クーチミラン

根を、張るときと花の咲くとき

昨日は、とても嬉しいことがありました

2024年05月14日 | 日記

昨日、とても嬉しいことがありました。それは講演会の聴衆として男女の中・高校生が団体として多数、参加していたからです。感受性が強く、将来の進む道を探っているであろう、そして悩むこともあろう年齢の彼ら彼女らにとって講師のお話は必ず役に立つはず、と私は思いました。講師は現国連事務次長、軍縮担当上級代表の中満 泉氏でした。主催は、我が町から誕生された総理大臣清浦奎吾氏のその就任100周年を記念するもので、私はその催しがあることをチラシで知ったその直後、ネットで妻ともどもの参加申し込みをし無事に受け付けて貰っていました。公演開始の直前には山鹿灯籠踊りの演舞がありましたが、その折、中満氏は生徒達に挟まれた状態で客席に座られていました。何でも無い場面ではありますが生徒達にとっては得がたい経験になったのではないでしょうか。講演の終盤には当然のことに、質疑応答が採り入れられていましたが、極めて残念なことに高校生3人、それも女生徒だけによる質問で終わりました。会終了後、偶々、退室が同時となった女生徒に「質問したかったろ?」と話しかけますと、ハッキリとそれに頷いた答えが返ってきました。仕方ないことではありましたが、可能であれば別の機会にでも彼ら、彼女らとの懇談の場が設けられたら良いな、と夢の世界を願わずにはおれませんでした。講演の最後の部分では私にとっては正に、思いもよらない話が出てきて喜びが湧きました。当時の国際連(以前はですが)第2代目の事務総長だったハマーショルド氏の発言の紹介でした。中満さんは現在は還暦とのことでしたので当時の事は直接はご存じ無いのですが(私は、中学生の時、同氏に心酔して、新聞からか雑誌からか覚えていませんが、写真を切り抜き自分のアルバムに貼っていました。何故、心酔したかの原因も全く覚えていません)先輩から教わられて財産とされている言葉のようでした。それは、どんなに(現在のような)不安定な社会状況にあっても将来を悲観する必要はない。必ず、それを解決する存在の人が出現する、という意味の言葉でした。講師の中満 泉氏については私は日頃から、もしかすると私たちが屡々、食事に訪れる店(その社長さんとはインドへ旅したこともありますし)、また、その近くに住まわれる方とは皇居清掃でご一緒したこともありますが、何れの方も姓は中満と言われ、地域で多く存在する姓ゆえにその関係を中満 泉氏に対して推量していました。講師紹介の中で同氏について語られる中で私の全くの推量が正しかったことが判明しました。泉氏ご本人は東京生まれ、米国居住だそうですが、血筋を遡れば、私たち夫婦が屡々訪れる食事処がある地域の村長を14年間務められたり、また、別の方は総理大臣清浦氏と縁戚になられるとのことでした。


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