多良間島 「 土原豊見親のミャーカ 」
石棺が入るように正面に開口の様式が取り入れられている
天蓋も石板で覆われている
墓の入り口にあるアーチ門
左横にある夫人の墓
石を盛った夫人の墓
墓庭を囲った石垣
入り口にある説明板
地元では 「 ウプメーカ 」 とも呼ばれている
土原豊見親 ( んたばるとぅゆーみや ) のミャーカは、多良間村字仲筋東筋里にある墓で、
土原豊見親は16世紀前半に多良間島に渡って、島を開拓した草分け的存在だと伝えられている。
また、オヤケアカハチらの乱平定に従軍、尚真王より多良間島主にされたと伝わる。
ミャーカは宮古地方独得の墓の様式で、大きな板石を用いた箱式石棺墓が二基あり、
一基は土原豊見親の墓で、もう一基は夫人のものだといわれている。
墓の周囲は高さ60センチほどの琉球石灰岩で囲まれており、入り口はアーチ型の石門になっている。
天蓋も石板で覆われており、沖縄本島の亀甲墓とは違った形体をしている。
どちらかというと亀甲墓よりも家屋を模った厨子甕のような感じである。
また、地元では 「 ウプメーカ ( 大墓 ) 」 とも呼ばれている。
墓の近くには土原豊見親を祀った多良間神社がある。