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道路に面した御嶽
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御嶽の周りはフクギに囲まれている
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運城御嶽の神名を「オトガフセライ神ノフセライ」と唱える。
嘉靖年間(1523年頃)土原豊見親によって創設されたと伝えられる御嶽である。
御嶽由来記には、次のように記されている。
「 神代に多良間仲筋村の主、
平屋西筋 ( ヒラヤスズ ) という人の男の子にオソロという者があったが、
幼少の時から正しく朝夕天神を拝み、成人するに従い信仰をますます厚くし、
運城と泊の両所に御嶽を建てて、37日 ( サンシチニチ ) 山ごもりをして祈願したら、
霊感があって天神が降り、運城には島守の神、泊には海守の神を垂れ給う。 」 とある。
これは伝説であろうが、御嶽の建造は土原豊見親が成人して島主に任ぜられた後のことである。
この御嶽の祭事は、旧三月のムギプーリ ( 麦の初穂祭 )。
旧五月のアープーリ ( 粟の初穂祭 ) 、旧六月のクムリウガン ( 芋祭 ) 。
旧九月のウガン、ウガンプトキ ( 御願解の意 ) 豊作感謝の祭、
マキレイのウガン ( 粟、麦などの播き入れが終わった頃の立て御願 ) など、
年中行事の祭りを執り行うことが恒例となっている。
この行事は三百年余りも絶やすことなく受け継がれ現在に至っている。