ぼくの近代建築コレクション
東京の都心と下町を中心に、戦前に建てられた古い建物の写真を投稿していきます。
 



松山寿し。台東区台東3-20
2008(平成20)年3月1日

写真の街灯にあるように、「末広会商店街」のまん中辺りで、写真右端の家が最近建て替わったが、その左の四軒長屋は今も残っている。商店街の通りは「すえひろレンガ通り」という。2009年に台東区が命名したという。昭和通りの台東1交差点と台東3交差点の間のまん中当たりから東へ向かう通りで、330mの長さ。
「安心堂」から左が看板建築の四軒長屋で、左端は路地の角。白っぽい日よけが「松山寿し」で、かなりの老舗だという。安心堂は1966年の住宅地図では「安心堂ゴム靴店」、その左は「中華珍味」。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、出版:デコ、2013年、1800円+税)に4軒長屋が写っている昭和42年撮影の写真が載っている。長屋の左端の家の看板をむりやり読むと「家庭文化用品 エンゼル印発売元 株式会社東洋アルミ」だろうか。エンゼル印はたぶん魔法瓶。

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左:コーポ谷口。台東区台東3-38。1988(昭和63)年12月31日
右:看板建築の長屋。台東3-38。1992(平成4)年3月22日

当ブログ前回の坂井邸の南のブロックが台東3-38。西側は裏通りだが、それ以外の3面は路地である。1992年までは「竹の湯」という銭湯があった。
左写真の家はその街区の北側の真ん中あたりで、現存している。「コーポ谷口」の表札がかかっているからアパートなのだろう。現在は写真左の部分(「表千家茶道教授」の看板から左)が建て直されたか改装されている。
右写真の看板建築の長屋は台東3-38の街区の南東角。今も建物は残っているが、正面は改装されてきれいになり、見た感じがだいぶ違ってきている。

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坂井邸。台東区台東3-45。1985(昭和60)年10月27日

昭和通りの台東三丁目交差点と、清洲橋通りの小島二丁目交差点を結ぶ通りから昭和通りに近い横丁を南へ入ったところにあった商家。坂井邸と名前を出してしまったのは、すでに建物がなくなったのと、『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「65坂井邸、台東3–45–4、木造2階建て、出桁、1階洋風」で載っているからだ。
出桁造りの和風の家だが、1階はタイル貼りの壁に洋式のドア。ショーウインドーがあるので商家だったと思うのだが、斜め棒のドアは小売店らしくない。『アクトデザイン凛太朗のブログ>台東1丁目~4丁目散策Ⅱ』では、細かく観察していて細部の写真も載せている。1階壁のタイルは横に線が引かれたスクラッチタイル、2階の銅貼りの戸袋は麻の葉模様、と分る。

坂井邸は2022年には取り壊されて「うれしい保育園仲御徒町駅前」(2023年4月1日開園)という施設になった。



坂口薬局、坂井邸。1992(平成4)年3月22日

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フランセ、西川商店。台東区台東3-44。1992(平成4)年3月22日

台東3–44は昭和通りの台東三丁目交差点を東へ入った3ブロック目。東北角に「武蔵野和菓子店」があった街区。その東側の家並みである。建物はどれもまだ残っている。右(北)から、カットルームおかち、フランセ(コーヒー&ランチ)、しもたや、西川商店の3軒長屋。
1986年の住宅地図では、右から「石川、フランセ、ライオン」となっている。『昭和の東京2台東区』(写真:加藤峯夫、デコ、2013年、1800円+税)の1968年撮影の武蔵屋の写真に「疊石川」の看板が見える。



稔金属工業。台東3-34。2003(平成15)年10月23日

西川商店の三軒長屋の角は、1966年の住宅地図では「皆川製作所」で、その角を西へ入ったところから撮った写真。1986年の地図では左の家が「稔金属工業」。写真では緑の日よけに「コアフィル マキ」と読める。ストリートビューを見ると2017・8年頃、右の家と共に「丸幾(まるいく)商会」のビルに替わった。

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會田商会。台東区台東3-41。2003(平成15)年10月23日

右奥が昭和通りで、その台東三丁目交差点の1本南の横丁。會田商会(室内電気工事)は銅板貼りの看板建築、奥の毎日新聞専売所は石積み風に見せたトタン?貼り壁面の看板建築だ。新聞店の建物には昭和通りに面した表側に「民華」という中華料理店も入っている。
『台東区近代洋風建築調査報告書[データ編]』(平成8年)に「60、中華民華他、台東3–41–5、木.2、2棟」「61、あいだ他、台東3–41–7、木.2、銅板貼り、2棟」で載っている。これだけでは写真で分る以外の情報はない。「2棟」というのは2軒長屋形式ということだろう。
民華はかなりの有名店だったらしく、ネットに大量のサイトが出てくる。『アド街ック天国、仲御徒町2009.12.19放送』では14位で、解説に「昭和22年に創業した中華料理屋。戦前は製麺所」とある。
ストリートビューを見ると、2015年頃には民華の隣の「東慶商会」のビルが取り壊され、同年11月に民華は火事で焼失、2018年に「松屋」がなくなっている。それらの跡地に建ったのが「ホテルマンデープレミアム上野御徒町」で、2020年4月の開業。


左:會田商会、1988(昭和63)年12月31日
右:民華の並び。ストリートビュー(2013年7月)より

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浜田病院。千代田区神田駿河台2-5。2003(平成15年)12月18日

産院として有名な浜田病院は歴史ある病院で、1894(明治27)年に「東京産婦人科病院」として開設され、1914(大正3)年に浜田病院と改称された。写真の建物は、1966(昭和41)4月に建ったもので、5階建のようだ。建物全体を写した写真が『千代田遺産>浜田病院』に載っている。竣工時は病床が82あったが、1995(平成7)には、4・5階に健診センターを開設して、43床になっていた。
現在は「御茶ノ水ファーストビル」(2008年7月築、14階地下2階)に建て替わり、病院はその1-4階に入っている。

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ヴィクトリア本店。千代田区神田小川町3-4。1987(昭和62)年8月1日

神田小川町の靖国通り沿いを中心に立並ぶ運動具店の代表的な1軒であるヴィクトリア本店の旧建物。写真右奥が靖国通りの正面。
1969(昭和44)年の住宅地図では、建物がページで切れていて、北半分に「美津濃スポーツ/第一銀行神田支店」、南半分に「第一銀行事務部分室/駐車場」という記載。どうも写真のビルは第一銀行神田支店だったらしい。美津濃スポーツは靖国通りの向かい側に、撮影当時は、1951年に建てたビルがあったはずだ。
ヴィクトリアがいつから写真のビルに入ったのか、現在のビルに替わったのがいつなのかは分らない。『荷風! vol.7』(平成18年、日本文芸社、880円)によると、「昭和45年(1970)、駿河台下交差点の角地に「ビクトリア」が巨大店舗をオープンさせる」とあり、現本店はその何年か後になるのだろう。

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