抜け雀の落ちを書き変えた噺家

2016-07-05 00:00:20 | 市民A
春風亭小朝の独演会が横浜某所のホールであり、満席の中の一つの席に座る。独演会といっても最初に短い現代落語を話し、その後は前座に任せて、最後に長めの古典落語という予想通りの展開だ。

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独演会の中にも、一門総出で、三味線とか鳴り物入りの場合もあるが、そういうのもいいが、こういうのもいい。

それで小朝の声は、ずいぶん高音だ。そして早口。弟子が困るだろう。

古典落語の題目は「抜け雀」。

江戸時代、小田原の宿屋に貧乏なのかリッチなのかよくわからない男が現れる。実は無銭飲食のかたに屏風絵を描いて逃げ出す。腕は確かなので、置きみやげの屏風に描かれた雀が実際に飛び回るわけだ。そしてその噂を聞いた小田原藩主の小笠原某も、千両とか二千両とか勝手にオークション価格を引き上げるわけだ。

ところがある日、実は無銭飲食者の父親なる人物があらわれ、雀の絵に筆を加えることになった。雀のために止まり木と鳥かごを追加する。

その後、再び舞い戻った食い逃げ男が屏風に書きくわえられた鳥かごを見て、驚愕すると同時に、「親をかごかきにした親不幸者」といって終わるのだが、小朝は「すずめの涙」という落ちに書き変えてしまった。たぶん、「駕籠かき=タクシードライバー」ということで、特定の職業を差別的に語るのに賛成しなかったのだろう。それに本作は古今亭志ん生の代表作でやたらと話してはいけないはずだ。

かすかに聞いた記憶があるのだが以前は誰が話したのだろう。

*ところで、落語ではなく実話なのだが、小田原藩は江戸時代の始めは稲葉家が藩主だった。国宝の曜変天目(稲葉天目)は史上二番目に優れた逸品(一番は信長が所有していて、本能寺の変で焼失)で、現在は三菱系の静嘉堂文庫に所蔵されるのだが、徳川家に伝わっていたのを家光が春日の局に寄贈し、それが親戚の稲葉家に伝わる。稲葉家はその後、淀に転封となったが明治になるまでは稲葉家が所有。そして稲葉家が手放し三井家に、その後三菱の所有と変わる。


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