Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ナチスの母親崇拝の成果

2014-05-12 | 
パン屋に行くと母の日のケーキが飾ってあった。しかしラディオでは、母の日はナチスの生み出した祝祭だと報じていた。恐ろしいものだ。

峠まで走った。前日からの雨で地面は濡れていたが、最近は足元がとても安定するようになってきたので、グリップもよい。走る姿勢が身についてきたのだろう。峠まで22分、3260歩、降りてきて35分、5582歩、登りはテムポがよいなと感じた通り、若干歩数が増えているが、とても軽く楽に走れた。下りにライヴァルの白髪の老婆親子とすれ違った。風も強く、雨が降ってきたこともあり、体力的に少ししんどかった。

BLOGで刺激を受けて、ラフマニノフの交響全集を格安で入手した。三枚組みで三つの交響曲以外に三曲入って、15ユーロである。鳴らしはじめは、録音もコンセルトヘボーを鳴らした感じで感心しなかったが、途中ヴェラー指揮のスイスロマンドとロンドンのフィルハーモニーのLPを鳴らして、改めてその出来の良さが分った。ピアノ協奏曲以外の交響作品がこれで一望できるのでとても助かる。

その前に購入していたアバド指揮の「ボリス・ゴドノフ」や小澤のプロコフィエフなどを更に鳴らす。あまり詳しく調べていなかったロシアの交響作品を歴史的に網羅して捉えると、如何にもショスタコ-ヴィッチの特異な表現が、余計に際立つのである。その才能如何に関わらず更に興味深くなる。

オーディオ関連になるが、BLOGなどを見ていると、アイポットでCD以下のデジタル音質でしか鳴らせていないことをしる。なるほど160Gしか容量が無いらしい。単純に割ると200CD分しか入らないので、圧縮しているようだ。それでも各メーカーがそれを室内で鳴らす製品を販売している。理由は昔のラジカセ代わりであるということは分るのだが、CDでも情報量が多すぎるとなるとそれ以上のものが売れないのは当然の現象なのだろう。デジタル録音の高音質を知っている者ならばCDでは物足りないと思うのは当然なのだが、意外にアナログファンなどでもアイポットへの圧縮をしていると言うから驚きである。友人の音楽家・評論家などでもそれを使っているところを見ると利便には違いないのだが、彼も車を使わないから移動時間に試聴している。さらにネットでのDLを重視している。

だから、安売りがとても手軽な価格で入手できる限りはCDの利便性やその情報量で十分だと考える私などの立場の者が少なくなくても決して不思議ではないのだろう― ギガ以上の大きな容量のDLはそれなりに制約が多いのは十分に経験済みである。DVDオーディオがブレークしなかったことは予想外れであったが、CDが今後とも使われる可能性も否定できなくなっている。兎に角安くて便利なのだ。入れ物さえ考えれば、場所もとらないので、CDRと並んでまだ先十年ほどは使えるのかなと考える。

帰りのラディオでポールマッカートニーの「ブロークンバイシクル」と言うのをアンネゾフィーフォンオッタェルが歌っているのが流れていたが、先頃亡くなった藤桂子の「夢は夜開く」としか聞こえないのは当時を知っている人に共通するのではなかろうか?それほど売れていて、映画化されていることでもあり、娘よりも世界的にも知られていたかもしれない。オリジナルらしきをYOUTUBEで聞くとあれほどパンチがあったとは知らなかった。娘の声もラディオで流れることはあるが、母親は圧倒的だ。オッターより巧いかどうかは別にして遥かにパンチがある。当時の日本の歌謡曲はすき焼きソングだけでなくてJpopなどと呼ばれる今よりも圧倒的な力があるのは、時代を反映しているようで、偶然ではないだろう。


参考:Nancy Sinatra & Lee Hazlewood-Summer Wine



参照:
滑るに滑る春の雪 2013-03-13 | 暦
雨降りの日の室内生活 2014-05-02 | 生活

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