全身、首まで筋肉痛である。寝ていても動かすとつらい。昨晩ゆっくりと風呂桶に浸かっていたので一気に解れてしまったのだろう。全身アルコール漬けにして痛みを麻痺させる。外気温が大分下がっているので、アウトドーアでのスポーツは、筋力を思い通り使い易い分、あとでその限界にはじめて気がつく。
「このような生活を続けていると、かなり体が筋肉質になってくるな」と思っていると、それとなく仲間に言われた。
「一寸上達したようだけど、体重を落とすと、クライミングは大分違うよ」
「いや、ダイエットして落としたことがあるが筋力も直ぐに落ちてしまったから、寧ろ筋力をつけるようにして居るのだけれど」
いずれにしても、週一回程度のクライミングではスポーツクライミングの領域には到底届かないが、週二回ぐらいだと大分上達するようだ。
BLOG「壺中山紫庵」の記事「腕時計を買いました」を読んでいて、先日の石切場ゲレンデでのことを思い出した。自分自身が腕時計をするのは冠婚葬祭の時ぐらいであるが、他の者も今や殆ど腕時計をしていないことに気がついた。
「今何時だ」と騒ぎ出す者が多い。なるほど岩登りのゲレンデでは昔から幾つも時計を傷だらけにしたものだった。デジタルのスウォチ形式のものになってからは被害は少なくなったが、それでもやはり邪魔になって直ぐにボロボロになる。
BASF勤めの若いのが「今何時だ」と騒いだので、「教会の鐘の音を聞けよ」と親仁が言い、四半時に一つづつ、各自毎にその数だけ鳴らされる鐘の音を説明していた。
いつも教会の近くに住んでいるのでお馴染みなのだが、田舎の出身でもあまり馴染みの無い若者もいるのには驚いた。今まで暫らく滞在した場所で、鐘の音が聞こえなかったのはシュヴァルツヴァルト郊外の友人の宿屋だけである。スイスのカトリックの谷で村の時計台を勝手に止めたりの悪さをした事はあるが、鐘の音の無い生活は今や想像し難い。
日常生活を刻む鐘の音。モーツァルトの魔笛のメロディーに、教会の鐘の音を重ね合わせて思い出すのは嘗て紹介した名作映画ハインリッヒ・マン原作「嘆きの天使」の情景である。老教授が生息していた共同体の響きである。
天気の良い週末が始まった。日曜日には再び元気に岩に取り付くことが出来るだろうか。
参照:
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25
「このような生活を続けていると、かなり体が筋肉質になってくるな」と思っていると、それとなく仲間に言われた。
「一寸上達したようだけど、体重を落とすと、クライミングは大分違うよ」
「いや、ダイエットして落としたことがあるが筋力も直ぐに落ちてしまったから、寧ろ筋力をつけるようにして居るのだけれど」
いずれにしても、週一回程度のクライミングではスポーツクライミングの領域には到底届かないが、週二回ぐらいだと大分上達するようだ。
BLOG「壺中山紫庵」の記事「腕時計を買いました」を読んでいて、先日の石切場ゲレンデでのことを思い出した。自分自身が腕時計をするのは冠婚葬祭の時ぐらいであるが、他の者も今や殆ど腕時計をしていないことに気がついた。
「今何時だ」と騒ぎ出す者が多い。なるほど岩登りのゲレンデでは昔から幾つも時計を傷だらけにしたものだった。デジタルのスウォチ形式のものになってからは被害は少なくなったが、それでもやはり邪魔になって直ぐにボロボロになる。
BASF勤めの若いのが「今何時だ」と騒いだので、「教会の鐘の音を聞けよ」と親仁が言い、四半時に一つづつ、各自毎にその数だけ鳴らされる鐘の音を説明していた。
いつも教会の近くに住んでいるのでお馴染みなのだが、田舎の出身でもあまり馴染みの無い若者もいるのには驚いた。今まで暫らく滞在した場所で、鐘の音が聞こえなかったのはシュヴァルツヴァルト郊外の友人の宿屋だけである。スイスのカトリックの谷で村の時計台を勝手に止めたりの悪さをした事はあるが、鐘の音の無い生活は今や想像し難い。
日常生活を刻む鐘の音。モーツァルトの魔笛のメロディーに、教会の鐘の音を重ね合わせて思い出すのは嘗て紹介した名作映画ハインリッヒ・マン原作「嘆きの天使」の情景である。老教授が生息していた共同体の響きである。
天気の良い週末が始まった。日曜日には再び元気に岩に取り付くことが出来るだろうか。
参照:
ゲマインシャフトの人種 [ 生活 ] / 2008-09-25
それは畑や庭仕事、そして買物。
つまり仕事より、日中の家の外(周辺)の作業での場面なのでした。
一定の時間までに作業を終えて、また次の家事に移らないといけない…。
まあ、日々家事に追われているってわけです。
東京でもそうだったけど、夕方五時には、郷里のこの地でも五時を告げるメロディが流れてきます。
お寺の鐘じゃないし、夕方五時に一回だけなので、時計代わりというわけにはいかないですね。
外から聞こえてくる感じで中々内から聞こえてくる感じにはならないでしょう。
災害時などの警告をする為に設置されている設備(防災無線)が正常に動作するかを毎日確認する為、確か区や市(あるいは町村)などの当局がサイレンを鳴らしているとか。
そういった法律(条例)があるようです。
夕方五時のサイレンは、子供がそろそろ帰宅だよという合図に(結果的に)なっているような。
農作業もそろそろ終わりにしようよ、とか(腕時計を嵌めづらいから時間が分からない)。
サイレンというと煩そうだけど、ただ音だけもあるけど、ちょっと大き目のオルゴール風なメロディと音色だったり、チャイム風だったり、いろいろ。
地域によっては、「線路はつづくよ」とかなぜかドボルザークの「家路」とか、題名は忘れたけど(「夕焼け小焼け」?「赤トンボ」?)「カラスと一緒に帰りましょう♪ とか、ミュージックサイレンが一般的みたい。
お寺の鐘の音風のもあるかもしれない。
鐘にしろ音楽にしろコーランにしろ、音の伝播が広範なので環境として問題になることが多いです。だから共同体を為していない限り、特定の音を広報することは困難です。
上の防災告知の範囲があるように、その音楽を受け入れる文化的な同一性がそこに存在していると言う証拠でしょう。場所によっては議論になるに違いません。