Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

瓜坊とタコ親爺にビックリ

2016-01-11 | アウトドーア・環境
夜中には雨脚も強くなり、走るチャンスは小さいと思った。朝早くから雨の合間を待って、二度寝した。幸い、目が覚めて、雨が止み、空が明るくなる時に出かけられた。九時半過ぎだ。あまり余力が無いので、ゆっくりと進む。完走可能かどうかも分からない。最初の急坂が終わり、緑のベンチに近づくと、右の斜面の上でごそごそする。見るとイノシシの親子である。

突然目前を右から左へと横切られると叶わないので、注意していると先の方を渡っていった。驚いたのはそれに続くウリ坊の列で、少なくとも七頭ぐらいは居たのではないか。子沢山だ。餌付けをしている訳でもなく、漁るゴミも限られている。温暖の影響か。すると前を歩いていたのは母親と年長の兄弟だと分かった。父親不在のようだ。神戸の六甲山以外でこれほど多くの野生のイノシシを見たのは初めてである。

緑のベンチを過ぎて、これは何とか完走できるかと思って走り続けると、いつもの一つ目の合流点から二つ目の合流点を過ぎる辺りから発汗量が増えた。運動量は落として走ったつもりだが、25分過ぎ辺りから糖の燃焼が始まるのだろう。そして、林道最後の坂を超えたと思ったら、前から爺さんが走ってくる。山岳協会支部の仲間のタコ親爺だ。別のところから走っているので頂上では出合っても、我がルート上では会ったことが無いので驚いた。新年の挨拶さながらに交差する。下りとはいいながら中々いい走りをしていた。頂上まで30分で登っているのだ。偶然の出合は今シーズンは初めてで、こちらがこれだけ走っているのにおかしいなと思っていたが、元気そうで何よりだ。60歳代も半ばに差し掛かろうとしている。あの走りなら要注意である。それにしてもなぜルートを変えたのだろうか?

頂上に何とか到達して、降りてきて、65分掛かっていた。これで木曜日の新しいルートと合わせて、今週は16KMほど標高差400mほどを二時間以上掛けて走った。週の走行距離として十二分に長い。時間的にもこれ以上走ると健康に悪い。来週も同じようなプログラムになるだろうか。スピードに挑戦できるのだろうか?そして冬のシーズンは半ばを過ぎた。この間確か三回程しか休んでいないので、山登りコースを十何回も走っているのだろうか?帰って来て軽量すると69.9㎏、予定通りだ。

新聞に作曲家ピエール・ブーレーズの追悼告知が二つ載っている。一つはフランスの芸術院で、もう一つはベルリンのフィルハーモニカ―である。音楽監督、クヌート・ヴェーバーともう一人の理事、支配人の四人の連名である。関係の強かったSWRはどうなっているのか知らないが、ベルリンの管弦楽団は何故出したのだろうか?両者の関係はそれほど良く無かった筈で、故人もベルリンの楽団の位置づけを冷徹にしていた。考えられるのは音楽監督のラトルの意志ぐらいだろうか。

マーラーの交響曲第七番のCDを流してみる。ベルリンよりも素晴らしいクリーブランドの管弦楽団の演奏の筈だが、折角の管弦楽団を指揮しながら、まさしくそれ以上でもない録音になっている。晩年の特徴なのかもしれないが、古くからのブーレーズ指揮のせかせか、すかすかのシェーンベルク演奏に共通する敢えて上滑りの演奏を展開している。それに比較して、アバド指揮のシカゴの交響楽団の録音は見事だ。デテールへの拘りや美的な感覚が音化されていて大違いである。ヒリヤード合唱団のオケゲムの録音を聞くと、ヴァージン録音はもう一つであるが、スピーカーを調整したので合唱がとても色彩的になり、対位法の効果が近代管弦楽団のようにその和声の解決と共に音色になっているのがよく分かる。



参照:
雀百までの事始め 2016-01-04 | 暦
出合いまでの想定をする 2016-01-09 | 雑感
酸分解における貴腐とは 2012-07-24 | ワイン

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 21世紀に生きている実感 | トップ | お通夜のような顔ぶれの様 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿