阪田三吉って誰?

2009-10-24 00:00:01 | しょうぎ
sakata大阪通天閣タワーの下に、阪田三吉の碑がある。ちょっと残念なのは、阪田のレリーフではなく、単に王将の駒の文字が書かれていて、下に阪田三吉の解説が書かれているのだが、どうも内容が実像ではなく、戯曲「王将」の中の虚構の阪田であるように思える。

実際、阪田三吉は将棋の棋士だったわけで、通天閣タワーのオーナーではないので、本来、ここに碑がある必然性があるのか、ということになるのかもしれない。

しかし、観光客数人が、碑の周りで、「阪田三吉って誰だ?」とか話していた。実在の阪田のことを知らない人が、この碑文を読めば、「実在しない戯曲上の人物」と思うのではないだろうか、と少し心配になる。

彼の偉業は、堺市の舳松(へのまつ)人権歴史館の中にある「阪田三吉記念室」で展示されているようだ。どうして、そういう堅苦しいところにあるのかというと、彼は「被差別」出身だったそうだ。しかし、その出自と、「彼の将棋の実力」、あるいは「彼が名人になれなかったこと」が関係しているのかどうか、よくわからない。たぶん、人権歴史館にいくと、激しく書かれているのだろう。後手の初手9四歩は、一般には、東京に対する大阪の反骨精神ということになっているのだが、もっと熱く、数百年にわたる差別への反抗の一手、ということになるのだろうか。


tutenkakuところで、この通天閣の地下には、かつて巨大な将棋道場があったはず。「はず」と言うよりも20年以上前に、その道場をのぞいた記憶がある。今も昔も例のごとく時間に追われる人生なので、当時も対局をすることはなかったのだが、巨大な道場内をふらふら歩くと、奥の方に中国清朝皇帝の玉座のような場所に座って、対局していた初老の棋豪がいた。

当時は、わからなかったが、伝説の「大田学氏」だったのだろうか。

再訪しようと思っているうちに、いつしか時が流れ、将棋道場は廃止となったとは聞いていたが、その後どうなったか知りたかったのだが、地下エリアそのものが入場禁止となっていた。





tutenkaku2近接するジャンジャン横丁には、飲み屋やくしカツ店が軒を並べるが、その中に二つの道場が営業していた。「王将」と「三桂クラブ」。どちらも、ガラス張りで、店の外からでも対局が見えるようになっている。周りの店には、昼間から酔っ払いがあふれているが、なぜか道場では缶ビールを飲んで指している人はいない。なにか飲んでいては不利益になることがあるのだろうか。ガラス越しのギャラリーもかなり興奮している。


ところで、通天閣タワーだが、直下で見上げると、かなり庶民的な姿になるが、遠景で見ると、かなりのランドマークになる。夜は豪快にも怪しくライトアップされるのだろうか?


10月10日出題作の解答。



▲6六銀 △同玉 ▲9三角 △6五玉 ▲7五角成 △5五玉 ▲5六歩 △4六玉 ▲6四馬 △4五玉 ▲5五馬まで11手詰。

1手目が意外だが、3手目を指す時に、すべて読み切る必要あり。です。歩が盤上に残ってしまいますが、過去を振り返らないこと。です。


動く将棋盤は、こちら


今週の問題。



金や銀がないので、バサバサって感じになる。(感じ方は人しだいだが)

ヒントは、「香にとって心地よい場所は?」ということになるが、深く考えないほうがいいかもしれない。

わかった、と思われた方は、コメント欄に、最終手と手数と酷評をいただければ、正誤判断。


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