

大分県中津市出身の福沢諭吉が1万円札になってから今年で29年になる。
当時一万円札になったことをお祝いして
福沢諭吉の載った一万円札をモデルにした煎餅が、これである。
友だちや知人におみやげでこの1万円札せんべいを渡すことはあっても、
自分で買って食べることはなかったが、
昨日ある人から 「 どうぞ! 」 と言って手渡されたのが、このせんべいだった。
一万円札を食べるという幸福感は言うまでもないが、
せんべいの味が懐かしくて美味しい満足の行くものであった。
ただ、全部とは言わないが、
せめて一枚でも本物の1万円札だったらもっと良かったのにと思う。
福沢諭吉の一万円券の発行開始は、昭和59年 ( 1984年 ) 11月1日で、
同時に五千円券と千円券の様式も一新され、肖像画の人物が政治家から文化人に変更された。
一万円券: 聖徳太子(政治家) → 福沢諭吉(文化人)
五千円券: 聖徳太子(政治家) → 新渡戸稲造(文化人)
千円券: 伊藤博文(政治家) → 夏目漱石(文化人)
五百円券: 岩倉具視(政治家) → 新規発行せず
百円券: 板垣退助(政治家) → 既に発行停止
その後、平成16年(2004年)11月1日から、五千円券は樋口一葉、
千円券は野口英世に変更されましたが、一万円券は福沢諭吉のままです。
ただし、このときから裏面は雉から鳳凰に変更され、
ホログラムや特殊インクなど最新の偽造防止技術が採用された。
最高額面の日本銀行券の肖像として、
近代日本の黎明期を代表する文化人の中では福沢諭吉が最も相応しかったということであろう。
日本銀行券のデザインは、日本銀行法により、
財務大臣(以前は大蔵大臣)が決めることになっています。
デザインを検討するのは日本銀行の専門家である。
当時の総理大臣は中曽根康弘、大蔵大臣は竹下登であった。
後に総理大臣となった小泉純一郎は厚生大臣として初入閣したばかりのころであり、
日本銀行券の新デザインの検討や決定権とは無関係だったと思われる。