DIARY yuutu

yuuutunna toki no nikki

「雲の峰幾つ崩れて月の山」芭蕉(『奥の細道』)(26):昼、入道雲が繰り返し湧き崩れる巨大な変化の後、夜の月の山の静けさ! 

2018-09-26 13:06:32 | 日記
「雲の峰幾つ崩れて月の山」
Gigantic clouds like mountains many times collapsed at daytime. Afterwards, now at night, the moon shines above Mt. Gassan in the sky.

《感想1》芭蕉は明るい昼間を回想し、経過する時間の記憶をたどる。今は夜、眼前に月山。月が出ている。
《感想2》雲の峰は入道雲。今は夏。空が青い。峰のように白く輝く入道雲が湧き、崩れ、それが繰り返される。雄渾。巨大な変化の後、夜の月の山の静けさ。
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映画『500ページの夢の束』(Please Stand By):この世には「幸せの一瞬」がある!この映画を見て、君の最悪の気分が少し良くなった! 

2018-09-26 12:13:51 | 日記
(1)
主人公ウェンディは自閉症の少女で、施設に入所している。彼女には姉がいる。しかし姉は小さい頃から、発作を起こす妹に戸惑っていた。母親はシングルマザーで、二人を育てたが、すでに亡くなった。姉は結婚し赤ん坊がいる。
(2)
ウェンディは『スター・トレック』が大好きで、自分なりの脚本を書くのが趣味だった。ある日、『スター・トレック』脚本コンテストが開かれると知り、彼女は渾身の一作を書き上げる。何と500ぺージだ!郵送では締め切りに間に合わない。彼女は愛犬ビートとともにハリウッドを目指し400キロの旅に出た。ウェンディは自閉症のため社会生活が困難で、旅は苦労の連続だ!しかしついに彼女は、ハリウッドに原稿を届けることに成功する。
(3)
この成功体験が彼女に、少しだが自信と、心の安定を与える。ウェンディは、姉オードリーの家を訪れ、甥の赤ん坊を抱っこさせてもらう。幸せの一瞬だ!THE END

《感想1》この世には「幸せの一瞬」があると思わせてくれる。
《感想2》また自閉症のウェンディを気づかってくれる人たちがいる。それが救いだ。

《感想3》この映画を見る直前、君の気分は最悪だった。(それは、以下の通り。)この映画を見て、君の気分は少し良くなった。
(1)面倒くさい。早く死んでしまった方がいい。憂き世だ。くだらない。周囲の者に迷惑がかかるから自殺はしない。嫌な世の中だ。馬鹿馬鹿しい。
(2)頭を冷やしたまえ。楽しいこともあったのではないのか?喜んだこともあったのではないのか?
(3)それにしても嫌なことばかりだ。暗い。廃墟だ。ぼろぼろだ。汚らしい。「臭い、死ね!」ウジ虫。ゴミ。糞尿。汚水。腐敗。腐乱死体。悪意。脅迫。
(4)最良は眠ることだ。永眠でもいい。嫌なことは忘れる。君はいい年になったから、枯れて生きる。
(4)-2 だがおいしいものを食べたい。日に干した気持ちのいい布団に寝たい。清潔にしていたい。整理整頓。だが面倒くさい。
(5)きみはぐるぐる堂々巡りだ。あるいは賽の河原の石積み。ご苦労様だ。
(6)自然が強大だとしても、それだけのことだ。君は死ぬだけだ。宇宙が広大だといっても、それだけのことだ。君は質量的には塵だが、ただそれだけのことだ。強大な自然や広大な宇宙が、価値的に偉大なわけでない。ただ、そうなっているだけだ。弱小で微小な君が、滅びるようにできているだけだ。どうでもいいことだ。
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マシュー・アーノルド「鎮魂の祈り」(1853、31歳):詩人は死を賛美する!死者(彼女)の生前の境遇・気持ちを推定し、それを前提に、彼女にとっての死の意義を、詩人が勝手に価値づける!

2018-09-26 08:37:50 | 日記
 ‘Requiescat’ (1853)  「鎮魂の祈り」
        By Matthew Arnold (1822-88) 作マシュー・アーノルド

Strew on her roses, roses, 彼女の上に薔薇を撒くがいい、薔薇を
And never a spray of yew! 決してイチイの小枝ではなく!
In quiet she reposes; 穏やかに彼女は死んで横たわる;
Ah, would that I did too! あー、私もそのようでありたい!

Her mirth the world required; 彼女の陽気さは世間が要求したもの;
She bathed it in smiles of glee. 彼女は世間に歓楽の微笑を浴びせた。
But her heart was tired, tired, しかし彼女の心は疲れに、疲れていた。
And now they let her be. そして今人々は彼女をあるがままにした。

Her life was turning, turning, 彼女の人生は変転につぐ変転で、
In mazes of heat and sound. 熱と騒音の迷路の内にあった。
But for peace her soul was yearning, しかし平和を彼女の魂は渇望し、
And now peace laps her round. そして今平和が彼女を抱く。

Her cabin'd, ample spirit, 彼女の囚われた豊かな心、
It flutter'd and fail'd for breath. それは息をつこうと羽ばたき失敗した。
To-night it doth inherit 今晩、彼女の心はまさに継承する
The vasty hall of death. 死の巨大な大広間を。

《感想1》
マシュー・アーノルドの詩は、死の賛美だ。死者(彼女)の生前の境遇・気持ちを推定し、それを前提に、彼女にとっての死の意義を、詩人が勝手に価値づける。詩人は、死が彼女にとって「世間」での「疲れ」からの解放、「魂の安らぎ」を求める苦悩の終了、「囚われた豊かな心」の自由獲得だとする。詩人は死を賛美する。
《感想1-2》
だから詩人は、死者に対して喜びの象徴の薔薇を撒けと言う。イチイは死と悲しみの象徴だから。詩人は、死は喜びだと、死を賛美する。
《感想2》
彼女の死顔が「穏やか」というのは、死の直前、まだ生きている時、彼女が苦悶せず「穏やか」に死んだことを示す。死自身は無であって、「穏やか」等の性質を示さない。
《感想2-2》
あるいは彼女の死顔が「穏やか」なのは、死者(彼女)の生前の境遇・気持ちが悲惨で、それを終わらせた死は良いことだと、詩人が価値づけるからにすぎない。
《感想3》
死自身は無だから、死によって「世間」での「疲れ」から解放されたとか、「魂の安らぎ」を得たとか、「囚われた豊かな心」が自由になったとか、死者(彼女)自身が思うことはない。詩人が、死者(彼女)の生前の境遇・気持ちを推定し、そしてそれを前提に、彼女にとっての死の意義を、詩人が勝手に価値づけているだけだ。
《感想4》
補論:死は主観的には「突然の中断」だ。普段、眠りに落ちるのと同じだ。君が「眠り」を恐れないのは、眠る前に「再び起きる」と予想するから。君が「死」を恐れるのは、死ぬ前に「二度と起きない」と予想するから。この点を除けば「突然の中断」という点で「眠り」と「死」は区別できない。(なお死の場合と異なり、眠る前には「夢を見る」との予想もある。)
《感想4-2》
「眠り」と「死」が同じだと言う君は、悪意ある他者により、「だったら眠らせてやろう、死なせてやろう」と殺される。気をつけろ!だが他者が君に「死ね」と命じ、君を「殺す」権利などない。
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