Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

四面楚歌の安倍と日本

2013-05-26 | マスメディア批評
先にコメントを紹介した四面楚歌の安倍政権と日本について、今度は第一面の社説で扱われているのでそれを紹介する。そこには独自外交として行った北朝鮮への特使の効果についても触れられている。

先ずはその点に関しては、日本は誘拐拉致事件のことを重視しているために、たとえそれがもはや過去のことだとして ― 「最終的な解決」を見たとしても結果として「遺体が送還される」ぐらいのことで ―、それまでは譲らない立場を崩さずに、国際協調の足並みを乱していると批判される。しかしこれに関しては、当時の日本社会党の言い分と同じく、誰も大韓航空機爆発などの一連の国際テロを行うとは考えていなかったので、その後に明らかになった事情はあまり知らないので何とも言えない ― 朝鮮での見解のように、慰安婦やなどに限らず、拉致誘拐が日本でも文化歴史社会的に日常に「人攫い」として囁かれていた世代の人たちが主に誘拐されていて、決して唐突なものではなかったのも事実である。しかし、このことが日本では小泉首相の訪朝などに代表するように政治的な道具として使われてきていることは否定しようがない。

そして今回も安倍政権の外交的な失政によって大きな責任を負うことになったと厳しい。勿論、その特使の派遣は、北を除く五カ国の中に亀裂を入れるという、三代目金が思い描いた外交政策に手を貸したからと批判される。そうした国際的な批判を浴びるのは、自主外交と称する場合には確りと同じ利害関係に立つパートナーを確保するか、それとも執拗にその国との友好関係を築くしかないからだとなる。

つまり朝鮮半島を非核化することは、五か国共通の利益であることは明白であって、それをして足並みを乱すほどの主張を日本国民が出来るかと言うことになる。拉致誘拐されたことは過去のことであって、核の危機に怯えるのはこれからのことなのである。今後自衛可能なこうした拉致誘拐ということと、将来の核の危機の軽重を測るということになる。

さらに実りの多い筈の中国との協調には尖閣問題が横たわっていて、日本が収拾しようと問題の島を購入したことを、中国は外交的に利用したに過ぎないとする。つまり、実効支配をしている限りは、中国にとっては不都合だったとしても領土問題として国際的に認知されていなかったにも拘わらず、日本の威嚇として中国に反論の機会を与えて、日本の国際的な立場を陥れたにほかならないと批判する ― 米国のシンクタンクなどに唆された当時の都知事の裏切り行為の責任は今後とも追及されるものであり、それに誘導されて資金をカンパした日本国民の連帯責任も逃れないであろう。そして結果は、領土主張する中国が「自国の釣魚島」をパトロールするという現実そのものを生み出したのである。

両国が歴史問題を選択的に扱っていて、中国では一切それが動かないが、日本では疑問が次々と否定される。その論争では、日本にも勝ち目があって、証拠が無いということで、決してその必要が無くとも修正主義のそれを主張することで利があると言うのだ ― まさしく大阪のヤクザ市長や安倍内閣の主張そのものなのである。

しかし、詰まる所日本は日米関係が決断の拠り所なので、少なくとも核の傘と言う信頼関係がある限りは、それほど恐れられることではないのだ。だから、安倍内閣が傾倒するようなもはや「米国は信頼できない」ということになれば、政治の方向が転換することになるとして、ここ数年囁かれていたように自国の核武装の威嚇効果を検討することになる。しかし、それはまだ、広島・長崎のことからありえないようには見える。それでもトラウマの様な経験は、北朝鮮の脅しの前に電光石火の核軍備への正当性ともなりえるというのだ。それに対して中国がどのように反応するかは想像できるところだ。そして、日本が理解を得られるかどうかはとても怪しいと書く。薄氷の上を歩くような日本政府は、先ごろの「原爆投下を自業自得」とした韓国紙のコラムが示す通りで、日本は他の国が当然の如く出来ることが出来る立場にないということであると説く ― これは現在の政治状況を支えている国民を含めて、戦争の出来るようなまともな人たちではないと言うことになる。

そのような状況を日本の支配層は、絶えず繰り返して、不公平だとしたいのだが、彼らにその責任が無い訳ではないから、今日をしてその状況は変わらないとする。日本がそのような殻を打ち破らない限りは今後将来に亘って生き延びることが必要以上に厳しくなると切り捨てる。日本の近くの遠くの友人は、紛争に当たって無条件に日本への連帯を示すことが難しくなると、とても遺憾なことだと社説を終える。



参照:
Japanische Einsamkeit, Peter Sturm, FAZ vom 24.5.2013
孤立へと逃げ込む小日本 2012-09-28 | マスメディア批評
普通の日本人たちの責任 2013-05-20 | 歴史・時事
無教養な反市民的市長 2013-05-19 | 歴史・時事
あとの政策への期待薄感 2007-07-29 | マスメディア批評
保護観察下にある休耕地 2007-08-01 | マスメディア批評
「革命」は似合わない言葉 2009-09-01 | マスメディア批評

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 散髪をして陽射しを待つ | トップ | 頭から落ちて鼻が治る? »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿