(伊倉ほたる)
○ うらおもて半分ずつの本音持つ後ろ姿の猫はさみしい
つい先日、散歩の途中、尻尾だけが真っ黒くそれ以外は真っ白い猫を目にしましたが、私は寡聞にして未だ、体の半分が白く、残り半分が黒い猫を目にしたことも耳にしたこともありません。
ところで、本作の作者・伊倉ほたるさんは、大の猫好きの猫女であり、『猫友日めくりカレンダー』の四月号の表紙にも「裏路地の仔猫の目にも桜花 春のてのひら総てをつつむ」「降り注ぐ春の光にのびをして桜咲く道猫とおりゃんせ」「ふうわりと春に抱かれてまどろんだ仔猫の夢と綿毛の行方」の三首が掲載されているのである。
したがって、作中の「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫」とは、実在する「猫」かも知れませんが、たとえそんな「猫」が実在したとしても、その「本音」は、裏腹な心を併せ持つ女性たるご自身の実存の「さみしさ」をご披瀝なさったもの、或いは、横縞なシャツを着たり縦縞のシャツを着たりしているご主人の趣味の悪さを「さみしさ」とお感じになられたもの、として享受するべき作品でありましょう。
併せてもう一点申し上げると、本作の作者は、ご自身やご亭主の矛盾した生き方をも鑑みて、ただ単に「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫はさみしい」と仰って居られるのでは無く、それにもう一捻りを加えて、「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫」の「後ろ姿」を見せられた時は「さみしい」と仰って居られるのである。
つまり、ご自分にしろご亭主殿にしろ「うらおもて半分ずつの」毛並みを持つ「猫」の如く、一身に白黒の「本音」を併せ持っていることに対しては、人間の本質というものはそうしたものであるから、その一面を見せたり見せられたりする時はそれほどの哀しみやさみしさは感じないが、それが「後ろ姿」となって、一挙にその両面を同時に見せたり、見せられたりした時は、とても哀しく「さみしい」と仰って居られるのである。
わずか三十一音の中に、これだけの深い内容を込められて詠んだ作品は、あまり類例がありません。
傑作中の傑作です。
でも、傑作を傑作と理解し、評することの出来る鑑賞者の存在を無視してはいけません。
有頂天になってはいけません。
「千里の馬は常に在れども伯楽は常には在らず」とは、何の謂でありましょうか?
〔返〕 おもてうら常ならず見せ読み人の評価為し得ぬ歌詠みならむ 鳥羽省三
おもてうら翻しつつ舞ふ花の評価定めぬ歌詠みのあり 々
路地裏の泥棒猫にも餌をやる底の知れないお人好しなり 々
一時的な不調から完全に脱却されたのであれば、評者としても嬉しいのですが、なにしろ白く見えたり黒く見えたりのこの頃ですからね。
本当に世話の焼けることです。
(藤田美香)
○ 似たような後姿を追いかけて僕らは誰も見つけられない
上句に「似たような後姿を追いかけて」とありますが、「追いかけ」られる「後姿」とは、いったい何方の「後姿」なのだろうか、などと思ったりしながら読みました。
下句に「僕らは誰もみつけられない」とあり、それを手掛かりにして、その「後姿」のオーナーを推測してみますと、彼の名は、案外、作中の「僕ら」自身なのかも知れません。
何故ならば、「僕ら」即ち“私たち”人間は、例外無く“私たち自身”の「後姿」を「見つけ」ることも掴まえることも出来ませんから。
自分の首根っこをぐいっと掴まえて駐在所に突き出したという男の話は、今までただの一度も聞いたことがありませんからね。
それとは別に、「僕ら」が「似たような後姿を追いかけて」いるという点についてですが、これは、私たち人間は誰しも、人生の真実乃至は理想、或いは幸福な生活を追求しているということの比喩であり、また、追求される“人生の真実乃至は理想、或いは幸福な生活”の内容は、例外無く「似たような」ものであるということの比喩でもありましょう。
“平明な言葉の運びの中に人生の真実を述べた佳作”として観賞させていただきました。
〔返〕 「掴まえた!」と思ったけど夢だった僕らは昨日を逮捕出来ない 鳥羽省三
(ちょろ玉)
○ 君のその後ろ姿に叫びたい 「好きだよ、でも」に続く言葉を
「君のその後ろ姿に叫びたい」と言い、その「叫びたい」内容の種明かしをするかの如く見せかけて「『好きだよ』」と言うのであるが、それで終わらずに、「『好きだよ、でも』に続く言葉を」と肩透かしを食らわすところが、いかにも悪戯好きな“ちょろ玉”さんらしいところである。
本作の如き短歌を称して、世の人々は“ポップアート的短歌”と言うのでありましょうか?
〔返〕 僕のあの後ろ姿を掴まえたいデモに出掛けて捕まる前の 鳥羽省三
(たたんか)
○ べつものと知ってかすかに揺れている 姿三四郎と三四郎
夏目漱石の小説『三四郎』の主人公と富田常雄の小説『姿三四郎』の主人公とを同一視することは、いかにも在りそうな話である。
かく申す評者も亦、青春の一時期まで両者を混同して居りましたが、でも、「べつものと知って」からは、格別に「揺れ」たりしないで、高校生相手に、「同じ名前でも、一方は夏目漱石作の純文学の主人公。他方は富田常雄作の大衆小説の主人公。悩みの質が違うんだよ。悩みの質が」などと喚いて居りました。
〔返〕 蟹股と猿股とも亦ちがうよね股ずれ防止にサルマタを穿く 鳥羽省三
(青野ことり)
○ 姿勢よく一時間半待ちました わたしに落ち度はあったのですか
「姿勢よく一時間半待ちました」からといっても、“青い鳥”は必ずしも向うから飛んで来るとは限りません。
したがって、「わたしに落ち度はあったのですか」などと開き直られても困ります。
でも、貴女にも確かに「落ち度」がありました。
その「落ち度」とは、「姿勢」を正して長時間待ち続けていれば、必ず幸福になれると信じているような、社会常識に欠けている点である。
〔返〕 姿勢よく一時間半待ちました雪だるまのごとクリスマスイブに 鳥羽省三
(千束)
○ 姿勢良く前を見つめて踏み出せばしあわせになれると信じていました
こちらも亦、初歩的な社会常識に欠けていらっしゃる方の作品である。
「姿勢良く前を見つめて踏み出せばしあわせになれる」んだったら、某独裁主義国軍の兵士たちは、みんな「しあわせになれる」はずですよ。
折も折、今春、近所の幼稚園に入園したばかりの園児たちが、男女仲良く手をつないで「姿勢良く前をみつめて」桜吹雪を浴びながら行進して行くのを見たばかりです。
私は、「この子らの未来が『しあわせ』でありますように」と祈るような気持ちで見ているだけでした。
〔返〕 千束の稲を束ねて稲架に掛く百姓の父いつも前向き 鳥羽省三
(周凍)
○ かすみてふ春のころもにしのぶれど目もあやなるは花の寝姿
逆もまた真なり。
〔返〕 霞てふ春の衣にしのぶれば目には見えずも花の寝姿 鳥羽省三
(船坂圭之介)
○ 自我の無き孤立を盾と降る星の下へ残余の姿晒しつ
「自我」を張っての「孤立」にも困らせられますが。
〔返〕 自我の無き孤立に楯の備へ無く矢玉鉄砲弾無惨に浴びつ 鳥羽省三
(空音)
○ 防御服白く膨らみ鶏舎へと向かう姿は鶏に似て
地震騒ぎに話題性をすっかり失ってしまいましたが。
〔返〕 防御服胸の辺りの膨らみて牛舎へ向ふ乙女なるらむ 鳥羽省三
(南葦太)
○ 君もまた直視できない姿だろう 自意識の肥満体と化して
「自意識の肥満体」とは誰のこと?
〔返〕 我らまた明日を直視できぬかも放射能降る祖国となりて 鳥羽省三
(安藤三弥)
○ 見慣れてる姿は遠いシルエット ほんとは君の指も知らない
大変失礼ではありますが、「見慣れてる姿は遠いシルエット」で「ほんとは君の指も知らない」のだとしたら、本作の作者・安藤三弥さんは、「君」のストーカーに過ぎない、ということになりませんか?
でも、ごく軽度の、しかも悪質でない、清らかなストーカーと思われますから、これからお二人の仲が急速に深まり、地震騒ぎの収まった頃には、目黒の雅叙園で目出度くゴールインといった運びになることも十分に考えられましょう。
〔返〕 知ってたのいつも何げに見てたけど私のことを好きだってこと 鳥羽省三
(月夜野兎)
○ 本当の姿を見せる勇気なく いつも気丈なオンナ演じる
「本当の姿を見せる勇気なく」「いつも気丈なオンナ演じる」とは、意外にも、本作の作者・月夜野兎さんは、気弱な年増なんでしょうか?
〔返〕 本当の俺の気持ちを見せないで いつも紳士を装っていた 鳥羽省三
(水絵)
○ 霞かと思えば黄砂の桜道 歩く遍路の姿おぼろに
“西国三十三箇所巡り”の「桜道」と言えば、二番札所の和歌山市の“紀三井寺”でありましょうか。
あの付近の今年の染井吉野の開花期は三月末日頃から四月初め頃かと思われますが、その時分にも、某国からの迷惑プレゼントの「黄砂」が桜並木の巡礼道に降り敷いていたのでありましょうか?
だとしたら、桜吹雪に加えて「黄砂」が降り注ぎ、「歩く遍路の姿」が「あぼろに」霞んで見えたのでありましょう。
〔返〕 断わりも無しに漢字を使うなと責める国から黄砂の見舞い 鳥羽省三
(みち。)
○ 吐き出した嘘が纏わりついてきて最初の姿を思い出せない
一つの「嘘」に百の「嘘が纏わりついてきて」、吐いた当人も吐かれた被害者も「最初の姿を思い出せない」状態になることは、よく在る話である。
〔返〕 吐き出した嘘が百余の胞子出しそれに百余の嘘絡み付く 鳥羽省三
(子帆)
○ メルヘンはてめぇてめぇと叫んでる人をひつじの姿に変える
「ひつじ」と言えば、気弱で無知で迷ってばかりの、どちらかと言うと善良な人間の比喩として使われるのが通常であるが、本作の場合は「てめぇてめぇと叫んでる人をひつじの姿に変える」とあるので驚きました。
で、「てめぇてめぇと叫んでる人」とは、もしかしたら、あの筋の方々を指して言うのかと思って納得致しました。
つまり、本作の趣旨は、「メルヘン」の世界を舞台として、あの筋の方々を真人間に変えようとするストーリーの教導訓話でありましょう。
〔返〕 酒を飲みうめぇうめぇと叫んでる人を羊に変えたいもんだ 鳥羽省三
(不動哲平)
○ 斜めにはもう歩けない 最涯の地下通路にて姿勢をただす
本作の趣旨は、詰まるところ「人間という者は、堕ちるところまで堕ちると自然に真人間に帰ろうとするものである」といったことでありましょう。
作中の「最涯の地下通路」とは、“堕ちるところまで堕ちた”地点を指し、「斜めにはもう歩けない」とは、“堕ちるところまで堕ちた”結果としての“蠢き”乃至は“悩み”であり、「姿勢をただす」とは、真人間に帰ろうとして蠢き悩んだ結果としての到達点でありましょう。
〔返〕 斜めには進みたくない角も在り子らの将棋は我が儘将棋 鳥羽省三
(豆田 麦)
○ だだこねるその姿さえいとしくてゆるむ口元むりやり締める
短歌の世界では“孫誉め歌”は禁色の一つとされているようでありますが、それも一つの因習でしかありません。
悪い作品を悪いと言い、良い作品を良いと言うことが許されるならば、可愛い孫を可愛いと言うことも許されるはずでありましょう。
豆田麦さん、どうぞ宜しく孫バカ丸出しのお婆ちゃんになって、優れた“孫誉め歌”を沢山沢山お詠み下さい。
〔返〕 おならするそのお尻さえ愛しくておむつを剥いで嗅いでみました 鳥羽省三
お爺ちゃんのおならは、ただ単に臭く汚らしいだけですけどね。
(尾崎弘子)
○ 高い木の姿が人の形して不思議なり古い杜の夕べは
発想そのものはなかなか宜しいのであるが、推敲不足の目立つ作品と思われます。
〔返〕 亡き祖父の影に似てゐる樹も在りてゆかしき杜の夕べなりけり 鳥羽省三
(砂乃)
○ 反り返る姿勢を保つザリガニは私に怒っているわけじゃない
煮干に騙されて釣り上げられた時の「ざりがに」の表情は、砂乃さんや私に対して、本当に怒っているような感じですからね。
本当のところは分かりませんよ。
「この糞ばばー、この鋏でその素っ首をちょん切ってやる」などと言っているのかも知れませんよ。
「ザリガニ」には、女性の年齢や美醜の判別は不可能と思われますからね。
〔返〕 反り返る姿勢を保ちしコマネチも今は皺苦茶ババアなるらむ 鳥羽省三
(かきくえば)
○ 朝焼けに姿勢をただし苦笑い君の眠るラブホテルを出る
同じ「ラブホテル」での情事にしても、お相手になった女性への愛情と敬意を持つことが大切である。
それなのに何ごとですか。
「朝空けに姿勢をただし」しかも「苦笑い」をして職場に直行するとは。
一体あなたは、職場が大切なんですか、彼女が大切なんですか。
職場はあなたにあんな丸裸なサービスをしてくれませんよ。
〔返〕 時節柄職場が大事と嘯いて彼女を置いてラブホテル出る 鳥羽省三
(新野みどり)
○ 真っ直ぐな姿勢で街を歩こうと決意固めて三日月を見る
その内容は何であれ、「決意固めて三日月を見る」とは、戦国の尼子の武将・山中鹿之介のような悲愴さを込めてのことでありましょう。
ところで、新野みどりさんには、わざわざ「三日月」を見てまで「決意」を固めなれればならない理由が何かお有りなんですよ。
山中鹿之介の場合は、主家たる尼子家の再興を掛けてのことですから仕方がありませんが、新野みどりさんの場合は、たかだか「真っ直ぐな姿勢で街を歩こう」と思うだけのことですよ?
察するに、貴女の恋人は、火付け強盗の容疑者として、日本全国に指名手配中なんでしょう。
ならば、貴女のお気持ちは解ります。
解ります。
〔返〕 偏頭痛起してるから真っ直ぐに街の通りを歩けないんです 鳥羽省三
(壬生キヨム)
○ 新聞を読んでないのに開いてる彼氏の姿も嫌いではない
そんな「彼氏」を好きになる女性も確かにいらっしゃるんですね。
〔返〕 値上げ後に煙草を吹かすようになり財務省から表彰された 鳥羽省三
(佐田やよい)
○ 地下鉄の窓に四月の違和感が私のような姿で映る
全く同感である。
一年十二ヶ月の中で、バスに乗ってても、電車に乗ってても、歩いてても、一番多く「違和感」を感じるのは、私にとっても他の何方にとっても「四月」なんですね。
それに、「地下鉄」に乗ってる時に、ただ暗いだけの「窓」に自分の「姿」が映ってるのを見てると、それが自分で無いようなあるような「違和感」を感じることも確かなことであります。
桜の散り際でありましょうか?
本作の作者・佐田やよいさんは、半蔵門駅から渋谷方面行きの「地下鉄」を乗っていて、「窓」に映る自分の「姿」を発見し、その「姿」が自分で無いようなあるような「違和感」を感じたのでありましょう。
一仕事終わって、ようやく春を迎えたと言うのに、千鳥が渕の桜は瞬く間に散ってしまった。
そこで、その後の楽しみや生きて行く目標までも失ってしまったような虚脱感に陥っているのでありましょう。
〔返〕 URの1DKの壁にある茶色の滲みよ前住者の滲み 鳥羽省三
(長月ミカ)
○ 何があれ姿勢良ければそれでよし心も胸も張って進まん
何処かのお国の女性兵士みたいですね。
BGMはスーザですか?
〔返〕 何であれ月給良ければそれでよしこの際職種は選んでられない 鳥羽省三
(陸王)
○ 友引の夜は欠かさずテレマーク姿勢を入れて終える一日
「友引の夜」には、会社帰りに友だちと一緒に行き付けのスナックに繰り出して泥酔するまで焼酎を浴び、終電車に乗り遅れてタクシーでのご帰宅とは相成るのである。
それで、家の前でタクシーから下車される際に、「今夜も無事にご帰還!」とばかりに「欠かさずテレマーク姿勢を入れて」ご帰宅なさるのでありましょう。
本作の魅力は、何もかも解らない点にあるのである。
〔返〕 友引の日にはやらない葬式でやるのは棟上げ結婚式か 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ 八度目の恋の相手は姿美千子 倉田誠に娶られ泣きつ
最初は原節子、そして十八回目の現在は藤原紀香。
吾が「八度目の恋の相手」の「姿美千子」を横取りしたのは、「倉田誠」という名の新撰組ならぬ巨人軍の二線級投手でありました。
〔返〕 離婚してまたまた燃える紀香さん宝籤級の可能性かも 鳥羽省三
○ うらおもて半分ずつの本音持つ後ろ姿の猫はさみしい
つい先日、散歩の途中、尻尾だけが真っ黒くそれ以外は真っ白い猫を目にしましたが、私は寡聞にして未だ、体の半分が白く、残り半分が黒い猫を目にしたことも耳にしたこともありません。
ところで、本作の作者・伊倉ほたるさんは、大の猫好きの猫女であり、『猫友日めくりカレンダー』の四月号の表紙にも「裏路地の仔猫の目にも桜花 春のてのひら総てをつつむ」「降り注ぐ春の光にのびをして桜咲く道猫とおりゃんせ」「ふうわりと春に抱かれてまどろんだ仔猫の夢と綿毛の行方」の三首が掲載されているのである。
したがって、作中の「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫」とは、実在する「猫」かも知れませんが、たとえそんな「猫」が実在したとしても、その「本音」は、裏腹な心を併せ持つ女性たるご自身の実存の「さみしさ」をご披瀝なさったもの、或いは、横縞なシャツを着たり縦縞のシャツを着たりしているご主人の趣味の悪さを「さみしさ」とお感じになられたもの、として享受するべき作品でありましょう。
併せてもう一点申し上げると、本作の作者は、ご自身やご亭主の矛盾した生き方をも鑑みて、ただ単に「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫はさみしい」と仰って居られるのでは無く、それにもう一捻りを加えて、「うらおもて半分ずつの本音持つ」「猫」の「後ろ姿」を見せられた時は「さみしい」と仰って居られるのである。
つまり、ご自分にしろご亭主殿にしろ「うらおもて半分ずつの」毛並みを持つ「猫」の如く、一身に白黒の「本音」を併せ持っていることに対しては、人間の本質というものはそうしたものであるから、その一面を見せたり見せられたりする時はそれほどの哀しみやさみしさは感じないが、それが「後ろ姿」となって、一挙にその両面を同時に見せたり、見せられたりした時は、とても哀しく「さみしい」と仰って居られるのである。
わずか三十一音の中に、これだけの深い内容を込められて詠んだ作品は、あまり類例がありません。
傑作中の傑作です。
でも、傑作を傑作と理解し、評することの出来る鑑賞者の存在を無視してはいけません。
有頂天になってはいけません。
「千里の馬は常に在れども伯楽は常には在らず」とは、何の謂でありましょうか?
〔返〕 おもてうら常ならず見せ読み人の評価為し得ぬ歌詠みならむ 鳥羽省三
おもてうら翻しつつ舞ふ花の評価定めぬ歌詠みのあり 々
路地裏の泥棒猫にも餌をやる底の知れないお人好しなり 々
一時的な不調から完全に脱却されたのであれば、評者としても嬉しいのですが、なにしろ白く見えたり黒く見えたりのこの頃ですからね。
本当に世話の焼けることです。
(藤田美香)
○ 似たような後姿を追いかけて僕らは誰も見つけられない
上句に「似たような後姿を追いかけて」とありますが、「追いかけ」られる「後姿」とは、いったい何方の「後姿」なのだろうか、などと思ったりしながら読みました。
下句に「僕らは誰もみつけられない」とあり、それを手掛かりにして、その「後姿」のオーナーを推測してみますと、彼の名は、案外、作中の「僕ら」自身なのかも知れません。
何故ならば、「僕ら」即ち“私たち”人間は、例外無く“私たち自身”の「後姿」を「見つけ」ることも掴まえることも出来ませんから。
自分の首根っこをぐいっと掴まえて駐在所に突き出したという男の話は、今までただの一度も聞いたことがありませんからね。
それとは別に、「僕ら」が「似たような後姿を追いかけて」いるという点についてですが、これは、私たち人間は誰しも、人生の真実乃至は理想、或いは幸福な生活を追求しているということの比喩であり、また、追求される“人生の真実乃至は理想、或いは幸福な生活”の内容は、例外無く「似たような」ものであるということの比喩でもありましょう。
“平明な言葉の運びの中に人生の真実を述べた佳作”として観賞させていただきました。
〔返〕 「掴まえた!」と思ったけど夢だった僕らは昨日を逮捕出来ない 鳥羽省三
(ちょろ玉)
○ 君のその後ろ姿に叫びたい 「好きだよ、でも」に続く言葉を
「君のその後ろ姿に叫びたい」と言い、その「叫びたい」内容の種明かしをするかの如く見せかけて「『好きだよ』」と言うのであるが、それで終わらずに、「『好きだよ、でも』に続く言葉を」と肩透かしを食らわすところが、いかにも悪戯好きな“ちょろ玉”さんらしいところである。
本作の如き短歌を称して、世の人々は“ポップアート的短歌”と言うのでありましょうか?
〔返〕 僕のあの後ろ姿を掴まえたいデモに出掛けて捕まる前の 鳥羽省三
(たたんか)
○ べつものと知ってかすかに揺れている 姿三四郎と三四郎
夏目漱石の小説『三四郎』の主人公と富田常雄の小説『姿三四郎』の主人公とを同一視することは、いかにも在りそうな話である。
かく申す評者も亦、青春の一時期まで両者を混同して居りましたが、でも、「べつものと知って」からは、格別に「揺れ」たりしないで、高校生相手に、「同じ名前でも、一方は夏目漱石作の純文学の主人公。他方は富田常雄作の大衆小説の主人公。悩みの質が違うんだよ。悩みの質が」などと喚いて居りました。
〔返〕 蟹股と猿股とも亦ちがうよね股ずれ防止にサルマタを穿く 鳥羽省三
(青野ことり)
○ 姿勢よく一時間半待ちました わたしに落ち度はあったのですか
「姿勢よく一時間半待ちました」からといっても、“青い鳥”は必ずしも向うから飛んで来るとは限りません。
したがって、「わたしに落ち度はあったのですか」などと開き直られても困ります。
でも、貴女にも確かに「落ち度」がありました。
その「落ち度」とは、「姿勢」を正して長時間待ち続けていれば、必ず幸福になれると信じているような、社会常識に欠けている点である。
〔返〕 姿勢よく一時間半待ちました雪だるまのごとクリスマスイブに 鳥羽省三
(千束)
○ 姿勢良く前を見つめて踏み出せばしあわせになれると信じていました
こちらも亦、初歩的な社会常識に欠けていらっしゃる方の作品である。
「姿勢良く前を見つめて踏み出せばしあわせになれる」んだったら、某独裁主義国軍の兵士たちは、みんな「しあわせになれる」はずですよ。
折も折、今春、近所の幼稚園に入園したばかりの園児たちが、男女仲良く手をつないで「姿勢良く前をみつめて」桜吹雪を浴びながら行進して行くのを見たばかりです。
私は、「この子らの未来が『しあわせ』でありますように」と祈るような気持ちで見ているだけでした。
〔返〕 千束の稲を束ねて稲架に掛く百姓の父いつも前向き 鳥羽省三
(周凍)
○ かすみてふ春のころもにしのぶれど目もあやなるは花の寝姿
逆もまた真なり。
〔返〕 霞てふ春の衣にしのぶれば目には見えずも花の寝姿 鳥羽省三
(船坂圭之介)
○ 自我の無き孤立を盾と降る星の下へ残余の姿晒しつ
「自我」を張っての「孤立」にも困らせられますが。
〔返〕 自我の無き孤立に楯の備へ無く矢玉鉄砲弾無惨に浴びつ 鳥羽省三
(空音)
○ 防御服白く膨らみ鶏舎へと向かう姿は鶏に似て
地震騒ぎに話題性をすっかり失ってしまいましたが。
〔返〕 防御服胸の辺りの膨らみて牛舎へ向ふ乙女なるらむ 鳥羽省三
(南葦太)
○ 君もまた直視できない姿だろう 自意識の肥満体と化して
「自意識の肥満体」とは誰のこと?
〔返〕 我らまた明日を直視できぬかも放射能降る祖国となりて 鳥羽省三
(安藤三弥)
○ 見慣れてる姿は遠いシルエット ほんとは君の指も知らない
大変失礼ではありますが、「見慣れてる姿は遠いシルエット」で「ほんとは君の指も知らない」のだとしたら、本作の作者・安藤三弥さんは、「君」のストーカーに過ぎない、ということになりませんか?
でも、ごく軽度の、しかも悪質でない、清らかなストーカーと思われますから、これからお二人の仲が急速に深まり、地震騒ぎの収まった頃には、目黒の雅叙園で目出度くゴールインといった運びになることも十分に考えられましょう。
〔返〕 知ってたのいつも何げに見てたけど私のことを好きだってこと 鳥羽省三
(月夜野兎)
○ 本当の姿を見せる勇気なく いつも気丈なオンナ演じる
「本当の姿を見せる勇気なく」「いつも気丈なオンナ演じる」とは、意外にも、本作の作者・月夜野兎さんは、気弱な年増なんでしょうか?
〔返〕 本当の俺の気持ちを見せないで いつも紳士を装っていた 鳥羽省三
(水絵)
○ 霞かと思えば黄砂の桜道 歩く遍路の姿おぼろに
“西国三十三箇所巡り”の「桜道」と言えば、二番札所の和歌山市の“紀三井寺”でありましょうか。
あの付近の今年の染井吉野の開花期は三月末日頃から四月初め頃かと思われますが、その時分にも、某国からの迷惑プレゼントの「黄砂」が桜並木の巡礼道に降り敷いていたのでありましょうか?
だとしたら、桜吹雪に加えて「黄砂」が降り注ぎ、「歩く遍路の姿」が「あぼろに」霞んで見えたのでありましょう。
〔返〕 断わりも無しに漢字を使うなと責める国から黄砂の見舞い 鳥羽省三
(みち。)
○ 吐き出した嘘が纏わりついてきて最初の姿を思い出せない
一つの「嘘」に百の「嘘が纏わりついてきて」、吐いた当人も吐かれた被害者も「最初の姿を思い出せない」状態になることは、よく在る話である。
〔返〕 吐き出した嘘が百余の胞子出しそれに百余の嘘絡み付く 鳥羽省三
(子帆)
○ メルヘンはてめぇてめぇと叫んでる人をひつじの姿に変える
「ひつじ」と言えば、気弱で無知で迷ってばかりの、どちらかと言うと善良な人間の比喩として使われるのが通常であるが、本作の場合は「てめぇてめぇと叫んでる人をひつじの姿に変える」とあるので驚きました。
で、「てめぇてめぇと叫んでる人」とは、もしかしたら、あの筋の方々を指して言うのかと思って納得致しました。
つまり、本作の趣旨は、「メルヘン」の世界を舞台として、あの筋の方々を真人間に変えようとするストーリーの教導訓話でありましょう。
〔返〕 酒を飲みうめぇうめぇと叫んでる人を羊に変えたいもんだ 鳥羽省三
(不動哲平)
○ 斜めにはもう歩けない 最涯の地下通路にて姿勢をただす
本作の趣旨は、詰まるところ「人間という者は、堕ちるところまで堕ちると自然に真人間に帰ろうとするものである」といったことでありましょう。
作中の「最涯の地下通路」とは、“堕ちるところまで堕ちた”地点を指し、「斜めにはもう歩けない」とは、“堕ちるところまで堕ちた”結果としての“蠢き”乃至は“悩み”であり、「姿勢をただす」とは、真人間に帰ろうとして蠢き悩んだ結果としての到達点でありましょう。
〔返〕 斜めには進みたくない角も在り子らの将棋は我が儘将棋 鳥羽省三
(豆田 麦)
○ だだこねるその姿さえいとしくてゆるむ口元むりやり締める
短歌の世界では“孫誉め歌”は禁色の一つとされているようでありますが、それも一つの因習でしかありません。
悪い作品を悪いと言い、良い作品を良いと言うことが許されるならば、可愛い孫を可愛いと言うことも許されるはずでありましょう。
豆田麦さん、どうぞ宜しく孫バカ丸出しのお婆ちゃんになって、優れた“孫誉め歌”を沢山沢山お詠み下さい。
〔返〕 おならするそのお尻さえ愛しくておむつを剥いで嗅いでみました 鳥羽省三
お爺ちゃんのおならは、ただ単に臭く汚らしいだけですけどね。
(尾崎弘子)
○ 高い木の姿が人の形して不思議なり古い杜の夕べは
発想そのものはなかなか宜しいのであるが、推敲不足の目立つ作品と思われます。
〔返〕 亡き祖父の影に似てゐる樹も在りてゆかしき杜の夕べなりけり 鳥羽省三
(砂乃)
○ 反り返る姿勢を保つザリガニは私に怒っているわけじゃない
煮干に騙されて釣り上げられた時の「ざりがに」の表情は、砂乃さんや私に対して、本当に怒っているような感じですからね。
本当のところは分かりませんよ。
「この糞ばばー、この鋏でその素っ首をちょん切ってやる」などと言っているのかも知れませんよ。
「ザリガニ」には、女性の年齢や美醜の判別は不可能と思われますからね。
〔返〕 反り返る姿勢を保ちしコマネチも今は皺苦茶ババアなるらむ 鳥羽省三
(かきくえば)
○ 朝焼けに姿勢をただし苦笑い君の眠るラブホテルを出る
同じ「ラブホテル」での情事にしても、お相手になった女性への愛情と敬意を持つことが大切である。
それなのに何ごとですか。
「朝空けに姿勢をただし」しかも「苦笑い」をして職場に直行するとは。
一体あなたは、職場が大切なんですか、彼女が大切なんですか。
職場はあなたにあんな丸裸なサービスをしてくれませんよ。
〔返〕 時節柄職場が大事と嘯いて彼女を置いてラブホテル出る 鳥羽省三
(新野みどり)
○ 真っ直ぐな姿勢で街を歩こうと決意固めて三日月を見る
その内容は何であれ、「決意固めて三日月を見る」とは、戦国の尼子の武将・山中鹿之介のような悲愴さを込めてのことでありましょう。
ところで、新野みどりさんには、わざわざ「三日月」を見てまで「決意」を固めなれればならない理由が何かお有りなんですよ。
山中鹿之介の場合は、主家たる尼子家の再興を掛けてのことですから仕方がありませんが、新野みどりさんの場合は、たかだか「真っ直ぐな姿勢で街を歩こう」と思うだけのことですよ?
察するに、貴女の恋人は、火付け強盗の容疑者として、日本全国に指名手配中なんでしょう。
ならば、貴女のお気持ちは解ります。
解ります。
〔返〕 偏頭痛起してるから真っ直ぐに街の通りを歩けないんです 鳥羽省三
(壬生キヨム)
○ 新聞を読んでないのに開いてる彼氏の姿も嫌いではない
そんな「彼氏」を好きになる女性も確かにいらっしゃるんですね。
〔返〕 値上げ後に煙草を吹かすようになり財務省から表彰された 鳥羽省三
(佐田やよい)
○ 地下鉄の窓に四月の違和感が私のような姿で映る
全く同感である。
一年十二ヶ月の中で、バスに乗ってても、電車に乗ってても、歩いてても、一番多く「違和感」を感じるのは、私にとっても他の何方にとっても「四月」なんですね。
それに、「地下鉄」に乗ってる時に、ただ暗いだけの「窓」に自分の「姿」が映ってるのを見てると、それが自分で無いようなあるような「違和感」を感じることも確かなことであります。
桜の散り際でありましょうか?
本作の作者・佐田やよいさんは、半蔵門駅から渋谷方面行きの「地下鉄」を乗っていて、「窓」に映る自分の「姿」を発見し、その「姿」が自分で無いようなあるような「違和感」を感じたのでありましょう。
一仕事終わって、ようやく春を迎えたと言うのに、千鳥が渕の桜は瞬く間に散ってしまった。
そこで、その後の楽しみや生きて行く目標までも失ってしまったような虚脱感に陥っているのでありましょう。
〔返〕 URの1DKの壁にある茶色の滲みよ前住者の滲み 鳥羽省三
(長月ミカ)
○ 何があれ姿勢良ければそれでよし心も胸も張って進まん
何処かのお国の女性兵士みたいですね。
BGMはスーザですか?
〔返〕 何であれ月給良ければそれでよしこの際職種は選んでられない 鳥羽省三
(陸王)
○ 友引の夜は欠かさずテレマーク姿勢を入れて終える一日
「友引の夜」には、会社帰りに友だちと一緒に行き付けのスナックに繰り出して泥酔するまで焼酎を浴び、終電車に乗り遅れてタクシーでのご帰宅とは相成るのである。
それで、家の前でタクシーから下車される際に、「今夜も無事にご帰還!」とばかりに「欠かさずテレマーク姿勢を入れて」ご帰宅なさるのでありましょう。
本作の魅力は、何もかも解らない点にあるのである。
〔返〕 友引の日にはやらない葬式でやるのは棟上げ結婚式か 鳥羽省三
(鳥羽省三)
○ 八度目の恋の相手は姿美千子 倉田誠に娶られ泣きつ
最初は原節子、そして十八回目の現在は藤原紀香。
吾が「八度目の恋の相手」の「姿美千子」を横取りしたのは、「倉田誠」という名の新撰組ならぬ巨人軍の二線級投手でありました。
〔返〕 離婚してまたまた燃える紀香さん宝籤級の可能性かも 鳥羽省三