ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




コロンビア。横浜市中区野毛町2-94。2010(平成22)年4月10日

「ジャズ喫茶ちぐさ」は2007(平成19)年1月に、野毛町1-23にあった店がビル建設のため閉店していたが、2012(平成24)年3月に写真のコロンビアの建物で再開した。建物は築70年というから1950(昭和25)年頃に建てられたものらしい。現在は「ジャズミュージアム・ちぐさ」として建直しの最中。
ちぐさの創業は1933(昭和8)年で、当時20歳だった吉田衛による。吉田氏がジャズとどのようにて結びついたのか気になる。『 CHIGUSA Records>「ちぐさ」の親父 吉田衛 横浜昔ばなし』によると、吉田氏は1913(大正2)年生まれ、山下町の生まれ育ちで父親は輸出物の荷造業。社交ダンスに魅了されて、まずはチャブ屋、ダンスホールが出来るとそこに通い、そこで演奏される音楽が好きになった。ぼくには昭和10年頃に、日本ではジャズがどれほど一般的になっていたのか、さっぱり分からない。ルイ・アームストロングやデューク・エリントンなら日本でも知られていたのかもしれない。じきに、「敵性音楽」になって聞くことはまかりならん、となってしまう。最近の中国も同じようなことをしている。他人のことと笑っていらないと思う。
吉田氏は兵役から戻ると、1947(昭和23)年にちぐさを再開する。日本でもベニー・グッドマンが人気になるが、吉田氏はなにを聴いていたのだろう。とにかくジャズの歴史をリアルタイムで体験してきた人ではないだろうか。

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もみぢ菓子司舗。横浜市中区野毛町2-64。2010(平成22)年4月10日

村田家の、野毛柳通りの向かいにある一軒家の日本建築の和菓子店。野毛の飲食店街でこの建物はなかなかのオーラを放っている。1946(昭和21)年の創業だから、そのときに建ったのだろうか? バラックから始まって何年かしてからこの店舗を建てたのかも知れない。本町小学校の生徒が作った「もみぢさんのせんでんポスター」が楽しい。それによって、店主が「にしむらさん」で、趣味は釣り、ドラヤキは白あんの方が好き、などと分かる。「1961年から」の次が読めない。
もみぢの右は「ちんちくりん」という居酒屋。2015年に現在の「jin-bay」という立ち飲み屋に替わり、その時に内装や正面の外観を改修している。右にあった入り口を左に替え、そこにあった窓を2階に移したようである。「サンドイッチ各種 アイスクリーム 珈琲60」の文字は元は1階にあった。コーヒーが60円というと1960年代だろうか。

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村田家。横浜市中区野毛町2-65。2010(平成22)年4月10日

魚料理の老舗として野毛町では有名な店。定食のメニューが豊富で、それが夜でも注文できるとか。店の外観から予想できるような値段なのだが、近頃は外観に反して高い値段の店もけっこうある。この店は安心である。
はまれぽ>野毛の街の歴史について教えて!』によると、村田家は1945(昭和20)年、ふぐ料理店として開業したらしい。当時の店主は戦中、下関の「春帆楼」で修行した人で、神奈川県のふぐ料理免許制度を導入するのに奔走し、他の店の指導もした。
戦前は伊勢佐木町にあって、接収によって野毛町に移ったという。その伊勢佐木町の村田家という米屋の名前を引き継いだのが店名の由来という。
村田家のHPには「創業60年」とあり、そうすると1963(昭和38)年頃になる。これはどう考えればいいのだろう?
建物は木造平屋で、昭和20年代のものに見える。今や周囲に木造平屋の建物はまずないだろう。正面はモルタル壁の四角い外観だが、2013(平成25)年末に「改築」されて、モルタル壁はなくなり、下見板の壁は新しくなった。外観が変わらないように改修したように思える。

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H邸。大田区山王2-35。2009(平成21)年4月12日

ジャーマン通りのすぐ裏手にあった洋館。ジャーマン通りがいつ開通したのか、ネット上では調べられなかったが、1963年の航空写真にはあるので、1960年頃だろうか。
大森テニスクラブのテニスコートの辺りから入っている池尻川支流の谷は、ジャーマン通りの手前から東からの谷と合流して西へ向かう(散歩の途中>26大森山王の池尻川跡をたどる)。ジャーマン通り南の東西の路地は川を直線に整備した用水路の跡らしい。『goo地図>古地図』の1947年の航空写真ではその路地は黒く写っていて、水面が写っているのだろう。上写真の車止めのある路地がそれ。
都市徘徊ブログ>H邸』によると「構造・階数:木・1、建設年代:戦中〜戦後まもなく、解体年:2011(平成23)」。撮影時では建物は破損したところがあちこちに見られ、空家だったと思われる。


右写真の出窓は建物東側側面のもの。窓の上部は海をモチーフにしたステンドグラスが5枚はまっている。庭木が邪魔で側面の全体は撮れなかったが『都市徘徊ブログ』には、木が伐採されていてきれいに写っている写真が載っている。
右写真の左に車が写っている。それを見たときはまだ住んでいる人がいるのかと思ったが、この車は「日産ブルーバード312型」のようだ。1961-63年に発売された車だから、動かなくなって久しいと思われる。



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有限会社しみず。大田区山王2-22
2009(平成21)年4月12日

当ブログ前回の「階段下の家」の隣(上)にあった家。表札は「有限会社しみず」で、Googleマップでは「しみず文法具店」としている。店舗ではないから、会社の住所となっているのだろう。昭和22年の航空写真に写っている建物のようなので戦前築の民家と思われる。
2022.10のストリートビューでは、家は取り壊されて整地されている。マンションが建つのだろうか。

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階段下の家。大田区山王2-22
2009(平成21)年4月12日

JR大森駅西の台地は大森テニスクラブのテニスコートの東が最も標高が高いらしく、地形図に23mの記載がある。そこから北へ谷が入っていて、池尻川の支流になるらしい(散歩の途中>26大森山王の池尻川跡をたどる)。谷の西側の裾沿いにジャーマン通りに出る道路がある。その道路から台地へ上がる道は2本あるがいずれも階段。周囲は高級住宅街で、割と広い敷地に建つ立派な家が目立つ。
写真の家は南の方の階段(家の後ろにある)の下にあった。すでに空家かも知れない。ストリートビューで見ると、2016年頃に取り壊されて駐車場にしているようだ。

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