日々・from an architect

歩き、撮り、読み、創り、聴き、飲み、食い、語り合い、考えたことを書き留めてみます。

闘う・人!

2014-03-23 18:20:52 | 生きること
文化庁の文化財監査官大和智氏が急逝された。
氏から戴いた今年の年賀状には、ペンによる一言が書き添えられていて繰り返し眼を通すものの、ただ瞑目しご冥福を祈るしかない。
日大の大川三雄教授から相談を受けて始まったタウトの設計した「旧日向別邸」の保存問題で(現在僕は故鈴木博之委員長による市の委員を担っている)氏は、重要文化財にする事に尽力して下さった。

5月に母校千葉県立東葛飾高校の同窓会を行うことになり、まず電話で数名の同級生とやり取りし、準備会(発起人会)のために事務局を担っている小柳満男の事務所のある柏に二度ほど出向いた。
集ってまず語り合うのはお互いの体調と、同級生の訃報である。
話を聞きながら考えていたのは、親しかった同じクラスだった友人の奥様からの喪中の葉書を戴くことが多くなって、そこには「感謝を込めて・ありがとうございました」との添え書きが筆で書かれたりしていて、一瞬、五十数年に渡る彼との飲み食いしたときのエピソードがよみがえったりしたことだ。

僕たちの学年は5年毎に同窓会を開いてきた。僕は第2回目を発起人代表として企画した。そのときは教わった先生方も健在だった。前回は僕が取りまとめ役になった他の会と重なってしまって参加できなかった。とすると今度集る数十人とは10年ぶりに会うことになる。
久し振りの準備会で、お互いに歳を取ったなあ!と髪が少なくなったその白髪を見て思うものの、一瞬にして皆高校生に戻ってしまうのが不思議といえば不思議である。
その高校時代、球技祭で僕がピッチャーをやった僕のクラスは準決勝で負けその悔しさも蘇ったが、相棒のキャッチャーをやった体操部のキャプテンだった柳沢が体調を壊していて、打ち合わせに出てこれないという。電話ではお互い苦笑しながらのやり取りに、これでいいとホッとする。

そして思った。
「生きるということは闘うことだ」。闘い方は人様々だが、闘わなくては生きていけない。付き合いの中で思うのは、明日本葬をおこなう鈴木博之教授も、大和さんも闘う人だった。そして東葛高校の同級生も、お互い貧しかった天草の小学校時代の同級生も・・・

僕のこのブログ(3月1日)に書いたピート・シーガーは、公民権運動や環境問題で多くの人々の共感を得影響を与えたが、声を振り上げるのではなく、しみじみとしかししっかりと歌い、闘う人としてのその役割を果たしてきた。鈴木博之さんにも大和さんにも、そして親しかった友人とも、人が生きることについて、どこかに通じるものがあると僕は思う。
同窓会の2次会でピート・シーガーの一曲『WE SHARU OVERCOME:勝利を我らに!』を聴いてもらいたくなった。