村の発祥の地として信仰の対象となっている木
アラスク村遺跡の説明を書いた碑文
アラスク村遺跡は、13~15世紀ごろのものとされ、
これまでの発掘調査によって中国陶磁器や八重山式土器、石器などが出土している他、
ブシヌヤー(武士の家)と呼ばれる屋敷囲いの石垣や
アラスクバルバーといわれる井戸が残っていたが、
多くは農業基盤整備事業等で失われてしまった。
年代的な記録がないだけに不明な点が多く、今後の究明のためにも重要な遺跡だといえる。
アラスク村遺跡は、平得村 ( ひらえむら ) の発祥地だといわれている。
一説には、金武岳の東南にあるパイノーラだという説もあるが、村の伝承によると、
「 昔、石垣島に大地震が起こり、島人はみな死に絶えたが、
奇しくも災厄を免れた二人の兄妹は、ヘーギナーの平池と呼ばれる池のほとりに住み着いた。
やがて妹は神託によって処女懐胎し、
次第に子孫は繁栄していってヘーギナー村を形成していった 」 と、伝えられている。
彼らは石斧を用い池の水やヘーギナー川などの地表水を使用して生活してきたが、
そこからアラスク村へ移り、さらには南のウィスズ村へと移動し、
そこで初めて鍛冶の技術が起こり、
英雄七兄弟の伝説を生んだナカントゥ村を経て、現在の平得へ移ってきたといわれている。
平得村は当初、平池の名に因んで 「 平村 」 と呼ばれていたが、
後に琉球王府の命により、「 平得村 」 と改められたと言われている。
アラスク村遺跡へのアクセスアラスク村遺跡へは、
県道212号線 ( 真栄里・大川線 ) にある石垣浄水場の手前の小波本牧場から
右に入ったところにある。
駐車は、アラスク村遺跡の碑文の近くが広く空いているので駐車できる。