ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 




市川屋荒物店。千代田区神田淡路町2-4。2003(平成15)年3月23日

当ブログ前回の松林舎クリーニング店の並びで、左写真右のビルが外堀通りとの角にある。現在は市川屋の右の空き地に「エリズフローラ」(2005年8月築、5階建5戸)というマンションが建ったが、4軒の古い2階建の家はまだ残っている。「荒物金物雑貨」の看板の市川屋は日除けが同じようだから2棟の家で同じ市川屋なのだろうか。左のほうは2012年12月開店の「三日酔」という「カレーとウイスキーの店」になっている。右の空き地は「ニッポン」という理髪店だった。
出没!アド街2007.09.18神田淡路町』では市川屋は29位で「大正初期創業の荒物屋。店内には、掃除道具など日用品と共に、昭和中期に売り出された灰皿や、囲炉裏や長火鉢の灰をならす為の道具などが整然と並んでいます。」と解説されている。

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松林舎クリーニング店。千代田区神田淡路町2-4。1988(昭和63)年8月14日

靖国通りの淡路町交差点付近の裏通りで、昭和末の景観である。写真正面奥が、かつて「加島屋酒店」があった五叉路。写真左のビルは「同和病院」、正面の建物は「須田町北部会館」。
写真右の家並みが最近まであまり変わらない感じで残っていたが、写真右の電柱の後の「松林舎」が2023年5月に取り壊されてしまった。
出没!アド街ック天国 神田淡路町』は2016年放送だが、松林舎は12位で「創業明治37年のクリーニング店で、お店は女性3人の家族経営。4代目の田中すみさんはアイロン仕上げを担当していて、その丁寧さはぼたんといった老舗からも頼りにされている。」と解説されている。店主の高齢化に加えコロナ禍もあったようだが、2021年6月末で廃業していた。

松林舎。2003(平成15)年3月23日

写真左の家は、現在では建て替わったか全面改装されたかできれいな建物に替わり「八百松」という青果店になっている。松林舎は撮影した数年後だと思うが、壁面をクリーム色に塗り直している。

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矢澤煉瓦蔵。静岡市葵区七間町8
2020(令和2)年11月18日

駿府城を背にした静岡県庁の正面から南へ通じている通りが「七間町(しちけんちょう)通り」。600m余で駿河町通りにぶつかり、その先は駿河町通りになる。七間町は古くからの繁華街で、明治期には演劇などの娯楽街として栄えたらしい。1948(昭和23)年には七間町通りにアーケードが架かり、七間町のシンボルだった「地球ネオン」ができた。空襲で焼失した後、3年で復興してしまったらしい。1950年代までは映画館が建ち並び、最盛期には10館もあったという。

矢澤煉瓦蔵は七間町通りの中程を東へ入ったところにある。明治末の建築で、漆器店の倉庫だった。煉瓦造2階建。2011(平成23)年9月、静岡市の「景観重要建造物」に指定された。現在は「GALVO GALLERY」というブティックが入っている。

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静岡銀行本店。静岡市葵区呉服町1-10。2020(令和2)年11月18日

静岡市の駿府城の南の繁華街に戦前に建設されたビルが3棟残っている。何れも中村與資平設計になる、静岡市役所本館、県庁本館と静岡銀行本店である。静岡銀行本店は本通り(県道208号)の呉服町一丁目交差点から西へ向かう呉服町通りとの角にある。本通りの向かい側には日本銀行静岡支店と清水銀行静岡支店があってさながら金融街だ。
静岡銀行本店は「三十五銀行本店」として1931(昭和6)年に建てられた。設計=中村與資平、施行=清水組、構造=RC造3階建。西と北面に4本のドリス式オーダーをもつ古典主義様式の重厚な銀行建築だ。
昭和15年1月15日の大火、また昭和20年6月19日の空襲では周囲の木造家屋はすっかり焼失したと思われるが、銀行社屋は類焼を免れている。RC造だったからにしても、緻密な設計と施工が関係しているのだろうと思わずにはいられない。

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静岡県庁本館。静岡市葵区追手町9。2020(令和2)年11月18日

1937(昭和12)年6月竣工、設計=中村與資平、施行=勝呂組、RC4階一部5階建。ただし、泰井武の原案に基づいて中村が実施設計をした。中庭が2カ所ある日の字形の平面。
ふじのくに文化資源データベース>静岡県庁本館』によると、1934年、新庁舎建設が県議会で可決されて、浜松出身で静岡市役所を設計した中村に依頼しようとしたが、費用が高すぎるとして、懸賞募集をおこなうことになる。中村はいったいどんな建物を考えたのだろう。県庁だから市役所以上に豪華なものにしようと考えたのだろうか。『国指定文化財等DB>静岡県庁本館』には「昭和9年の懸賞設計当選案(泰井武案)に基づき,大村巳代治ら県営繕の実施設計により竣工」と解説文にある。泰井は1926年開催の神奈川県庁舎懸賞設計に応募し、三等二席に入選している。
「帝冠様式」と言われるが、見た感じは無理矢理日本趣味を付け加えたようには見えない。すっきりとまとまった近代建築だと思う。


静岡県庁(北側)。2014(平成26)年11月18日

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静岡市役所本館。静岡市葵区追手町5。2014(平成26)年11月28日

静岡市役所の向かい側は県庁だが、その横が駿府城の「大手御門跡」の石垣。追手町(おうてまち)は大手町と同じ意味だという。
静岡市役所本館は、設計=中村與資平、施行=勝呂組(かつろぐみ)で1934(昭和9)年の建設。RC4階建、塔屋付き。1986(昭和61)年に新館が完成し、それ以降「本館」と称されたのかと思う。スペイン風の様式建築で、完成時は塔が市内のどこからでも見えたに違いない。時代は様式建築の時代は過ぎた頃だと思うが、中村與資平の強い希望があったようだ。静岡市も同郷の出身である中村に是非、という思惑があったのだろう。市役所にしては贅沢な建物だが、今ではかえって市のステータスになっている。
勝呂組は、『ふじのくに文化資源データベース』によると、1882年頃創業の地元の土木工事施工会社。東海道本線富士川橋梁に携わり、阿倍川橋(1923年)と富士川橋(1924年)が現存する。建物では静岡地方裁判所(1913年)、県庁本館(1935年)など。1962年に別子建設と合併して住友建設になり、現在は三井住友建設。



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