臆病なビーズ刺繍

 臆病なビーズ刺繍にありにしも
 糸目ほつれて今朝の薔薇薔薇

今週の朝日歌壇から(4月4日掲載・其のⅡ)

2011年04月09日 | 今週の朝日歌壇から
[永田和宏選]


○  生きてあらば触れる事なき兄の頬その冷たさは今も手のうち  (柏原市) 斉藤知代

 通常、成人に達した兄妹の間で、妹が兄の身体に触る、或いは兄が妹の身体に触る、などということは殆んど在り得ません。
 ましてや、妹が「兄の頬」に触れたりすることなどは殆んど考えられもしません。
 したがって、本作には何か生々しい気配が漂っていて、読みようによっては近親相姦めいた雰囲気さえ感じさせるのである。
 もちろん、作中には「生きてあらば触れる事なき」とあり、作者の斉藤知代さんとしては、そうした穿った解釈が為されるものとは予想だにしなかったことでありましょうが?
 “記紀”や“万葉”には、兄弟姉妹などの肉親同士の性愛を感じさせる作品が見られますが、作者・斉藤知代さんは、本作を詠むに当たって、そうした内容の先行作品をご意識なさったのでありましょうか?
 話者(=作者?)は「生きてあらば触れる事なき兄の頬」に、死んでしまったからこそ触れてみたのである。
 ところが、肉親たる「兄」のその「頬」は、案の条と言うか、案に相違してと言うか、予想外に冷たかったのである。
 その「兄の頬」の予想外の「冷たさ」を通じて話者は生きている時の「兄の頬」を、生きていて未だ温かい「兄の頬」を、話者自身と同じ血が通っている「兄の頬」を感じているのである。
 「兄の頬」とは、即ち「兄」の“命”そのものである。
 話者は、「兄の頬」即ち「兄」の“命”そのものに触れようとしたのであるが、「兄の頬」はその「冷たさ」で以って、話者の“命”と自身の“命”との触れ合いを自ら拒否したのである。
 「その冷たさは今も手のうち」とは、肉親たる「兄」の死を、話者自身の「手」がまざまざと確認し、その記憶が未だに「手のうち」に残っている、ということでありましょう。
 〔返〕  生きてあらば触れ得ることもあらむかな骸冷たく心なからむ   鳥羽省三


○  花咲けば必ず迎へにくると言ふグループホームに老女の笑顔  (千葉市) 加藤伊津

 「花咲けば」とは「花が咲いたから」ということであり、本作の解釈にあたっては、その点をしっかりと抑えて置かねばなりません。
 執念深く申し上げますが、「花咲けば」という言い方と「花咲かば」という言い方とは全く異なり、「花咲かば」とあったならば「もしも花が咲いたならば」と解すべきであり、「花咲けば」とあったならば「花が咲いたから」と解すべきなのであります。
 したがって、一首の意は、「桜の『花』が咲いたから、約束通り、私の息子たちが私を『必ず迎えにくる』と『老女』が言う。『グループホーム』に咲いた、その『笑顔』の何とも嬉しそうなことよ」といったことになりましょう。
 知ったかぶりをしたくて言っているのではありません。
 短歌愛好者と称する人口の約半分くらいの人々は、こんな初歩的な文法的知識さえ持たないで、「短歌は文法では無く、心で詠むものだよ。鳥羽省三君は青臭いからね」などと嘯いていらっしゃるから、敢えて申し上げたまでのことである。
 ところで、余談ですが、息子さんご夫婦が待っていらっしゃるご家庭に帰っても、トイレにもお風呂にもお食事にも不自由なお身体では決して幸せが待っていない、と客観的には思われるのであるが、それでもなお且つ、果敢ない約束が成就されるはずだと信じている、「老女の笑顔」が切ないのである。
 〔返〕  鬼嫁は下の世話などしてくれず息子にやきもきさせるだけです   鳥羽省三


○  瓦落ち塀倒れたる者同士こころゆるして給水を待つ  (ひたちなか市) 篠原克彦

 被害者同士であればこそ、「こころゆるして」お付き合いすることも出来ましょうが、地震はいつもいつも揺る訳ではありません(と言うよりも、いつもいつも揺られたらたまりません)から、お隣り同士のお付き合いというものは、なかなか思うままにならないものである。
 〔返〕  お隣りは安普請だから揺れますが我が家は揺れるはずありません   鳥羽省三


○  覚えたて両手でメール無事知らす旅の途中の避難所の夜  (神奈川県) 中沢洋之

 私の親類にも、折悪しく茨城県に出張中で、3月11日の一夜を、茨城県内の「避難所」で過ごした者が居ります。
 ところが、当夜はケータイもメールもなかなか通じず、留守家族がかなりやきもきなさったご様子です。
 それとは別に、本作の前半部は「覚えたて」「両手でメール」「無事知らす」と、外国人の“カタコト日本語”みたいな表現ですね。
 なんとかならないものでしょうか?
 〔返〕  メールして「無事!」と知らせたあの夜よ(水戸の在所の避難所に居て)   鳥羽省三


○  怖がってニュース消す子と布団干すそのときあなたを守れるだろうか  (新潟県) 佐藤由佳

 「そのとき」とは、どんな「とき」でありましょうか?
 作者ご本人には分かっていたとしても、言葉として表現しなければ、何のことか分りません。
 こうした訳の分からない言い方を、作者は表現テクニックの一種としてなさって居られるようにも見受けられますが、それはあくまでも邪道であり、この道の初心者が何と無く詠み何と無く投稿したのを、新し物好きだけが取り得の選者が、碌々考えもせずにが選んでしまった、と思われるのが関の山でありましょう。
 だとすれば、選者の永田和宏氏は全く宜しくない。
 〔返〕  怖々とニュースばかりを見てる妻そんなに怖くばニュースを見るな   鳥羽省三


○  疾く走れ高みに上れ映像の人らに叫ぶ涙ぬぐひて   (高山市) 桐山吾朗

 飛騨の高山に居ても、そんな気になったのですね。
 傍で見ていても、本当にはらはらするような場面が幾らもありましたね。
 飛騨の高山で恐ろしいのは、“山津波”でありましょうか?
 ところで、話者が、「涙ぬぐひて」「疾く走れ高みに上れ」と「映像の人らに叫ぶ」のは何故でしょうか?
 「涙」を流したままで叫んでも、何ら差し支えが無かったのではありませんか?
 〔返〕  声の通り良くなるようにと涙拭く(その他の意味はありませんけど)   鳥羽省三


○  頑張ってね空しきことと思えども他に言うべき言葉なければ  (神戸市) 川口史郎

 “阪神淡路大震災”の時に他の土地の方々から掛けられて大きな勇気を得た「言葉」を、今回はそのまま、東北などの被災地の方々に掛けてやったのでありましょう。
 評者にしても、ただひたすら「頑張ってね!」と言うしかありませんでした。
 〔返〕  「頑張れ!」の一言だけでも勇気得て味方が居ると思うものです   鳥羽省三


○  いく度も電話をすれど不通なりわがふる里の八戸の家  (徳島県) 喜多昭子

 こちらは、「頑張れ!」の一言も届けられなかったわけである。
 八戸市は青森県内での最大の被災地だったからでありましょう。
 〔返〕  宅電も携帯電話も不通にて全市壊滅かとも思った   鳥羽省三


○  坂口の母もわが母も「実家にて吾の名禁句」と嘆いていたり  (アメリカ) 郷 隼人

 何とも申し上げようがございません。
 〔返〕  「実家にて吾の名禁句」の母親はまだまだ居るぞ「無職だから」と   鳥羽省三 


○  「アデンアラビア」読みし二十歳をよび醒すランボーも住みし美しき海  (日野市) 植松恵樹

 ポール・ニザン作の「アデンアラビア」は“二十歳のバイブル”とも呼ばれ、「僕は二十歳だった。それが人生でもっとも美しいときだなんて誰にも言わせない。何もかもが若者を破滅させようとしている。恋、思想、家族を失うこと、大人たちのなかに入ること。この世界のなかで自分の場所を知るのはキツイものだ」(小野正嗣)という書き出しで知られている。
 ところで、「ランボーも住みし美しき海」とは、昨今、海賊で話題となっている“アデン湾”のことでありましょうか?
 〔返〕  醜くも美しくもある二十歳頃君は泥棒いつも泥酔  鳥羽省三