かつて日本一の石炭積出港として栄え、日本の近代化を支えた街、若松。
石炭と港がこの街のシンボルであった。
この街を力強く支えていたのは、石炭荷役人の陸仲士・沖仲士たちであった。
明治中頃のより、主に西日本の各地から石炭ラッシュに沸く若松に集まってきた彼らは、
過酷な労働に耐えながらも、川筋気質ととともに独自の技術・文化を築き上げていった。
彼らは 「 ごんぞう 」 あるいは 「 ごんぞ 」 と呼ばれ、
明治から大正にかけての最盛期には、若松だけでも四千人近くが、活躍したといわれる。
若松みなとのごんぞは花よ 粋な手さばき日本一 ( 若松仲士唄 )
やがて、科学技術の革新により港湾荷役も機械化され、
さらに昭和30年代からのエネルギー革命の荒波の中で、
「 ごんぞう 」 も歴史の舞台から消え去っていった。
この建物は、かつて当地にあった彼らの詰所を模して、
市民のための憩いの場所として北九州市が整備したものである。
彼らが、日本近代化に刻んだ足跡を後世に語り継ぐため、
「 旧ごんぞう小屋 」 と。名づけた。