1-13。2006(平成18)年5月4日

白山通りとすずらん通りの交差点角にあった床屋。隣の「東明徽章」と一緒の、たぶん戦前築の看板建築。
東明徽章は昭和25-30年火保図に「バッチ東明社」と出ているので、戦前からあるバッジ・トロフィーの店かもしれない。『月光>神保町 救世軍』に、1976年に撮られた写真が載っていて、看板に「東明徽章工藝社」とある。
角の床屋は昭和50・60年代では、同じ床屋だが「理髪一番」だった。
ストリートビューからだが、建物は2019年に取り壊されて、2020年頃に2棟の3階建の家に建て替わった。

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猿楽町町会詰所。千代田区猿楽町2-3。1988(昭和63)年10月10日

昭和初期(1930年頃)に「猿楽町駐在所」として建てられたRC造の交番。その後、交番は廃止されて町会の詰所になった。現在は「千代田区 神田猿楽町町會詰所」の看板が掛かっている。2003(平成15)年6月に「千代田区景観まちづくり重要物件」に指定された。
戦後(昭和25-30年)の火保図では「×」で、交番のマークと思われる。1969(昭和44)年の住宅地図では「防火防犯詰所」。交番が廃止されたのは昭和30年代だろうか。建物の2階は町会詰所になってからの増築と思える。

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暁(あかつき)橋。中央区明石町-築地3
1985(昭和60)年6月2日

築地川南支流に架かっていた橋。暁橋の下流(西南)に備前橋があったが、そこから上流は1971(昭和46)に埋めたてられているので、川底は「築地川公園」という運動公園のようになっていた。暁橋は1985(昭和60)年に撤去されたということなので、撮影後まもなく解体工事が始まったのだと思う。
『東京路上細見2』(林順信著、平凡社、1987年、1900円)には、「明石町と築地とを結ぶので明築橋であるところを暁橋と改字した」とある。1927(昭和2)年3月の竣工で、両岸にコンクリートアーチ橋の橋台を張り出して中央部に鋼桁を渡した構造。『東京の橋』(伊東孝著、鹿島出版会、昭和61年、2200円)では「鋼桁橋のラーメン橋台橋」としているタイプ。
後方のビルは「日刊スポーツ新聞社」。現在は建て替わっている。

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三栄印刷。中央区明石町11。1985(昭和60)年6月2日

築地本願寺の裏を流れていた築地川南支流に架かっていた暁橋の南の袂にあった建物。聖路加国際病院の向かい側で、建物の前の通りは1996(平成8)年度に「聖ルカ通り」という愛称が付いた。木造3階建て、壁をレンガ風のタイル貼りにしたアパートのようだ。聖路加病院が完成した後の建築のようなので、昭和10年前後の建築かと思われる。1986(昭和61)年の住宅地図では建物の左2軒が「三栄印刷」。
中央区立図書館>地域資料室>画像データ』の「明石町付近-暁橋東詰山崎宅」の写真は屋根の形が分かり、右横が少し見えている。
現在は周辺の民家と共に「ミキジ明石町ビル」(1989年5月築、6階建)というオフィスビルに替わっている。「ミキジ」は当ブログ「堺橋際の洋館/明石町」の「三木治商店」からきているのだろう。

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