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「 西渓公園 」 にある高取伊好の像
高取伊好は、1850年、佐賀藩多久領の武士、鶴田斌の三男として生まれる。
その後、9歳の時には姉の嫁ぎ先である高取家の養子となりその家督を継いだ。
また、多久家の世継ぎである多久乾一郎の御学友に選ばれており、
多久藩の郷校東原庠舎や佐賀藩校弘道館などで共に漢学と国学を学んでいる。
1871年、上京し箕作奎吾が開いていた英学塾「三叉塾」から「慶應義塾」へ進み、英学・鉱山学を学ぶ。
三叉塾では東郷平八郎や伊地知弘一などと机を並べた。
慶應義塾卒業後、官費学校の「鉱山寮」に入学。採炭技術を学んだ後、工部省に採用され高島炭鉱に赴任。
長崎・佐賀県の炭鉱開発をおこない、高島炭坑取締役、明治唐津鉱業組合長となる。
1885年、独立し多久市の柚ノ木原炭鉱などの開発を手がけるが三菱など大資本に押されたうえ、
大恐慌も重なり苦戦する。
1909年、杵島炭坑を買収し大規模開発に成功。従業員5千人を抱え、「肥前の炭鉱王」の異名をとる。
1919年、事業を長男九郎に譲り引退。
1927年の死去まで唐津の自宅と武雄・雲仙の別荘で漢詩の詩作に励んだ。享年78。
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寒鶯亭 ( かんおうてい )
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紅葉ごしに見える寒鶯亭
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大宝聖林碑
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西渓公園は、江戸時代、多久邑女山多久家 ( 家老職 ) の屋敷跡で、
大正9~13年にかけて多久出身の石炭王・高取伊好 ( たかとりこれよし ) が
私財を投じて建設した格調高い山水公園である。
高取伊好の号を 「 西渓 」 と称していたことから、この公園の名が付けられた。
春は桜、初夏はツツジ、秋は紅葉、そして冬は梅と、
四季折々の美しい自然が風情を醸し出している。
公園内には、国の登録有形文化財に指定された寒鶯亭 ( かんおうてい ) 。
旧石器時代からの出土品や多久聖廟に関する資料が収められている郷土資料館。
炭坑・農業の他、江戸時代から昭和までの民具が展示されている歴史民俗資料館などがある。
また、先覚者資料館が併設されており、
そこには日本の近代化や郷土に尽くした多くの人が紹介され、資料が収集、保管されている。
多久聖廟建設の設計や監督に携わった武富咸亮ゆかりの 「 大宝聖林碑 」 などがある。