Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

ミュンヘンのマイスター

2016-10-10 | 雑感
楽劇「ニュルンベルクのマイスタージンガー」生中継を観た。立見席で背伸びして見ているのとは大分違う舞台光景だった。配役ゆえの違和感は強かったが、総論すると、第一幕は初日シリーズでは出来なかったことが叶っていた。この幕での短い音型などなかなか難しいそうな部分を管弦楽団が克服して遥かに上手に演奏している。幕前や序曲での演奏風景を見ていると、どうしてこの楽師さんたちはこんなに楽しそうに公務を行っているのかと不思議に思うぐらいだ。なにかまだ欧州ツアーの興奮が続いているようで恐ろしい。それでもツアーには見かけなかった顔も多いのだが、やればやるほど報われている様子は可成り早くからピットの中でコンサートマイスター陣が熱心にさらっているのでも分かる。如何に課題を与えられているかということでもあるのだろうが、実際に上手くいくようになって結果が明確だから、また余計動機付けがされる。恐ろしく好循環に入っている。

第二幕では、アイへがベックメッサーを歌い、コッホのザックスやヨーナスのヴァルターと互角に演じていたのだが、その後に代わったマルティン・ガントナーは、それを全く埋められずも、バイプレーヤーとしての喜劇的な役作りの慣れた歌唱としていたので、芝居の流れが大分変わっていた。特にこの幕では演出が充分に活きていなくて、既にここで終幕の自決への合理性をあまり感じさせないと危惧させた。

しかし第三幕は更に演奏が良くなっていて、コッホの歌唱も益々磨かれて来ていた。ここに来て明らかに今回のエファー役のエムマ・ベルは、声や見た目はともかく、前任者よりも丁寧な歌で場の盛り上がりの一助となっていた。有名な五重唱までの山場が益々前へ盛り上がりが長くなってきて、演奏の完成度が更に高くなっていた。そのほかでもポーグナー役のゲオルク・ツァッペンフェルドは、その声の力以上に素晴らしい歌唱を披露していて、完全に主役級の歌唱になっていた。マグドレーナのマーンケなども新配役で好転しているものも少なくなかったが、ヴァルターの役柄は格落ちしてしまっていた。その体格はどうしようもないが、ユンカーというよりはその辺りの田舎者という感じで声も体通りで、あれならば日本人などが歌っても良いと思わせる。芝居と演出からしても、もしこのロベルト・キュンツュリの歌うヴァルターにアイへを争わせていたら結果が逆転してしまうかもしれないと思わせる。パン屋のコートナー親方役のシュルテと肩を並べていては話にならない。それにしても飽くなき発展を実現させていく音楽監督キリル・ペトレンコの手腕は殆ど半神と呼ばれるに相応しいと思わせる上演中継だった。アクセスが集中したのか前奏曲で一か所固まったがその後は完璧に受信出来た。三幕を合わせて30GBのmp4になった。

Trailer DIE MEISTERSINGER VON NÜRNBERG – Conductor: Kirill Petrenko


土曜日の新聞に名門醸造所フォン・ケッセルシュタット醸造所の奥さんレー・ガルトナ―夫人の訃報が載っていた。顧客ではないので、一度しか会ったことはないが、それほどの年齢では無かった筈だ。従業員一同と家族の名前で二通りの死亡広告が載っている。これならば見落とす人は少ないだろう。ザールの山奥乍ら個人では大手の醸造所である。



参照:
社会的情念の暴力と公共 2016-06-01 | 音
生放送ものの高解析度ぶり 2016-05-23 | 音
シーズン前に総括される 2016-09-25 | 文化一般
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