Wein, Weib und Gesang

ワイン、女 そして歌、此れを愛しまない輩は、一生涯馬鹿者であり続ける。マルティン・ルター(1483-1546)

何処までもついて行くわよ

2012-05-20 | 試飲百景
殆ど禁断症状であった。レープホルツ醸造所のカビネットが切れて長い。昨年の夏には雑食砂岩からのリースリングカビネットが無くなり、補給しようと思うとシュペートレーゼクラスしか残っていなかった。そのSは寝かさないと本当の凄みは出ず、素晴らしく開花していた2008年産も続けて飲むのは惜しい。

だから九ヶ月ほどは切れていたのである。2010年産のそれが決して良かった訳ではないが、除酸や酸の強さで苦労している各醸造所の中にあって上手に造ってはいたのだが、生産量も少なく夏には売り切れていた。

そこでこちらも気合が入るのである。なるほど2011年は収穫量も十分で更にもう一つ上のカビネットが出ることはそれとなく奥さんから聞いていたのだが、それでもやはり飲んでみるまでは分らない。

酸の穏やかなジルファーナーや酸っぱいリッターワイン、そして酸の立った雑食砂岩リースリングに続いて、お披露目の「エコノミラート」である。

2009年に出ていた「ナテューウーアシュプルング」の後釜であるが、価格も上昇している。雑食砂岩がスクリューキャップになって、そもそもその質の違いは2009年にあったのだから当然であろう。

石灰の混ざらないミネラル質の透明性と逆に立たない酸が興味深く。残糖0.4Gまで落としていることから、逆にアミノ酸のような甘みすら感じるのである。「ティピカルなレープホルツワインの提示」に基本コンセプトがあったようだが、どうしてもう一つ突き進めてしまっている。完全に病気である。酸も8.1Gと決して少なくないのであるが、分解が進んでいるのかシュペートレーゼ的な深みがあるのだ。

親仁さんは完全にいってしまっているが、これを味わうと何処までもついていくよとなってしまうのだ。こんなに危険なワインは知らない。そしてこの後味、塩気に混ざって、長く尾を引く懐かしいあの味は何だ?その後味が糖が無いだけに水のように喉を流れ風味だけが残るのだ!

なんたることだ!なんでもない、酸を綺麗に分解して、糖が無くなるまで醸造すれば良いのである。24時間の葡萄付けした果汁を素にして。

これ以上付け加えることはないのだが、記録として、雑食砂岩Sは酸が少ない分若干弱弱しく、まだまだ樽試飲的な出来上がりである。九月に再度試飲するしかない。貝殻石灰Sはバランスが良く、万人向けであろう。さて、ロートリーゲンスSであるが、先日のシェーンレーバーと比較して明晰さで秀でているが、それが甘みとして感じるところは代わらず、少し物足りない。しかし引っ掛かりが無い分、今年のカスターニエンブッシュは、良いかもしれない。

その他ブルグンダーでは、いつもながらの糖を残した造りで一般向けである。ゲヴュルツトラミナーなどはゲオルク・モスバッハー醸造所のそれよりも甘く、些か商業戦略をここに見る思いだ。それでも、メロンパンのようなムスカテラーの透明感や、ソーヴィニオン・ブランの緑のピーマン臭さは流石である。

そしていよいよ恒例のレープホルツ講話の時間である。今年はリースリングの古いものが次々と出された。先ずは2.08G残糖の1983年もの、私はブルグンダーと判断して恥をかいたが、やはり完全に逝っていた。

二つ目は、エコノミラートで、その将来性を考える。

三つ目は、雑食砂岩カビネット2001年物である。2001年は私のペッヒシュタインなどの絶好調のリースリングと比較すると、お話にならない。糖が無いということは経年変化の可能性をなくしているとことでしかない。それでもまだ飲めることを主張するレーブホルツ氏の悩みはそこにあるのだ。

更に対照的なふくやかな2002年のロートリーゲンデスのシュペートレーゼである。なるほどその差は分るのだが、私の2002年のペッヒシュタインの豊穣さとは比較の仕様が無い。

五つ目は、1991年のムスカテラーである。これはゲヴュルツトラミナーではないかとの声が出たが、そのようにそれらしさがなくなっていた。

六つ目が1991年のゲヴュルツトラミナーで、これはまさにレヴァーなどの食事にあわせられる。

それと現在のゲヴュルツトラミナーを比較する。

八つ目が、2011年のシュペートブルグンダーのロゼで、最後は6.8Gの酸の1991年のロゼで酸だけの味だった。

レープホルツのティピカルなワインを理解している家庭は世界に三桁もいないだろう。そして、その瓶熟成の可能性もグローセスゲヴェックスの経験がまだ足りないので、実証的証明不可能なディレンマがある。それはある意味正直な態度であって、彼のビュルクリン・ヴォルフ醸造所でさえ未だに2001年産の将来に掛かっているのである。そこでも精々十年の可能性を証明しているに過ぎない。

しかし、ドイツのリースリング批評において顧客としてオピニオンリーダになりつつある私としては、それほど気にすることは無いと言いたい。五年経った時に完熟していればそれで良しなのだ。むしろ、彼らに示したようにSの飲み頃や、食事とのあわせ方に醸造所内で十分な議論がなされる方が重要なのである ― これに関しては顧客からのフィードバックが大切であることを醸造所にそれとなく指導している。九月にはクリストマン氏とヴィットマン氏を迎えてお披露目をするようだが、招待状がこれば考える。

帰りに最後まで居残っていた、「二日続けて来る」と言うとレープホルツ親爺に「明日も同じワインしかない」と言われていた馴染みの夫婦づれと情報交換をした。ベッカーのベーシックなピノノワールとゼーガーのセメント味のピノノワールやバーデンのフーバーに関してである。

それにしてもレープホルツ親仁やそのおじいさんの言うことが私の言い草に近い。つまり、幾ら飲んでも飲んでも飲み飽きない、飲めるワインが日常消費の良いワインであり、勿論酔い心地が良いことである。同時に食事に合うワインとは感覚を鋭くして、その食事の味を引き立て、食事がワインを引き立てる感覚的な遊びなのである。その意味からも「エコノミラート」は凄い。




参照:
六月とはこれ如何に? 2011-06-07 | 試飲百景
辺境の伝統の塩味ピーマン 2009-05-26 | 試飲百景
偏屈者の国際市場戦略 2008-05-28 | 試飲百景
良酒に休肝日など要らない 2009-05-08 | ワイン
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とてもちぐはぐな一週間

2012-05-19 | 生活
水曜日にはオキュパイ運動のドイツの拠点フランクフルトの銀行街のテントなどが強制撤去された。何もかもブロックしてしまう運動ブロキュパイ運動は本日大デモンストレーションを開催する。千人以上の参加が見込まれている。

水曜日はシュヴァルツヴァルトでは雪が積もり夏タイヤで閉じ込められたようである。それほど寒く雨がぱらついていたので石切り場などに行くつもりは無かったのだが、またまた相棒の医者がどうしても行きたがるので、練習台になってお相手した。オーヴァーハングはあまり湿り気に関係ないのでやっつけ仕事ととした。それ以外には、相棒にトップで登る練習をして貰った。困難度五級をどこでも確実に登れるようになるのが今シーズンの彼の達成レヴェルであろうか。七級の場所に挑戦するよりも習うことが多いのだが、まだそこが十分に理解出来ていないようである。

寒さの中で八時過ぎまで登っていたので殆ど風邪を引きそうになった。金曜日も気温は上がったが今ひとつはっきりしない湿った気象であったので、思い切ってレープホルツ醸造所の試飲会に速めに参加した。

その前に内履きを買う必要があったからだ。本来ならば岩登りの序によるのだが、全てがちぐはぐで、醸造所へ向かう前にその先へと車を進めた。昨年購入した夏用の内履きが履き心地も良かったので冬も使っていたこともあってか殆ど壊れてしまった。紐が切れる寸前である。

一年しかもたなかった。ポルトガル製である。全く駄目である。購入した翌日に金具が外れて修理したぐらいであるから、今もそれが18ユーロほどで売られているのには驚いた。

それを横目に見て、ドイツ製のシリーズを見つけた。ローデと称するブランドである。少なくとも先の靴で壊れた場所はしっかりしていそうである。履き心地も材料が良いので悪くない。価格は倍になるが、最低二年以上はもってくれると思っている。

さて前日のアルコールを抜いて、寒さによって浮かび出た障害を解消するために一走りする。パンを購入してから、駐車場から峠までのルートである。途中経過時間は変わらず、最初に飛ばした分後まで堪えたが、20分しかし3000歩を切っていたので、一割ほどピッチが伸びていることを語っている。最初の走りによるのだろうか?



参照:
足の指の具合に合わせて 2009-09-14 | 生活
雑食砂岩で新しい靴を試す 2012-05-14 | アウトドーア・環境
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シェーンレーバって一体?

2012-05-18 | 文学・思想
アルテュール・シュニッツラーの夢日記が初刊行された。世紀末のヴィーンの作家で現在でも多くの読者を持ち、戯曲化されて舞台にも掛かることが多い。絵画や音楽などの芸術と同じく人気の絶えない時代の文学の一つである。

どの一冊でも一度手に取れば、他の作品においてもどのように話が展開していくのかが推測できる。その無常と無益な環境の大波に揺られ続けるのである。そうした作家であるから、当然のことながらフロイト博士はその作家を称えて二重人格と診断している。

待合室で待っていると、シェーンレーバさんと呼ばれるのである。何のことか分らず、それは精神分析では無くて、フロイトの事だった。アメリカのことではなくて、コロムブスだったのだ。

この作家が寝起きに夢日記で記録したのは、その感情的な機微機構であったようで、まさにそこに不安などが正確に細やかに描かれることになるのだろう。

そして正夢も記録されていて、娘リリが自殺をしようとしてそれを止めることが出来なかった夢は、そのまま現実となってファシストの旦那アーノルト・カペリーニの銃で実行される。作品のようにまるで避けられぬ機構のようである。



参照:
Träume, Das Traumtagebuch 1975 – 1931 von Arthur Schnitzler
Im Wartezimmer von Sigmund Freud, Von Wolfgang Schneider, FAZ vom 15.5.2012
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
明治の叶わなかった正夢 2012-02-07 | アウトドーア・環境
夢ではない、目を覚ませ! 2011-10-26 | マスメディア批評
反照の音楽ジャーナリズム 2012-02-27 | 音
呵責・容赦無い保守主義 2007-11-19 | 文学・思想
鹿フィレ肉のクリーミーな香り 2004-11-25 | 料理
甘酸っぱい野いちごの風味 2010-09-01 | 文化一般
コン・リピエーノの世界観 2005-12-15 | 音
微睡の楽園の響き 2005-02-22 | 文学・思想
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泥酔が愉快でないライフスタイル

2012-05-17 | 試飲百景
承前)それに引き換え軒ならず地下蔵を貸したバッサーマン・ヨルダン醸造所のワインは、三月から比べるとずっと出来上がっていた。甘みも抑えてあり、概ね上出来で、2010年のような除酸の苦労もすることなく、2008年のような嫌味な酸もない。

それならばどれほど安く、良いリースリングが飲めるかと期待するが、それはあまり適わない。先ず、グーツリースリングは悪くは無いが、風味などで魅力は少ないだろう。価格7.90ユーロをどのように見るか?

ラーゲンヴァインでは、ライタープファードからヘアゴットザッカーと悪くは無いが、10ユーロを超える価値があるかとすると、競争力は可也低い。辛うじてキーセルベルクの10.50ユーロが勝負どころである。この価格でこれ以上に魅力あるリースリングは何処で見つかるか?

その他は、ウンゲホイヤーやアウフデアマウワーなど一連のものは悉く競争力を失っている。但し、安心して楽しめる白ワインであることには変わりない。

そこでブルグンダー種を評価すると、ピノブラン、ピノグリの後者は酸が多い年のものの方が楽しめる。同様にシャルドネも上手に醸造していてソーヴィニオンブランなどは新鮮でよい。ムスカテラーもそつが無い。

甘口においてはイエズイーテンガルテンがその土壌の個性を発揮していて良かったが、2011年は甘口の年ではない。

結局、こちらの消費者としての態度如何である。BGM代わりの音楽鑑賞と同じで食事に自動的にワインを開けるライフスタイルとすれば、なにも考えることなく適当に瓶を開けて、グラスに注いで食事を流し込めばよいのである。そうした需要には、7ユーロ程度で飲み応えもあって、尚且つ飲み飽きしないリースリングがあれば十分なのである。そのような目的にはグーツリースリングが適当である。

しかしである、個人的に、最近は晩酌でストレスを解消するという生活から身体を使ってのリラックスと覚めた状態での身体の緊張と緩和でスポーツ能力を高めようとしているので、アルコールに酔うのがあまり愉快でなくなってきている。

要するに晩酌で開放という生活から、食前酒で食欲を刺激して、食事との相性を楽しむワインとなってきていて、そこでは酔い潰れる感覚から程遠くなってきている。身体の運動量やその他神経系の作用に違いない。

そこで必要なワインであり、薬膳のように薬酌となるワインは特別なワインが選ばれるのである。そこではもはや量ではなくて質が問題となる。なるほどリッターワインは安いが、飲み飽きするばかりでなく、パーティーぐらいでないと残りの不味い気の抜けたワインを飲む無駄が生じるのである。

要するに口が贅沢になったのである。そして特別なワインはところ構わず集められるのだが、どうしてもその発見の頻度からしてドイツのリースリングが多くなるのである。若しブルゴーニュに住んでいたならば全く異なる食生活をしているだろう。

青スレートの研ぎ澄まされた薬草香味のリースリング、玄武岩の肌理の細かな酸と静かな熟成、千枚岩の構築感のある透明感、雑食砂岩の厚かましいまでのゴツゴツ感など、こうしたものを食事毎に愉しめたらどんなにか幸せだろう。

そうしたリースリングを毎年探すのが一苦労であり、価格も嵩む。平素の食事に幾らまでの予算が計上可能か?7ユーロを年間180本開けるところを120本以下と削減すると、平均10ユーロ以上まで質を上げることが可能である。それならばシェーンレーバー醸造所のグーツリースリングなど安くて興味深いものを含めて、上限も上がるので予算を超えない。

ドイツのリースリングは今や価格が高く、私が探して食指を動かすようなものは到底市場には乗らず、あったとしても大変高価な商品となる。エリートのワインであるという意味は、その価格ではなく、吟味や取得、保存、飲み頃の推測などと、とんでもなく難しいからである。私自身も、上手に蔵を回すことで、いつも欠乏状態の在庫からその日の一本を選び出す、殆ど綱渡りのような遣り繰りをしているのである。良いワインなどは箱に余って在庫処理なんてことはありえない。(終わり)



参照:
ゲーテには難しい青粘板岩 2012-05-13 | 試飲百景
二分咲き帰りには四分咲き 2012-03-18 | 試飲百景
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批判的に処する冷静な感覚

2012-05-16 | 雑感
承前)オーラトーンの記事にコンスタントにアクセスがある。こちらも関連記事を探した。なるほど私のようにPC絡みでも、ホームシアターとしても、またなによりも生産中止されていることからコレクション心を擽る対象となっているようだ。

そして私が所有しているのは初期型だと分った。後期型はリムにウレタンを使用しているようで穴が開いてしまっている写真もある。それだけでも初期型の布製のものの方がよいことが分った。

自身のものは、80年代初めにスーパーダイエーの専門店にて安売りで入手したものだったから、それほど初期型ではないと思っていたが、ユニットのねじ止めが十字架形配置で後期の×形配置ではない。それでもスタジオで見かける旧式のものからすると大量生産商品だろう。

十五年ほど全く使用していなかったので状態は良いのだが、暫く箱に詰めて放って置いたのでスポンジのカヴァーがボロボロになってゴミが出てまた外れ易いので両面テープで留めてある。PCに繋いで映画を見たり、ネット放送を聴いたりサムプルの音出しなどには十分で重宝している。

ミキサー卓上においてあるように目前で真ん中のモニターを眺めながら音出しすると、定位だけでなく、位相の乱れが少ないのでマイクからの距離感やミキシングなども比較的分りやすい。そうしたヘッドフォーンでも分りにくい面も確認可能である。

久しぶりに車中で聞くようなラジオの文化放送波をこれで流してみると、特にコンサート中継などはその中域の張った音も然ることながら、オーケストラの楽器間などの間合いが分り過ぎて、興醒めで通して聞く気にすらならない。日本で嘗ては、エアーチェックと称して海外からの中継録音などを熱心に聞いていたのが嘘のようである ― どうも昨今はWIFIのインターネットラジオが人気あるようだ。

なるほど1990年代にはドイツにおいてもハイクオリティーデジタル中継DSRがあり、その当時のDAT録音を聞くと、生中継などは副調整室並の音響で捉えられているのを確認でき、バイエルン放送交響楽団を指揮したオットー・クレムペラーやイッセルシュテット指揮などの放送録音などの瑞々しい臨場感は素晴らしいが、ネット放送にはそこまでのものは求められないだろう。

その原因は様々だろうが、車中で聞き流す環境に比べて、PCの前で音楽を聞くというのはどうしても批判的な耳が働きやすいようで、特に上のようなスピーカーで聞くと演奏や録音の技術的な荒が目立つからなのだ。丁度これを書きながらフランクフルト放饗にデビューしたイェルビ指揮のブラームス作曲交響曲二番に耳を傾ける。楽団も嘗てのように弾き込めていなくお上手にも上等ではなく、指揮者にとっても只のレパートリーの一曲でしかないのだから全くものになっていない。もはやこうした曲を今後如何に演奏しても20世紀の演奏芸術の域には到底及ばない。

さて、フランク・シェーンレーバーに持って来て貰ったグーツリースリングであるが、予想通りの出来であった。味の妙味からすると2009年の方が複雑味があったかも知れないが、より厚みがあってバランスが良い。スレートの旨みも満載でハーブ風味が効いているので時間変化とともに変化があり飽きが来ない。この価格としては秀逸である。減酸のあとを批判的に飲みたくないので2010年は購入しなかったが、殆どこれは我が家のスタンダードワインである。青く研ぎ澄まされたスレートとはまた異なるスレート味をここまで愉しませて貰うとそれ以上付け加えることは無い。(続く



参照:
世界の机の前に齧り付く 2008-06-15 | テクニック
前に広がる無限の想像力 2008-06-17 | 音
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香川真司の沈黙を読み取る

2012-05-15 | マスメディア批評
ドルトムントの勝利後の様子が月曜日のスポーツ欄を飾っている。その中でも香川のニュースは一つの記事として写真付で大きく報じられている。「別れの辛さ」と一面の副見出しにもなっている記事である。

ボルシア・ドルトムントがレアルマドリッドに移ったトルコ人ヌリ・シャーヒンに続いてスター選手を失おうとしているとして、香川の能力について述べている。

速い足、速い反応力、数知れないトリック、パスへの視覚を持った選手。もう一二年は引き止めたかった社長のヴェツッケであるが、香川はそれに対して一度も首を振っていない。

そこで試合の当日には、プリミエリーグの決勝戦前日に拘らずブンデスリーグを高く評価するユナイテッド・マンチェスターのアレックス・フェルフガーソン監督が香川の活躍に興奮に満ちた熱い視線を送っていたのである。

二年前にJリーグ二部のセレッソ・大阪から引き抜かれて、予想では来シーズンは移籍金二万ユーロでカイザースラウテルンの赤鬼に移るともある。世話人であるトーマス・クロートが、ベルリンでのパーティーでも悲しそうな表情で「今日はなにも語らない」とするのは本人と同じでそこに別れにおいての心理的な拘りがあると読まれている。

その一方でレアルやユナイテッドのような高額報酬を回収できるような状況にはドルトムントは無いことから今後もこうした移籍が続くとされる。そうした理性的な判断をするドイツで十分に若い香川も学んだのであろう。選手自体も札束の前では自分自身も十分な対応が出来ないことが多く、プロとしての将来への展望とともに、沈黙が理解できるとしている。



参照:
Wie ein Abschiedsspiel, Shinji Kagawa steht vor einem Wechsel nach England, FAZ vom 14.5.2012
神戸のサッカー小僧の順応性 2010-11-02 | 雑感
強い意思と「努力」あるのみ 2012-03-12 | 文化一般
自由の勝利を自ら掴め! 2012-03-27 | マスメディア批評
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雑食砂岩で新しい靴を試す

2012-05-14 | アウトドーア・環境
前日の試飲会のアルコールが身体に残っていた。そこで快晴であり肌寒いぐらいなのでパンを取りに行き、峠まで走った。三回目である。初めて時計が20分を超えなかった。23分、21分から徐々にタイムを上げて歩数も3000歩に減ってきている。足が前に出るようになっているのだろう。途中の計測タイムは12分、16分の標準タイムだったので、最後までスピードが落ちなかった結果である。

一汗掻いて、焼きたてのパンを齧ろうとコーヒーを淹れようかと思ったら電話が鳴った。相棒の医者が待ち合わせで置いてきぼりを食ったので電話してきたのだ。午後からならば内履きのアウトレットでの買い物に寄る序に登っても良いとなったのだが、方々電話をして後追いで其々出かけることになった。

写真の小さな岩肌を探すのに各々が大変時間を掛けて、結局各々一時間以上遅れて到着した。私自身も一時間半ほど歩き回った。それでも岩の状態から三本しか取れていないルートを全て登った。五級、六級、七級である。

南プファルツの七級はとても難しいので苦労した。レイバックの足を突っ張るところが上へと屋根のように被ってきていて狭くなっていくのと、突っ張るその壁自体が外向きなのと、手掛かりが只の割れ目の棚の角でしかないのはとても骨が折れる。結局開脚して登ったが崩れかけのうろこ状の岩肌も大分壊した。

新しい靴を本格的に同地の砂岩で試したのだが、そのような上向きのツッパリでは爪先が上手く吸い付かないので難しい。やはりオーヴァーハングやレイバック用に他のタイプの靴が必要である。

それに反して予想通り垂壁では、埋め込まれている小石に乗って剥がしてしまうほどに立てて、そのように足場にポイントで正確に乗りやすいので優れている。今回のようなマイナーな岩場でなくて、よく登られているクラシックなルートでなら六級も上手にこなせそうな事を確認した。

むしろ、五級のルートの苔交じりのざらざらした場所では正確な加重が図れないので、打って響く感じが得られない。その程度の斜面だからそれ以上のものをというものではないが、まずまずと言う印象である。

全体の印象としてはやはり上へと伸び上がる動作とパワーを与えやすいことは確かであって、ファィヴテン・アナサジ・ヴェルトは優れものには違いない。更に長く履いていても苦にならないようにフィットしてきて、靴紐の締め方で真剣度を変えられるのも嬉しい。

久しぶりに、ヨセミテ経験の石切り場の開拓者の一人と同行できて勉強になった。腰を痛めていたのでお休みしていたのだが、ダイエットでか顔もげっそりとしていて、大丈夫かとも思うが、流石に身軽になった分だけアクロバットな登り方に驚いた。60過ぎの爺さんにしては身体が動き過ぎである。


追記:日本のネットでスカイツリーで立ち入りで逮捕された若者がいた。詳しくは日本のマスメディアの常で伏せられていたが ― 死者や被害者や容疑者の生命(姓名)を喜んで見せしめに公表する日本のメディアであるが、スカイツリーの初登攀を目指していたのは間違いないだろう。世界中にビルディングクライマーと呼ばれる馬鹿者達がいるのだが、最初に素手で頂上まで登りきれば記録に残るだろう。しかし、まともな大人の考えることではない、幾らでも難しいスポーツクライミングの課題は山ほどあるのだから。



参照:
週末のストレス解消次第 2012-05-09 | 生活
走って走って走るのが一番 2012-04-15 | 生活
垂壁の5.10への米国製靴 2012-03-22 | 雑感
攻撃的な身体にしたのよ 2012-04-29 | 生活
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ゲーテには難しい青粘板岩

2012-05-13 | 試飲百景
インサイダー情報を堪能した。そもそもナーヘのシェーンレーバー醸造所におなじみのワインをバッサーマン・ヨルダン醸造所に運んで貰うこと自体が、既にインサイダーであるが、見かけたところ数件の同じような顧客が居たようだ。

先ずは「ハーモニーの年度」と自らが呼ぶシェーンレーバーを試す前に、友人の元の大家さん夫婦に出会って、先週の試飲会に現地へと出向いたと聞いた。これまた熱心な愛好家と思って、話をしていると奥さんがモンツィンゲンの隣町の出身で、不耕地になるワインの地所をシェンレーバーに貸し付けたと聞いた。

南向きの斜面でその土壌は分らないが、シェンレーバーは一年間掛けて自分の苗を植えつけて様子を見ての判断だったというのである。流石に一流のワイン造りをする醸造所だけの商売上手である。無事契約が成立して、そこの葡萄が今後はなにかに使われるのだろう。上流の山間であるから量産ものにはならないだろう。

さて、息子さんに挨拶して、「レンツ」から試飲を始める。残糖を感じさせる造りで、その名前からもこの醸造所の代表的フリューリングスプレッツヘンにも似ているが、様々な土壌からのキュヴェーであるという。しかし、実質的には赤スレートが崩れたような土壌の平地部分も含まれているようだ。基本的にはオルツリースリングである。

それを明確にしているのが「ミネラル」と呼ばれるテロワール商品である。これまた酸が隠されていて前者以上に弱い感じがするが、その反面塩味が出ていて、残糖の加減だけであることが分る。個人的には糖がもう少し少なければとても素晴らしいと思うが、スレートの旨さと甘み感はもちつもたれつなので判断が難しい。

さて、次は赤スレートの代表格であるフリューリングスプレッツヘンである。基本的にはロートリーゲンデスもおなじであるが、味の輪郭が暈けた感じはまさしく春暈けの様相で、リースリング愛好家には物足りない。更に引っかかり感があるのは、レープホルツ醸造所のカスタニエンブッシュとも似ているだろう。しかし、2008年産を訪問して試した印象と、レープホルツの毎年の印象を比較すると、酸の質が一寸荒くて酢酸臭さが残念である。やはり2011年の腐りと酸の分解との葛藤にこの結果があるのだろう。

その意味からも先のシェーンレーバーの大家さんにもレーブホルツを薦めたのだが、全く酸が強くて駄目だと言うのである。酸が強いのではなくて糖を落としてあるだけなのだがそうした印象を齎すのと同じように、糖が多いと酸が弱い感じも齎す。要はバランスなのである。

唯一のオールドヴィンテージは2008年ハレンベルクRである。あの時も試飲して最も印象に残ったワインであった。クリーミーに熟成して、酸が引っ込んだとても品が良い薬草酒のようなとても素晴らしいリースリングとなっていた。青スレートでは、グリュンハウス醸造所のアプツベルクや同じルーヴァーのカルトホイザー醸造所のそれを思い起こすが、こうした比較的月並みの土壌から素晴らしい辛口リースリングは意外に少ない。その中でこのハレンベルクは明らかに秀でている。ストュルクチャーも明晰で、なによりもルーヴァーのものと違って格がある。その醸造法については秋にでも訪問の節にでも調査してみたいが、この出来上がりから恥じるべきところは微塵も無いであろう。

あれから三年弱、瓶詰め後二年を越えた2008年ハレンベルク、この醸造所の実力を端的に示した瓶熟のリースリングである。若干酸が引っ込んだ感じとなっていて重みがあるが、ルーヴァーの軽みの2007年アブツべルクの極痩せ感と比較すると、とてもボディー感がある。2008年産のアプツベルクスペリオールぐらいとの比較が適当であろう。

甘口が二種類、単純なカビネットとフリューリングスプレッツヘン・シュペートレーゼ、どちらも凡庸であった。2008年産などの良い年のバッサーマン・ヨルダンより良いわけではない。やはりこの醸造所は辛口の醸造所である。

同じナーヘのデ−ンホフ醸造所が甘口で屈指であると同時に辛口でも良いものを造ると頻繁に聞く。想像であるが、デーンホフの方が俗受けするスレート味の辛口を出しているのだろう。

大俗物ゲーテが飲んだで感動したのは赤スレートのモンティンガーに違いないと考える。(続く



参照:
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
政治への強硬な姿勢 2012-05-10 | ワイン
真直ぐに焼け焦げた軌道 2009-09-29 | 試飲百景
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アドルノ先生とすべき議論

2012-05-12 | マスメディア批評
海賊党の姿勢に対して著作権者が署名運動をして強い抗議行動となっている。同時にネットでは知的創造に関わる議論が海賊党内外で盛んになっている。

連邦代表理事のユリア・シュラムは、自身のツイッター上で、「デモクラシーやフリーダムの定義のみで争っているのではなくて、アートの定義について争っているのだ」と声明した。

つまり、「芸術家が消費の需要者に落ちてしまって、もはやそれそれは芸術であるか?」と消費社会への批判を持ち込むとき、おのずからアドルノの名前がそこに輝き始め、「文化工業」というハッシュが出来上がった。

こうした状況を受けて、ベルリンの代議士ラウワーは、「そもそも芸術の定義などを党がすべきではなく、嘗てバイエルン首相フランツ・ヨゼフ・シュトラウスが何十年も前に試みたことだ」とはしながらも、著作権問題で大きな反響と批判があったことから、「真剣に受け止める必要がある」としている。

しかしながら、芸術の商品の差異を定義することは歴史的にも難しく、今回の創作者からの抗議においても、所謂著作隣接権のみならず著作量料徴収団体などの協力無しにその知的創造物が管理もされず報酬されないことを明確にしている。

なるほどアドルノが正しいとしても、その文化工業の概念を議論するにはとても津リッターでは役に立たないと言う事実も浮かび上がり、一般の多くの市民がともに声を挙げる海賊党のありかあの根幹にも関わるものであるのは間違いないであろう。

そして海賊自体にはそうした論争の文化が無く、自らの提案が藁人形を自ら打つだけでしかないと、この新しい政治結社の声に注目する。ネット文化のツィッターの限界を明らかにするとともに、従来の政治では市民の声が反映されない問題点をもあからさまにしていることには間違いない。



参照:
Wir müssen das ernst nehmen - aber was genau?, Stefan Schulz vom 11.5.2012
海賊党が問題提議したもの 2012-04-22 | 文化一般
頭の悪い人達が集まる業界 2010-02-11 | マスメディア批評
天を仰ぐ山寨からの風景 2009-01-12 | 文化一般
著作権のコピーライト−序章 2005-08-05 | 文化一般
社会資本の換金請負 2005-07-15 | 歴史・時事
文化の「博物館化」 2004-11-13 | 文化一般
政治への強硬な姿勢 2012-05-10 | ワイン
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貧相な幕府小役人の写真

2012-05-11 | 歴史・時事
独日修交150周年記念の展示にあったオウレンブルク卿の写真集が出ている。1860年に合衆国などの諸国に遅れないと、開港の不平等条約を締結するために1860年九月にプロシアから送られた外交団である。

その時、合衆国のペリー使節団が僅か一つのカメラによって長い鎖国を1854年に抉じ開けたとき記録すべき写真が十分に撮られなかったのを補うかのように、六つのカメラや様々なレンズ2500枚の代償の硝子盤や化学薬品、携帯暗室などが、16個のカビネットに収められて、遠征の装備として予算化された。〆て2500定刻ターラーと計上されている。

その資料をベルリンの秘密資料として見つけて、ロンドンのブリティッシュライブラリーでのプロシア使節団日本遠征の記録を確かめ、あるはずべきな写真の数々への捜査と相成った。

ドイツ語と2003年の暑い夏と戦いながらのオウレンブルク卿の旅日記を発見したセバスッチァン・ドブソンの成果であった。それがここに収められているようだ。江戸では、ペリー提督に同行した記録画家のヴィルヘルム・ハイネがオウレンブルク体においても協力したことで可也多くの撮影が可能になったとされていて、米国人と同じ轍を踏まなかったとされる。

その理由には、写真への信頼と言うような技術的なものではなく、自らの嫡出の息子への仕事を与えるためのものだったとされて、今でもどこぞの首長がやっているようなことである。

そして2007年に秘密文書の山の中から見つけたのが200枚に及ぶ写真の数々であり、長崎までその撮影地は日本中を動いているのは周知のことである。それでも当時ベルリンへと届けられたオウレンブルクの報告書の一つの封筒には250枚の写真が含まれていた筈で、更に合わせて千枚以上が撮影されている筈だとしている。

それでは、その写真の数々は何処に行ってしまったか?1870年のベルリンにその痕跡はベリリンの写真家レオポルト・アーレントに途絶える。そこで、写真が百枚単位で焼付けされて売られている。1861年にハイネやアルバート・ベルクが戻ってきたときにはそのネガは既に無くなっていたと言う。


写真:オウレンブルク卿の江戸幕府との修好条約書日本語版原文。徳川慶喜は関連文書に源氏慶喜と署名している。



参照:
Die Jungs von der Thetis im Teehaus, Carsten Germis, FAZ vom 10.05.2012 - Unter den Augen des Preußen Adlers, Sebastian Dobson, Indicium Verlag, München
創造する首が無ければ 2012-01-31 | 文化一般
上を向いて歩こうよ 2012-02-03 | 生活
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政治への強硬な姿勢

2012-05-10 | ワイン
連邦共和国内務大臣フリードリッヒがイスラム過激派サラティンに対して強硬に対処することを明らかにした。つまり原理主義サラティンはイデオロギーであると認定して、その暴力行使が自由民主主義を脅かすものとして根から刈り取る政策を打ち出したことになる。

キリスト教民主同盟内でも強制送還などの強制手段を用いても共和国から一掃することが要請される。反自由民主主義的な古代のイデオロギーを認めないことは当然であり、共産主義を含めてそれらを反社会勢力と見做すことは正しい。

その一方、海賊党の躍進が示すように、ホロコースト修正派が逮捕されるような状態も心情の自由の声明を禁じているものとして本当の自由を勝ち得るとする運動も勢力を増している ― 当然ながらこうした問題にネットポータルが関わってくるので今後フェースブック問題は政治問題化しかねない。

それは同時に日本の社会で見られるような検閲と権益のマスメディアの支援を受けた「既得権益勢力の権力構造」打倒への運動として最重要視されべき自由民主主義への戦いの姿勢でもある。

そうした批判の一つとして合衆国との距離を置こうとしてワシントンからも陥れられようとする小沢何某へのマスメディアの攻撃が批判されるが、それは本末転倒も甚だしい。ジャーナリズムが護るべきは、現在においては自由民主主義でしかない。ああした田中角栄直伝の金権選挙・金権政治を許すことは闇将軍とか関白政治とか呼ばれる薄汚い閉鎖された政治そのものであって、自由民主主義からは程遠い正しくホロコーストの行為に相当する蛮行でしかない。そうしたものを許すぐらいならば、先ずはネットを使った政治活動や供託金の減額へと運動を起こして海賊党を推し進めるべきなのだ。そうすれば、恐らく日本でも海賊党は緑の党を脅かして、第三党となることは間違いなく、マスメディアの推進した二大政党制は容易に打破されるに違いない。

昨日天気予想よりも状況がよく、石切り場でまた四時間以上仕事をした。十分に乾いていなかったのでトップロープを用いたところもあったが、概ね5.10cまでのハイグレードな練習となった。一本は垂壁からオーヴァーハング交じりで気合が必要であったが、何回か挑戦すれば完璧にこなせそうなことが分った。

相棒の医者はワインには全く知識がないので、その社会について少しレクチャーした。そう言えばプーティン大統領の就任式に今やロスチャイルド家に遣えているシュレーダー前連邦共和国首相の顔が主賓として写されていた。ロシアの天然ガスの利権を扱っている。

土曜日にダイデスハイムのバッサーマン・ヨルダン醸造所で開かれる試飲会にゲスト醸造所として招かれるナーヘのシェーンレーバー醸造所に連絡した。先ずはスタンダードのリースリングを持ってきてくれと頼んだのだ。そして、そちらのスタンドに行く前にバッサーマン・ヨルダンの方に渡しておいてくれても良いと書いた。親切に持って来てくれると回答があって、スタンドに取りに来てくれとあった。若干こうしたコレスポンデンスに政治があるのは当然であるが、私としては少なくとも顧客である限りはバッサーマン・ヨルダンを叱咤激励しなければいけないと考えている。それでなければもはやそこのワインを購入する意味もないであろう。と同時に若い世代への支援表明でもある。徒で車を走らせるよりも僅かでも金が入った方が良いに決まっている。自称VDP会長私設秘書の自負である。「ハーモニーの2011年」とシェーンレーバーが自ら呼んでいる2011年産、とても楽しみである。



参照:
誉れ高いモンツィンガー 2009-10-06 | マスメディア批評
あっと驚く、びっくり水 2011-01-25 | 料理
立ちはだかる一途な味覚 2009-09-27 | 試飲百景
権謀術数議会制民主主義の自覚 2010-01-09 | 歴史・時事
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第八交響曲をキャンセル

2012-05-09 | 文化一般
ルツェルンからメールが入った。なんとマーラーの第八交響曲に代わってベートーヴェンとモーツァルトのレクイエムが演奏されるとプログラム変更の連絡である。これではまるで日常茶飯に起こっているスイスの詐欺行為そのものである。

今回のフェスティヴァルのオープニングに開会の辞に続いて演奏される筈であったコンセプトの基本にあるプログラムであったので、演奏者の交代はあってもプログラム変更は無いと誰もが考えていた。

指揮者アバドは今年に入ってからも直前にキャンセルなどを繰り返しているので、ラテン系人としてこうした変更は無いことは無いのだろうが驚きをもって迎えられている。

以下が変更通知のメールの原文で、芸術的理由としか記されていない。早速問質してみる心算であるが、十分な情報は得られないかもしれない。

Sehr geehrte Damen und Herren,
Wir teilen Ihnen mit, dass am 8. August sowie am 10. und 11. August Claudio Abbado das folgende Programm mit der folgenden Besetzung im KKL Luzern dirigieren wird:
Ludwig van Beethoven:
Bühnenmusik zu J ohann Wolfgang von Goethe's Tragödie "Egmont", op. 84 (1809/10) für Sopran, Sprecher und Orchester
Pause
Wolfgang Amadé Mozart
Requiem in d-Moll KV 626 (1791)
Edition von Franz Beyer

LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA
Chor des Bayerischen Rundfunks und Schwedischer Rundfunkchor
Claudio Abbado, Dirigent
Juliane Banse, Sopran (Beethoven)
NN, Sprecher
Anna Prohaska, Sopran (Mozart)
Sara Mingardo, Alt
NN, Tenor
René Pape, Bass
Dieses Programm ersetzt die ursprünglich geplante 8. Sinfonie von Gustav Mahler aus künstlerischen Gründen.
Das Konzertprogramm vom 17. und 18. August bleibt unverändert.
Die Eintrittskarten für die drei Konzerte am 8., 10. und 11. August behalten ihre Gültigkeit.
Wir wünschen Ihnen ein schönes Konzerterlebnis und freuen uns auf Ihren Besuch!
Mit freundlichen Grüssen
Michael Haefliger Friederike Reich
Intendant Leitung Sales

ネットにおいても、指揮者にとって最大のイヴェントを容易に変えるとは思われないので、芸術的以上に健康上の理由との推測もある。しかし今週ベルリンで指揮台に立つ予定であり、それほど健康状態が悪いとは考えられない。

もう一つのブルックナーの交響曲のプログラムはそのままなので、理由は分らない。マーラーのこの大曲自体もレパートリーとしてベルリンでも振っていたことからすれば今更の感は強い。

以下に元々のプログラムを貼り付けるが、テルツュァー少年合唱団や歌手などの問題ではないであろう。

Gustav Mahler
Symphonie Nr. 8 Es-Dur
("Symphonie der Tausend")
Mitwirkende:
Anna Prohaska, Sopran
Juliane Banse, Sopran
Anna Larsson, Alt
Sara Mingardo, Alt
René Pape, Bass
Chor des Bayerischen Rundfunks
Einstudierung: Michael Gläser/Peter Dijkstra
Schwedischer Rundfunkchor
Tölzer Knabenchor
Lucerne Festival Orchestra
Dirigent:
Claudio Abbado

そしてHPには次のようなテロップが流れる。

Claudio Abbado hat sich aus künstlerischen Gründen entschieden, in seinen Konzerten mit dem LUCERNE FESTIVAL ORCHESTRA am 8., 10. und 11. August neu Beethovens Bühnenmusik zu «Egmont» sowie Mozarts Requiem zu dirigieren.

これは明らかに、マーラーのこの曲の演奏を断念せざるを得ない理由が存在すると言うことで、指揮者の芸術的判断であることを明白にしている。理解不可である。



参照:
原発零でも電気零ではない 2012-05-06 | アウトドーア・環境
小細工では動かない大波 2012-04-20 | 雑感
ほとんどコンサートゴアーの様 2012-04-17 | 文化一般
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週末のストレス解消次第

2012-05-09 | 生活
週末は、雨勝ちで気温も低く、だらりと過ごした。土曜日はハイデルベルクへと試飲に行ったので、比較的早起きして飲酒運転に備えるべく、食事などを十分に摂った。前日の快い疲れと同時に、ズボンを履き返るときに膝小僧の内側の直径五センチほどの痣に驚いて、前夜の死闘を思い起こした ― 更に右肘の四・五箇所が瘡蓋になっているのを後に発見。あれだけ静的に運動していても知らないうちに恐怖心から無理に足をひね込んでいるのだと分った。

反面懸案の右手首の調子が良い方向へと進んでいるようで、違和感を感じる角度が少しずつ小さくなってきて、手首が殆ど回るようになってきた。完治も早いかもしれない。

それでも肩などに疲労感が残っていたので日曜日の朝はパンを取りに行く序に峠まで駆け上がった。林道は濡れているが緑が美しく、ジョギングテンポに落として走っても試し試しの前回よりは早く3100歩、21分で峠に到着した。今後回数を重ねれば後一分以上早く走れるのは想定内であり、駐車場に降りてきても40分経過していなかったので、進展が観察された。登りに感じるのは足への酸素の供給問題であるが ― 前回は足の痛みとして翌週に尾を引いたが今回は幾分軽いようだ。また起きてから少し時間が経過している方が能力は高まっているようだ。寝起きはやはり運動能力的に厳しい。

土曜日に届いたCDの殆ど鳴らした。どれもこれも予想通り力の入った力作制作で、メージャーレーベルの最後の時代を飾る作品群である。先ず驚いたのは、テルデックのシカゴ交響楽団と指揮者ダニエル・バレンボイムのピアノでのシェーンベルク曲集である。とても素晴らしい録音である。加齢の影響で高可聴周波域が聞こえ難くなっているかもしれないが十分に伸びているのを感じることも出来る ― 最近再び敏感になった感じがするのだがどうだろう。正しくオーヴァートーン奏法が作品11にて行われているのである。そして同時期の作品16において世界一の交響楽団を駆使して、作品19そしてブゾーニの編曲の組み合わせと、企画、演奏・録音のあらゆる面から上出来であり、もし豪華ブックレット付のフルプライズで購入しても不満はないであろう。他のCDも非常に似ている時代性があってどれも興味深い。



参照:
割れ目を攀じ登る楽しみ 2012-05-07 | アウトドーア・環境
音の鳴らし方、緊張と緩和 2012-05-03 | 音
肌理細かな高CPピノノワール 2012-05-08 | 試飲百景
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肌理細かな高CPピノノワール

2012-05-08 | 試飲百景
赤ワインを試飲にベルクシュトラーセまで行った。こちらからするとライン平野の向こう側の山懐であり、ハイデルベルクからすると南の町である。コンクリートの採石場工場で有名なライメンである。毎年開かれる試飲会なのであるが参加するのは初めてで、つまらなそうなのを除いて一通り試飲した。

白ワインで購入する価値のものはなかったが、ピノグリなどは上手に造っていた。バリックではなしにフーダーのようなものを使っているのでそれなりの細かな作業が可能になっているようだ。丁度この醸造所から対岸にあるレープホルツ醸造所のバリックものなどと比較すると買えるかもしれない。しかし個人的にはブルグンダー種の白ワインに10ユーロ以上出す用意はない。これならばフランスの白ワインに幾らでも安いものがあるからだ。

リースリングは流石に土壌感が出ていたがコンクリート味は不味い。質は悪くないので飲んでも気持ち悪くはならないだろうが、この種のリースリングしか飲んでいないと本当の白ワインの良さは分らないだろうと思われる。

さて本命の赤ワインであるが、電話であらかじめ聞いていたように、凶作の2010年産が主体であった。レムべルガーも日常消費用から高級まで三種類あり、中間のものが酸が強く、最高のものが緑の香辛料のような独特の香りを放っていて面白かった。悪酔いするかもしれない。

シュペートブルグンダーは、日常消費用のものが酸が強く2010年産をそのまま反映しているが、2008年産の毒の強さはなくて自然な酸が喉越し良くしている。更にその上位のものはタンニンを強く出しており、その反面セメントのミネラル質がとても綺麗である。しかし更にもう一つ上級のRクラスを試すと、更に澄んでいる反面色が薄い。これが2010年の結果であろう。売れ残りの2009年産の最上のRRを試すと今度は色もよく流石に良年の出来が分るが更に数年寝かせて64ユーロの価値があるかどうかは疑問であった。結論からするとRクラスぐらいがとてもよいが、何と言っても最も単純なシュペートブルグンダーのCPに勝てる赤ワインは知らない。

フランスのピノノワールならばこの味質ならば倍の価格は間違いなくするだろう。この価格でフランスで赤ワインを求めてもこれだけ高貴なものは見つからない。とても零細な赤ワインの名醸造家であり、セメント仕立ての土壌感はドイツで稀に見る本格的なピノノワールを排出していることは間違いない。

プファルツのそれのような砂ではなくて、石灰の泥のような濡れる足裏にとこびりつくようなあれである。この単純なワインをフィレステーキに合わせた。食事にあわせると逆に酸が強く感じられたが、開いてくるに従ってバランスが良くなって来る。同じバーデンのデュルバッハ辺りのシュペートブルグンダーにも似ているが、肌理の細かさで秀逸である。



参照:
距離の伸びそうな冬模様 2011-10-25 | 料理
セメントが柔らかくなるように 2011-01-29 | 試飲百景
麗しのブルゴーニュ、待っててよ! 2010-03-26 | ワイン
ハイデルベルクの親方の地所 2010-02-01 | 試飲百景
鹿肉を食らって朝の二時まで遊ぶ 2010-01-30 | 料理
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割れ目を攀じ登る楽しみ

2012-05-07 | アウトドーア・環境
金曜日は水曜日に続いて石切り場で攻めた。二年前にそこの開拓者の一人から、そこまで熱心に頑張っているなら「あそこを飄々と登れるようになるのと違うのか?」と宿題に出された場所である。昨年も熱心に練習はしていたのだが、なぜかそこを登る機会がなかったのである。一つには嘗て一度途中で断念したように、トップロープでの二度目の機会をどこかで待っていたのかもしれない。

夕方に一雨来たことであり、他の未知のルートを登りたいと思っていたのだが、塞がっていたので、他の課題を探した。岩肌の表面は湿り気を持っているが足の入るような断層の裂け目の中はその前に続いていた乾燥した天候でまだ完全に乾いていると思って覘いてみると、裂け目が縦に二十メートルほど断層上に割れているルートには誰も居なく空いていたのだ。

こうなれば一発勝負で登るしかない。念のために機械仕掛けの楔であるフレンズを持って登りだす。まず最初のハーケンまでが遠いので地上に落ちて足を怪我しないように手ごろなところに黄色の大きさのを掛ける。割れ目に片手を差し込みながら、身体を斜めにしてフレンズを腰から選び出し、もう一方の手で割れ目に差し込む作業は典型的なフレンズの使い方であるが慣れが必要である。目星どおり黄色の大きさが上手く咬んでくれた。

そうなれば安心して一本目のハーケンまで辿り付けて、そこにカラビナを掛けザイルを掛ける。そこで下のフレンズを回収する。さて、二本目のハーケンには頭の高さの場所にある五センチ四方の棚に立たなければ届かない。そこで今度はより大きな青色のフレンズを引っ掛けて万が一の墜落に備えて、頭の高さに手掛かりを探しながら立てた。そこが一つ目の核心部であった。

二つ目の核心部はその左膝が割れ目に入る立ち位置から再び右の壁に指先だけ掛かる穴を手掛かりに、右へと体重を移動させて、割れ目の左の縁にある突起に左足を掛けて立ち上がることで頭の上ぐらいの足場に立ち上がるのであるが、左手は割れ目の縁を上手に使わなければいけないので技術的には難しく、とてもテクニカルなのである。ここでも墜落を恐れて紫のフレンズを掛けようとしたがそれでは小さ過ぎて、黄色を無理やり押し込んだ。赤色が有れば丁度の大きさであった。そして黄色は十分に嵌らずにまた抜けにくい形勢となってしまったのである。そうこうしているうちの雷鳴が轟き雨粒が降ってきたので、一斉に皆は帰り支度を始めたが、こちらはそれ所ではない。このまま雨脚が強くなって断念して降りてしまうとフレンズは回収できない。一個60ユーロ以上の価値である。

そこでもはや退路は断たれた。上へ上へと進むしかないのである。そして目指した場所に立ち上がるのだが、右手は肘まで割れ目に押し込んでこじていないと落下してしまう。左手でカラビナを腰から抜いて、摺りそうな右手でバランスを取りながらハーケンに掛けるところが、冬の室内で何度も練習した重心を動かさずに中間支点を取るロープをリードする場合の最も核心的な技術である。室内でこそ最も有効に身につけることが出来る技術である。

そしてなんとか上のハーケンにカラビナを掛けて、ザイルにぶら下がって下の黄色のフレンズを回収した。雷鳴は轟くが、雨は本格的とはならず、割れ目の中や回りも乾いたままである。そこの立ち位置には記憶があった。以前に断念した最高到達地点であったからだ。それ以上はにっちもさっちも行かなかったのであった。あの時はぜいぜいと肩で息をしていたのを覚えている。我武者羅に力で登っていたからである。あの時と比較すれば耐久力も筋力も身軽さも何もかも優れているのだが、力は最小限にしか使っていない。

そこまでで目指す頂上はもう少しである。割れ目の長さにして三分の二は終えている。そして最後の核心部である。足下の割れ目には奥には鳥の巣の痕らしきもあって中に詰め物もあってなんとなく手掛かり感があったのだが、そこから上は鋼のように鋭い割れ目の岩質で全く中で摩擦が効き難いのである。それゆえにデュルファーテクニックもしくはピアッツァまたはレイバックと呼ばれるツッパリ技術を使うのにも骨が折れるのである。そこで力尽きるのは当然なのだ。

そこで、次のハーケンを目指して出来る限り横の壁に手掛かりを求めて登る。そろそろ死闘も終わりで頭の上に大きな棚が覗いて来ているが、右手も疲れが強くなってきていて、何処まで耐えられるか分らない不安がある。ハーケンにザイルを掛けて、これで抜けられることが分った。棚に駆け上ると思わず勝利の雄叫びが上がる。同時にパートナーに礼を言って、到達点にザイルを架け替える。執拗なまでに静的な登り方に拘ったので、どれほど長い時間経ったかは分らないが、とりわけ時間が掛かった ― やはり内面登攀と呼ばれる摩擦があまり効かない内側に入る部分は外側から様子が伺えないので下から予想するのが難しく、特に頭上の足場に立ち上がるような場所は不安があり躊躇う。それでもこの石切り場でもっともテクニカルな代表的なルートで、その困難度査定の六級上つまりファイヴ・テンよりも遥かに興味深い。ここをとても綺麗に登る人を見かけることがあるが、次の機会には動的な登り方を混ぜることで早く魅せれる登り方が出来るのではないかと思う。兎に角、一部は初見であったが登り切れて大満足である。



参照:
量子力学的跳躍の証明 2012-05-05 | 雑感
友達の道具を使い続ける 2009-07-01 | 雑感
年末が見えると春ももう直ぐ 2011-12-03 | 生活
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