ここで試みるのは紛失したヨハン・セバスチャン・バッハ作曲マルコスによる福音のための受難オラトリオに使われた、通称ピカンデルことクリスチャン・フリードリッヒ・ヘンリチ(1700-1764)のテキストの考察である。1731年の脱稿である。1731年3月23日にバッハがヨハン受難曲、マタイ受難曲に続いてトーマス教会で初演している。
復活祭を前にした聖週間に、こうして受難オラトリオを辿って行く作業は楽しいのみならず喜びである。それは待降節の暗黒に一条の光が射す如くの心温まる雰囲気とは違うが、暗い冬を抜けて心改まる光り輝く春の風情そのものである。通常は資料不足を口実に控えている楽曲分析も、ここでは復刻補筆なので端から音楽に触れずに扱う事が出来る。楽が無くても良い。ピカンデルのテキスト自体が聖句との関わりがあることは致し方がないが、少なくとも福音の聖書のテキストには触れない。学が無くても良い。
恐らく作曲が残っていれば、現存するマテウスともヨハンによるものとも全く違う方法で福音の違いを音楽的に解決していたことは明らかである。それはこの現存する二つのオラトリオを較べてみれば一目瞭然である。観念的な描き分けこそが、この作曲家の持ち味であり効果は二の次となる。同僚ヘンデルと対照させると興味尽きない。それでは矢張りピカンデルが創作したマテウスとマルコスはどのように違うのだろうか。受難オラトリオの進展を追って見ていこう。
楽曲は、マルコスによる福音の14章から始まり15章を通して終わる。過ぎ越し祭の二日前である。ユダヤの祭司長が律法学者たちとイエスス殺害の計画を練っている。伝承される冒頭の合唱は、ザクセン選定后妃の為の葬送歌BWV198もしくはケーテンの葬送曲BWV244aがパロディーとして使われる。そしてここでは、唐突にも優しくイエススを送り出すのだが、然るべき作曲は手が込んだ対位法を使っての複雑な心理の発露となるのだろうか。既に清濁併せ飲みの按配である。「あなたに慰められるその時までは、悲しみ続けます。あなたが飾り立てられ悪態づかれてようとも、そうしてその時再び慰められる、どうか宜しく」と。
14章5 皆が香油をかける女を咎めると。「異邦人のように我々を待ち伏せして、血を求め、キリスト者を語る者よ。神のみぞ知る、信ずる神こそが彼らの気まぐれを抑える。覚ざめておくれ。」と歌う。偽善と独善への批判でもあるが、そこには止揚はないと早々問題提議をする。ユステュス・ヨーナス(1493-1555)詩篇124 cf.カンタータBWV178。
14章10 ユダスがイエススの引渡しの計略を考えると、合唱は歌う。「世の中、まやかしと嘘の詩で惑わしだらけよ。罠も網も張り巡らされて。この危機に真実を、そして悪意から護っておくれ。」。計略渦巻く世界を嘆きつつ、この言葉にさえ疑問を呈する。啓蒙思想の批判的変相と見る事が出来ようか。原曲:アダム・ロイスナー (1496-1675)詞、ゼテュウス・カルヴィウス(1556-1615)曲。(IIへ続く)
復活祭を前にした聖週間に、こうして受難オラトリオを辿って行く作業は楽しいのみならず喜びである。それは待降節の暗黒に一条の光が射す如くの心温まる雰囲気とは違うが、暗い冬を抜けて心改まる光り輝く春の風情そのものである。通常は資料不足を口実に控えている楽曲分析も、ここでは復刻補筆なので端から音楽に触れずに扱う事が出来る。楽が無くても良い。ピカンデルのテキスト自体が聖句との関わりがあることは致し方がないが、少なくとも福音の聖書のテキストには触れない。学が無くても良い。
恐らく作曲が残っていれば、現存するマテウスともヨハンによるものとも全く違う方法で福音の違いを音楽的に解決していたことは明らかである。それはこの現存する二つのオラトリオを較べてみれば一目瞭然である。観念的な描き分けこそが、この作曲家の持ち味であり効果は二の次となる。同僚ヘンデルと対照させると興味尽きない。それでは矢張りピカンデルが創作したマテウスとマルコスはどのように違うのだろうか。受難オラトリオの進展を追って見ていこう。
楽曲は、マルコスによる福音の14章から始まり15章を通して終わる。過ぎ越し祭の二日前である。ユダヤの祭司長が律法学者たちとイエスス殺害の計画を練っている。伝承される冒頭の合唱は、ザクセン選定后妃の為の葬送歌BWV198もしくはケーテンの葬送曲BWV244aがパロディーとして使われる。そしてここでは、唐突にも優しくイエススを送り出すのだが、然るべき作曲は手が込んだ対位法を使っての複雑な心理の発露となるのだろうか。既に清濁併せ飲みの按配である。「あなたに慰められるその時までは、悲しみ続けます。あなたが飾り立てられ悪態づかれてようとも、そうしてその時再び慰められる、どうか宜しく」と。
14章5 皆が香油をかける女を咎めると。「異邦人のように我々を待ち伏せして、血を求め、キリスト者を語る者よ。神のみぞ知る、信ずる神こそが彼らの気まぐれを抑える。覚ざめておくれ。」と歌う。偽善と独善への批判でもあるが、そこには止揚はないと早々問題提議をする。ユステュス・ヨーナス(1493-1555)詩篇124 cf.カンタータBWV178。
14章10 ユダスがイエススの引渡しの計略を考えると、合唱は歌う。「世の中、まやかしと嘘の詩で惑わしだらけよ。罠も網も張り巡らされて。この危機に真実を、そして悪意から護っておくれ。」。計略渦巻く世界を嘆きつつ、この言葉にさえ疑問を呈する。啓蒙思想の批判的変相と見る事が出来ようか。原曲:アダム・ロイスナー (1496-1675)詞、ゼテュウス・カルヴィウス(1556-1615)曲。(IIへ続く)
今週が受難週で、来週の日曜日(3/27)がイースター(復活祭)だということを知っている日本の人たちがどれだけいるのでしょうか?イースターもクリスマスのように沢山の人がお祝いするようなってくれたら何よりも嬉しいです。
またぜひ遊びにいらして下さい。お待ちしております。
特上カルビさんと同様、まずはTBをどうもありがとうございました。
細々やっている自分のブログを見て吃驚りしちゃいました、
こんな知的なブログにTBしていただけるなんて!
…どういうわけか、以前どっからかこちらのブログに飛んできて、
こんな高尚なブログもあるんだ、って驚いてました。
でも、私はドイツ語が大~好き(なくせに全然できない…)で、
ワインや料理、そして音楽も大好きなので、
感心して読ませていただいてました。
ただまさか自分が、その中にコメントするなんて考えたことも無かったんですけど。
…触発されて、近くの教会のコンサートに行って見ようと思いました。
とりあえず、お礼をいいたくて。
私のブログは日常感じたとりとめないことばかりで恥ずかしい気分ですけど、またいらしてくださったらとても嬉しいです。
…他人様のブログ内で長くなりました、失礼いたしました。
私はベルギーの学校でいろいろ小学校の頃、復活祭とか勉強しました。けど、ここまで詳しくは知りませんでしたね~
いやいやいい勉強になりました^^
質問等もありますので是非伺います。宜しく。
うささん、コメントありがとうございます。フランスの田舎憧れます。好いですね。こちらも田舎でも長閑さは少ないです。どこか緊張感が強いです。旅行はフランスの田舎が最高です。
復活祭の多産のうささんですか。いい雰囲気です。是非、兎を探しにお訪ねします。遠慮無く書き込んでください。こちらこそ宜しく。
miyukiさん、コメントありがとうございます。ベルギーでも完全なフランス語圏ですか。フランス語のほうがお上手そうですね。そちらの学校はカトリック圏でしょうか。あまり信憑性のある普遍的なことを書いていないので申し訳ないです。
読み始めはこのTBは何かの間違いでは?なんて思ったんですが、復活祭に関してだったんですね。
お祝いに行ったものの知識不足で恥ずかしいです
これからもよろしくお願いします
ドイツには興味があるので、また来ます
私は今日本語の小論文の課題文を読みこなすことに悪戦苦闘しているので、聖書などは到底難しく途中で断念・・・なのでこちらのブログは私には理解するのがとても難しいです・・・
(見当違いなコメントを書いてしまったら申し訳ありません)
ドイツ語に興味はありますが、今は英語と日本語で精一杯です
やはり国が違うと復活祭のお祝いの仕方も違うものなのでしょうか??
私もTBさせて頂きますね
またお伺いします
Sao_Pauloさん、サンパウロから有難うございます。TBは度々張っているのですが、ブラジルからコメントを貰ったのは初めてだと思います。
stayusさん、コメント有難うございます。米国から欧州を見るとまた違った感じで見れるでしょうね。こちらこそ宜しくお願い致します。楽しいイースターを!
香さん、コメントありがとうございます。なぜ日本語の課題文なのかは分かりませんでしたが、忙しい時が一番充実してて良いですね。復活祭の祝い方は、場所によっても宗派によってもあまり変わらないと思います。付随の行事や風習の違いもそれほど無い様に思います。当然の事ながら宗教性が強いからでしょう。卵も共通しているようです。こちらこそ宜しくお願い致します。
こんな知的なブログにTBしてもらえるなんて・・。
感激です。
それにしても・・。すごい・・