Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

はっとするレアリズム

2016-10-06 | アウトドーア・環境
朝晩は冷え込むようになって来た。東ドイツでは雪の降るところあるらしい。今年はあまり暖まっていないので、寒気が来ると急激に冷えるかもしれない。月曜日から長袖パジャマに着替えた。それまでの二週間ほどは夜中に目が覚めるので不思議に思っていた。どうも山小屋でと同じように寒いために尿意を催すことになっていたようだ。就寝の時は室温が低い方が脳細胞も復活させやすいので医学的にも冷却効果は証明されているのだが、尿意を催して睡眠を中断するとこれはこれで健康に悪い。睡眠条件を整えるのもそれほど容易ではない。その様な訳で寝入りには半袖半ズボンぐらいが快適だったのだが、時期が過ぎていたようだった。お蔭で火曜日の目覚めはとても良く、体調も良かった。

そして、森の気温は摂氏5.5度にまで下がるようになって来た。ショーツとTシャツで走る私はやはり可成り逝ってしまっているように見える。冷却の悪い身体にはこれぐらいが出力を上げるに好都合なのだが、これ以上冷えると身体に来る。それでも3.6kmほど走ってくると汗を掻く。往路は体幹走行を志すが傾斜がハッキリしたところのようには前足に体重が乗っていかない。色々と試してみるが、前傾と手の振りなど微妙なところがあって、なかなか難しい。それでも、いつものような浮いた感じにはならなかった。時速10km越で1.2kmほど走っていた。そのまま継続して登りまで速度を落とさなければ12分走のクーパー計測で結構いい数字が出る筈だ。このスピード感で更に前足に体重が乗るようになればもう少し楽に早く走れる筈だ。

準備体操前に、比較的大柄の奥さんで可成り走れる人が戻って行ったので挨拶した。あのおばさんぐらいに走れるようになればと思っているのだが、もう少し時間が掛かるかもしれない。クーパー走でせめて2.5kmぐらいの実力はいつも身につけていたいと思うのだ。ランニングフォームが徐々に洗練されて来ていると感じるので、これだけ走り込んでいればそれぐらい走れないといけない。

月曜日の夜は新演出に備えてショスタコーヴィッチ作曲「ムツェンスクのマクベス夫人」の第一幕一場を流した。久しく聞いていなかったが、こんなに単純な音楽を書いていたとは今まで気がつかなかった。まさしくプロレタリアートのレアリズムの極致で、あのような単純明白な創作に驚いたのだ。なにか今回のお勉強でショスタコーヴィッチの創作を超えて、明快になりそうなものが早くも感じられて気を良くした。

それにしても、このLPも原典版の最初の録音という事で、また演奏者のロストロポーヴィッチ夫妻も亡命してきたところという事で、ありのままの音楽に耳を傾けるには遠かった事を思い起こす。少なくとも当時十代の私にとっては、彼の「ショスタコーヴィッチの証言」の影響無しにこれらの作品に接することすら不可能だったのである。そうした状況下で、この全曲録音から聞こえたのはとても一筋縄ではいかない音楽で、充分に鬱陶し過ぎて、行間を読むしかなかったのである。それが今こうして耳にすると全く異なったように響くのである。要するにバイアスが掛かっていたのは、鉄のカーテンの向こう側の人たちだけではなくて、こちら側の西側の人たちも全く変わらなかったという事にはならないか?最近は20世紀の歪さが実感として見えだしてきたことから、こうした事象もありのままに見えるようになって来るのかもしれない。これは、ハリー・クッパ―の新演出も楽しみになって来た。ヴィデオを観ると齢を取ったのか、その面影がフォルストのゲオルク・モスバッハ―醸造所の先代に似ていて笑った。先日のYouTubeの続き、チャイコフスキーの動画が大分質は落ちるがアップされている。残りは「ロンターノ」だけだ。(続く



参照:
使えるような体幹を 2016-09-27 | アウトドーア・環境
瞳孔を開いて行間を読む 2006-10-22 | 音
お目当てのヴィデオ 2016-10-01 | 文化一般
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