魯生のパクパク

占いという もう一つの眼

情報占い

2010年03月24日 | スタンス

昨日は、放送記念日とやらで、NHKの座談会「テレビ新聞の未来」を観た。『何を今頃』と思った。

新聞テレビの代表はご老人で、ネット代表が若手で、仲を取り持つ中年の組み合わせだった。
ご老人達は、若いネット代表が「マスメディアとネットは別の国だと思ってください」と言う意味も解らなかった。

座談会の様子は、そのまま現在の情報構造を表しているようで、可笑しくもあり、情けなくも思った。
マスコミ批判の中年と、ネット側の若手は、『この人等に何を言ってもムダ』という顔をして、さしたる議論にもならなかった。

最後に、一杯寄せられた意見を、「全部お伝えできなくて申し訳ありません」と、言いながら終わった。
『だから、それをネットで伝えればいいじゃん』と、オチに笑った。

テレビ新聞のご老人は、まだまだ若いもんには負けんと、年寄りの空元気のように、マスコミの権威を言いつのっていた。
学者のおばちゃんは、友人の知識人が、最近、新聞を止めたがどうもなかったと言ったのを聞いて、ショックを受けたと言った。

今日から日経電子版が鳴り物入りで始まったが、4000円は常識はずれだろう。紙の新聞と同じつもりでいる。ダメだコリャ Ψ

占いの方法
新聞は前世紀末の10年以上前に止めた。年賀状は新世紀をきっかけに止めた。(新聞

18歳の時、将来を聞かれて「浅く広く勉強します」と言ってしまった。「幅広く」のつもりが、言い間違えた。
が、しかし、それはある意味で、正しかったと思う。

占いのように「漠然とした真実」を把握するには、掘り下げた勉強より、適当に知る方がいい。

根拠ある確かな情報や学問は、現実社会には必要だが、
占いは、現実生活の行間を知り、全体像を知ろうとするから、つじつまの合わないところに、実像を求める。飛び交う知識の中に、論理では説明できない、実体を発見しようとする。

例えば、占学の場合でも、膨大な知識は聞き流す。古い知識は互いに矛盾している断片だから、その言わんとするところの共通性に着目して、原理を発見する。

世の中を飛び交う情報も、矛盾している。それを、取捨選択して論理的に組み合わせるのではなく、全部まとめて聞き流すと、おぼろげな実体が見えてくる。いわば、平均値の中にはシンプルな実体があり、それに基づいて、情報の信憑性を判断する。

この、占いの方法は、ネット情報との付き合い方に、ピッタリ役に立つと思っている。
新聞の記事を読むより、関連記事10本の見出しを読む方が、より実体が見えてくる。