第7篇『見出された時』(失われた時を求めて)(1927年):サン=ルー嬢は私の失われた時のすべてを融合している!(333-382頁)
(23)
第1次大戦が終わって、「私」は既に50歳(1921年)だ。私は長く療養所生活をして世間とは疎遠になっていた。これまでの様々な経験から「私」は何に対しても無関心で、心は冷え切っていた。そんな時、ゲルマント邸から午後の集い(マチネ―)の招待状が来た。
(23)-2
途中で会ったシャルリュス男爵(70歳位)はすっかり老人になっていた。しかも脳卒中の麻痺が残る。彼から傲岸さは消えていた。午後の集い(マチネ―)では、ゲルマント公爵(85歳位)が「生きている限り希望はあるんだ。あまりくよくよしちゃいかんぞ」と「私」に言った。ゲルマント公爵夫人(80歳位)も元気だ。ヴェルデュラン夫人(ブルジョアの大富豪)は、今はゲルマント大公夫人になっていた。彼女は、夫が亡くなった後に、妻を亡くしたゲルマント大公と再婚した。
(23)-3
サン=ルー侯爵は亡くなったが、恋人だったラシェル(女優)は、今は大女優だ。しかし年寄り(50歳位)になっていた。オデット(元高級娼婦、亡くなったスワンの妻、今はフォルシュヴィル伯爵夫人)だけは、変わらず美しい。ゲルマント大公夫人(かつてのヴェルデュラン夫人)のお気に入りのヴァイオリニスト、モレルが、「ヴァントイユの七重奏曲」を弾いた。
(23)-3
「ヴァントイユの七重奏曲」は「私」に「失われた時」(過去)のすべてをよみがえらせた。「私」はジルベルト(50歳位;スワンとオデットの娘;オデットの再婚後フォルシュビル伯爵令嬢となる)にも会った。「年取ってから母に似てきたと言われるわ」とジルベルトが言った。
(23)-4
ジルベルトが「サン=ルーと私の娘よ」とサン=ルー嬢を「私」に紹介した。(※「サン=ルー侯爵」はゲルマント公爵夫妻の甥。)「サン=ルー嬢は私の青春そのもの!スワン家とゲルマン家が彼女の存在でひとつながりになっている!サン=ルー嬢は私の失われた時のすべてを融合している!」と「私」は思う。
(23)-5
「私」は泣いた。「私もまた時に逆らうことなく老いた!」「彼女(サン=ルー嬢)は私の失われた時そのものからかたち作られていた!」「すべてが繋がった――・・・未来・過去・現在!私の人生とは価値ある素晴らしいものだった!」「今だ・・・今こそ感じたモノを書き残すべきだ!」「私が生きてきた人生を!」「私が生きてきた失われた時のすべてを!」
(23)-6
「今や私は時空を超えた存在となった!」「私の失われた時は紛れもなく目の前に広がっている・・・」「あの感覚・・・・あの瞬間!音も味も感触もすべて思いだすことができる!」「今まで一度たりとも止まることなく流れてきた時間・・・それは私だけのものではなく、この世のすべての人々に今も脈々と流れ続けている!」
《参考》マルセル・プルースト(1871-1922)『失われた時を求めて』第1-7篇(1913-1927) 2021/11/13
(ア)「無意志的記憶」と「プルースト効果」!
テーマは「無意志的記憶」!それは、自身の意志とは関係なく、昔の記憶が蘇ること。例えば匂いと味が、意思と無関係に記憶をよみがえらせる。過去・現在・未来が交錯し、夢の中にいるような「非日常」的な世界が描かれる。Cf. ある匂いから関連した記憶が思い出されることは「プルースト効果」と呼ばれる。本作品では、「紅茶に浸したマドレーヌの匂い」から物語が展開する。
(イ)上流階級である「私」の幼少期から初老までの半生を描く!
自伝的小説。主人公の一生を追う。物語性はない。19世紀末から20世紀初頭のパリ社交界(サロン)が舞台。上流階級である「私」の幼少期から初老(死去51歳)までの半生を描く。
(ウ)『失われた時を求めて』第1-7篇(1913-1927)!
『失われた時を求めて』:第1篇『スワン家のほうへ』(スワン家の人々)(1913年)、第2篇『花咲く乙女たちのかげに』(海辺の乙女たち)(1919年)、第3篇『ゲルマントのほう 』(ゲルマント家の人々)(1920年・1921年)、第4篇『ソドムとゴモラ』(シャルリュス男爵の素顔)(1921年・1922年)、マルセル・プルースト死去(1922年)、第5篇『囚われの女』(ヴァントイユの七重奏曲)(1923年)、第6篇『消え去ったアルベルチーヌ』(新たなる真実)(1924年)、第7篇『見出された時』(失われた時を求めて)(1927年)。
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第1次大戦が終わって、「私」は既に50歳(1921年)だ。私は長く療養所生活をして世間とは疎遠になっていた。これまでの様々な経験から「私」は何に対しても無関心で、心は冷え切っていた。そんな時、ゲルマント邸から午後の集い(マチネ―)の招待状が来た。
(23)-2
途中で会ったシャルリュス男爵(70歳位)はすっかり老人になっていた。しかも脳卒中の麻痺が残る。彼から傲岸さは消えていた。午後の集い(マチネ―)では、ゲルマント公爵(85歳位)が「生きている限り希望はあるんだ。あまりくよくよしちゃいかんぞ」と「私」に言った。ゲルマント公爵夫人(80歳位)も元気だ。ヴェルデュラン夫人(ブルジョアの大富豪)は、今はゲルマント大公夫人になっていた。彼女は、夫が亡くなった後に、妻を亡くしたゲルマント大公と再婚した。
(23)-3
サン=ルー侯爵は亡くなったが、恋人だったラシェル(女優)は、今は大女優だ。しかし年寄り(50歳位)になっていた。オデット(元高級娼婦、亡くなったスワンの妻、今はフォルシュヴィル伯爵夫人)だけは、変わらず美しい。ゲルマント大公夫人(かつてのヴェルデュラン夫人)のお気に入りのヴァイオリニスト、モレルが、「ヴァントイユの七重奏曲」を弾いた。
(23)-3
「ヴァントイユの七重奏曲」は「私」に「失われた時」(過去)のすべてをよみがえらせた。「私」はジルベルト(50歳位;スワンとオデットの娘;オデットの再婚後フォルシュビル伯爵令嬢となる)にも会った。「年取ってから母に似てきたと言われるわ」とジルベルトが言った。
(23)-4
ジルベルトが「サン=ルーと私の娘よ」とサン=ルー嬢を「私」に紹介した。(※「サン=ルー侯爵」はゲルマント公爵夫妻の甥。)「サン=ルー嬢は私の青春そのもの!スワン家とゲルマン家が彼女の存在でひとつながりになっている!サン=ルー嬢は私の失われた時のすべてを融合している!」と「私」は思う。
(23)-5
「私」は泣いた。「私もまた時に逆らうことなく老いた!」「彼女(サン=ルー嬢)は私の失われた時そのものからかたち作られていた!」「すべてが繋がった――・・・未来・過去・現在!私の人生とは価値ある素晴らしいものだった!」「今だ・・・今こそ感じたモノを書き残すべきだ!」「私が生きてきた人生を!」「私が生きてきた失われた時のすべてを!」
(23)-6
「今や私は時空を超えた存在となった!」「私の失われた時は紛れもなく目の前に広がっている・・・」「あの感覚・・・・あの瞬間!音も味も感触もすべて思いだすことができる!」「今まで一度たりとも止まることなく流れてきた時間・・・それは私だけのものではなく、この世のすべての人々に今も脈々と流れ続けている!」
《参考》マルセル・プルースト(1871-1922)『失われた時を求めて』第1-7篇(1913-1927) 2021/11/13
(ア)「無意志的記憶」と「プルースト効果」!
テーマは「無意志的記憶」!それは、自身の意志とは関係なく、昔の記憶が蘇ること。例えば匂いと味が、意思と無関係に記憶をよみがえらせる。過去・現在・未来が交錯し、夢の中にいるような「非日常」的な世界が描かれる。Cf. ある匂いから関連した記憶が思い出されることは「プルースト効果」と呼ばれる。本作品では、「紅茶に浸したマドレーヌの匂い」から物語が展開する。
(イ)上流階級である「私」の幼少期から初老までの半生を描く!
自伝的小説。主人公の一生を追う。物語性はない。19世紀末から20世紀初頭のパリ社交界(サロン)が舞台。上流階級である「私」の幼少期から初老(死去51歳)までの半生を描く。
(ウ)『失われた時を求めて』第1-7篇(1913-1927)!
『失われた時を求めて』:第1篇『スワン家のほうへ』(スワン家の人々)(1913年)、第2篇『花咲く乙女たちのかげに』(海辺の乙女たち)(1919年)、第3篇『ゲルマントのほう 』(ゲルマント家の人々)(1920年・1921年)、第4篇『ソドムとゴモラ』(シャルリュス男爵の素顔)(1921年・1922年)、マルセル・プルースト死去(1922年)、第5篇『囚われの女』(ヴァントイユの七重奏曲)(1923年)、第6篇『消え去ったアルベルチーヌ』(新たなる真実)(1924年)、第7篇『見出された時』(失われた時を求めて)(1927年)。