DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

日常的現存在の開示態の特徴③「曖昧さ」:誰もが、勝手なことを好きに言い、しかも何が本当か、事実か、解明しない!:ハイデガー『存在と時間』(1927)「【B】」「第37節 曖昧さ」

2019-08-06 16:34:15 | 日記
※「第1部 現存在を時間性へむかって解釈し、存在への問いの超越的地平として時間を究明する」「第1編 現存在の準備的な基礎分析」「第5章 内存在そのもの」「【B】現の日常的存在と現存在の頽落」「第37節 曖昧さ(Die Zweideutigkeit)」

(1)①世間話と②好奇心のなんという無責任!ここから生じる③曖昧さ:誰もが、勝手なことを好きに言い、しかも何が本当か、事実か、解明しない:!
A 「日常的な相互存在(※多くの人間たちの関係)において、・・・・接することのできるものについて、だれでもが一応のことを言えるようになると(※これは①世間話と②好奇心による)、何が真正な了解において開示されたものなのか・・・・決定できなくなる。」(※①世間話と②好奇心のなんという無責任!)これが「曖昧さ」(Zweideutigkeit)だ!(※誰もが、勝手なことを好きに言い、しかも何が本当か、事実か、解明しない!)(173頁)
A-2 この「曖昧さ」は、「相互存在」(※多くの人間たちの関係)に拡がる。(173頁)
A-3 さらに「現存在が自己自身に関わり合う存在」(※自我・自己イメージ)にも行きわたる。(173頁)

《感想1》日常的現存在の開示態の特徴をなす3つの現象が①世間話、②好奇心、③曖昧さである。(36節173頁)
《感想1-2》「話」と「視」の日常的な存在様態が①世間話と②好奇心だ。(36節173頁)①現存在はまず日常的な既成的解意つまり「世間話」のなかへ生い立っていき、終生その影響を脱しきることができない。(35節169頁)②「仕事世界」から解放された「好奇心」は、「ただ見んがために見ようと配慮する。」(36節172頁)
《感想1-3》①「世間話」についてハイデガーは言う。「世間話のうちに住みついている現存在は、世界内存在でありながら、世界と共同現存在(※他我)と内存在そのもの(※自我)とへの原義的な根源的に真正な存在連絡から遮断されている」。「平均的な既成的解意(※世間話)の当然さや安心感の中には、・・・・根源喪失へ押し流されていくのに、・・・・現存在自身にはこの不動の不気味さが気づかれずに蔽われている、ということが含まれている」。(35節170頁)
《感想1-4》②「好奇心」についてハイデガーは言う。好奇心の構成的な3つの契機:(1)「配慮される環境世界のなかでの《落着きのなさ》」。(※「めまぐるしく移り替わる新奇と変化による活動と興奮」を求める)。(2)《気ばらし》。(3)《所在なさ》(居所喪失)(Aufenthaltlosigkeit)、つまり「好奇心はいたるところに居るが、実はどこにも居ない」こと。②-2 好奇心の「このありかた(※(1)《落着きのなさ》、(2)《気ばらし》、(3)《所在なさ》)において、日常的現存在がたえまなくその根源を喪失していく」。(36節172-3頁)
《感想1-5》①「世間話」につてハイデガーがさらに言う。それは広い範囲に普及し、権威的性格を帯びてくる。(35節167-9頁)(ア)「受け売り」:物事は、ひとがそう言うから、そうなのだ、と断定される。」(168頁)(ア) -2「読みかじったこと」の「受け売り」。つまり「平均的理解」or「世間並みの理解」!(169頁)(イ) 「真正な了解」の手間を省く。「わざわざ事象を領得することなしにすべてを了解することができる」と思いこむ。(169頁)(ウ) 「世間話」は「閉鎖」だ。「話題にのぼる存在者の地盤へ立ち戻ってみることを怠っているという固有の不作為」!(169頁)(エ)世間話は「新しい問いと対決とを封じる」。「ものごとの理解がすでに達成されたと思っている」。(169頁)

(2)「予感していたこと」(※世間話の類型的予測)が「本当に実行にうつされると」、その出来事への「興味」(※好奇心としての「興味」)は消失する!
B 「曖昧さ」(※誰もが、勝手なことを好きに言い、しかも何が本当かor事実か、解明しないこと)は「噂話」(※世間話)にもとづく。「真正な仕方である事柄の跡を追跡している人」は噂話を語らない。(173頁)
B-2 人びとが一緒になって「予感していたこと」、「うすうす感づいていたこと」(※世間話の類型的予測)が「本当に実行にうつされる」と、その出来事への「興味」(※好奇心としての「興味」)は消失する。この興味は、「好奇心と世間話のありさま」が維持される限りでのみ、存続するにすぎない。(174頁)
B-3 「世間話」は「自分が予感して要求していたこと(※既成的解意における類型的な予測)が、いよいよ現実に実行されたのを見て、不機嫌になる。」「なお予感し続ける(※類型的に予測すること)機会を取り上げられてしまったわけだから。」(174頁)
C かくて世間話は「隠蔽的」である。「本当に実行にうつされる」ことを嫌う。また好奇心としての興味は「通俗的」である。(※「仕事世界」と無縁だ!)(174頁)

《感想2》「好奇心」は、「仕事世界」から解放された時にのみ生じる「視」の在り方で、「ただ見んがために見ようと配慮する。」(36節173頁) 「好奇心」は無責任で、事実や「仕事世界」を嫌う!

(3)「根源的な相互存在」の間に介在する「世間話」!
「根源的な相互存在(das ursprüngliche Miteinandersein)(※本当の姿の多くの人間たちの関係)の間には、さしあたり世間話(※類型化)が介在している。」(175頁)

《感想3》ハイデガーは「相互存在」と「世間(世人)(das Man)」につて次のように述べている。「ほかの人びと」とは、「日常的な相互存在」において、「『そこに居る』人びと」だが、「その誰か」は、「特にだれということもできない中性的なもの、世間(世人)(das Man)」である。「われわれは、①ひともするような享楽や娯楽を求め、②ひともするように『大衆』から身をひき、③ひとが慨嘆するものを、やはり慨嘆している。」「この『ひと』が・・・・世間(世人)(das Man)である。この世間(世人)(das Man)が、日常性のありかたに指令を与えている。」(27節126-7頁)
《感想3-2》ハイデガーは「共同世界(die Mitwelt)」「共同存在(das Mitsein)」「共同現存在(das Mitdasein)」について次のように述べている。「『ともに』的な世界内存在にもとづいて、世界はいつもすでに、私がほかの人びとと共にわかっている世界である。現存在の世界は共同世界(die Mitwelt)である。」「内存在(※自己の意識)は、ほかの人びととの共同存在(das Mitsein)である。」「ほかの人びとの内世界的な自体存在は、共同現存在(das Mitdasein)である。」(26節118頁)
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

①《気分》、②《不信》、③《救い》、④《幻》、⑤《生存競争》、⑥《未来》、⑦《貧富》!

2019-08-06 16:05:10 | 日記
(1)《気分》:悲しい。辛い。行き場がない。落胆している。侘しい。死にたい。死にそうだ。不幸だ。みじめだ。ため息が出る。無気力だ。不安だ。
(2)《不信》:知られてはならない。秘密にする。攻撃を避ける。警戒せよ。人が信じられない。敵ばかりだ。安全を確保する。人嫌いだ。誤解されるばかりだ。「人を見たら泥棒と思え」。
(3)《救い》:もしかしたら希望があるかもしれない。出発した時と比べ、事態は悪くなってないかもしれない。かすかな救いだ。
(4)《幻》:空虚だ。虚無だ。無意味だ。無駄な毎日だ。空しい。
(5)《生存競争》:負け組だ。無能だ。不器用だ。自信がない。愚かだ。
(6)《未来》:希望がない。絶望だ。明日などない。
(7)《貧富》:貧乏たらしい。貧相だ。
Comment
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする