投函されなかった一通の手紙

2014-07-20 00:00:40 | 美術館・博物館・工芸品
最近、話題になっている「川端康成が投函しなかったラヴレター」。本来、没後に手紙などを発表していいものかどうか、さらに投函しなかったということは、文学者としてはボツ原稿ともいえるわけで、失敗作ともいえるわけだ。

さらに、当時はまだ小説を書いてないのだから、・・

とはいえ、破らないでずっと持っていたわけで、公開されてもいいと思っていたのだろうか。あるいは死後のことなんか、無頓着だったのかもしれない。

現物を公開中の、岡山県立美術館の「巨匠の眼・川端康成と東山魁夷展」に行く。



まず、本稿では「東山魁夷」についてはあまり触れないことにする。先日、坂出の東山魁夷せとうち美術館に行ったときに、実際の画家の評価というのは、まだまだこれから研究されるのだろうと確信したこともあるし、本展の二人のカップリングの理由というのが、二人の作品の展示と合わせ、二人がそれぞれ秘蔵していたコレクションの公開というスタイルをとっているからだ。

川端康成のコレクションというのが凄まじく筋が良く、量も多く、何しろ国宝を3点も含んでいる。縄文美術に始まり草間彌生に至る国内、海外のコレクションは、それだけで一流美術館クラス(その他有名な盆栽もあったのだがどうなっているのだろう)。そして、その一流品を手に入れてから東山魁夷にチラッとみせて、コレクターの仲間に入れてしまったわけだ。もしかしたら、作家の財布が軽くなりすぎたので、画商の訪問先を切り替えようとしたのかもしれない。大画家ならば、一枚売った資金で、コレクション1個を購入すれば、原価なしで美術品コレクションが増えていくはずだ。

で川端に話を戻すが、あちこちからの手紙が残されている。といっても、川端あての手紙が残っているだけで、往復書簡の場合、川端が出したものはない。だから、なぞのラヴレターの解読は簡単にはいかない。婚約破棄の理由を結局、川端は知ることがなかっただろうとの推測は変わらないように思う。

残された手紙類の中で面白いのが、谷崎が原稿料の文句を書いていたものと、文学史上有名な太宰治が選考委員だった川端康成に、恥をかき捨て「妻子に合す顔がない」とか「賞を取らないと原稿料が稼げない」とか自分勝手な手紙を書いた件だが、これも本物が展示されているが、手紙と言っても、巻紙である。普通の感覚では、こんなもの読んだら、絶対に賞など渡さないし、選考委員全員に回覧してしまうだろう。

しかし、川端康成は、何でもとっておくのが好きだったのだろう。

そして、葬儀の弔辞。川端が葬儀委員長として弔辞を読んだのは、林夫美子と三島由紀夫が有名だが、弔辞名人だったようだ。展示は堀辰雄、岡本かの子、横光利一が紹介されていたが、自分で調べてみると、佐々木信綱(歌人)、佐藤春夫、尾崎士郎、坂口安吾他、その他大勢だそうだ。

参考:林夫美子の葬儀での弔辞:「故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいことをしたのでありますが、しかし後二、三時間もすれば、故人は灰となってしまいます。死は一切の罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思います」

どうも、「なぜ、川端は弔辞が巧いか」という考察まであるようで、色々な意見を読んでみて考えるに、「いつも死を考えながら生きていたから」だろうと思う。「文学者の言葉はすべて遺言である」という言い方もあるようだが、私のブログは遺言じゃないから・・遺言を次々と書く人は、明らかにいない。


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