平成の書(現物)

2017-05-07 00:00:43 | 美術館・博物館・工芸品
元号を公用している国は日本だけといわれる。しかし、それは大きな間違いなのだ。

西暦というのは欧州人にとっては立派な歴史をもつ数字であってヨーロッパの元号であるといって間違いない。なにしろ、1年を365日とし4年に一回閏年があるが100年に一回は閏年がなく、しかし400年に一回は閏年になる、というルール自体は科学的なのだが、紀元1年はキリストが生まれた年ということになっているのだが、そこにやや正確さが欠けるし、なにしろ紀元1年の前の年はゼロ年ではなく紀元前1年。つまり+1年の1年前は紀元マイナス1年=-1年。1年前は、1-(-1)=2となってしまう。しかも生まれたのは12月25日なのだから、生まれる前から紀元1年なのか、生まれる前の年はまだ生まれていないのだから数字の書きようがない。

とはいえ、デファクトスタンダードの代表事例がこの西暦なのだからしようがない。となると昭和とか平成とか何の意味があるのだろうということになる。西暦よりも欠点が多いのは間違いない。国家的ファッションと割り切ればいいのだが、今でも公文書には元号が使われる。

heisei


さて、平成が始まったのは無論のこと平成元年1月8日。当時の官房長官の小渕恵三氏が昭和64年1月7日に、「あしたから、こうなります」と掲げた。後に総理大臣になった小渕氏を紹介する写真は、いつもこの年号発表時の写真だ。

そして、この「平成」という字が書かれた紙なのだが、現物は竹橋にある国立公文書館に展示中である。時節柄だろう。公文書館の出口に近い場所である。実際には、感動は少ない。文字を書いた人は辞令専門官の河東さんという方で、発表20分前に鉛筆書きのメモがきて、大至急書いたそうだ。簡単な文字ほど難易度が高いのだろう。既にご退官され埼玉で書道教室開業とのこと。次は、武田早雲氏とか、清水寺の大僧正あたりに頼んだらどうだろうか。どちらも事前に頼むと口が軽そうなのでまずいかもしれない。

この「平成の書」だが、実は公文書館にあるには曰くがある。本来、森友交渉録のような重要書類が紛失し、習字二文字が残っているというのは奇妙なのだが、やはり数奇な物語があった。この紙は、発表後、当時の総理大臣であった竹下登氏が所有することになったそうだ。まあ、記念の品みたいなものだろうか。そして数十年経ち竹下家の秘蔵の品が世に出ることになったのが、例の番組に関係がある。「開運何でも鑑定団(テレ東)」。持ち込んだのが竹下氏の孫。つまりタレントのDAIGOさんだった。

ところが、番組の方では、「鑑定不能」ということになる。参考事例はないが、何しろ有名である。5万円から500万円の間?その結果、DAIGOさんは、この書を「国立公文書館」に寄贈することにした、ということだそうだ。DAIGO語でいうと、HSはKFなのでKKに寄贈したということだ。


ところで、「平成」を発表した1989年に官房長官だった小渕氏だが、総理大臣になったのは約10年も後の事だった。平成元年の時の総理大臣は竹下登氏。その後、宇野、海部、宮沢、細川、羽田、村山、橋本と続きその後が小渕、森、小泉となった。小渕→森は任期中に亡くなった小渕氏が最期に「後は青木幹事長に任せる」と言ったとされ、そのあと自民党5人組の密室会議が行われ、その中の一人の森氏が、総理大臣に就任した。

実際、総理大臣はこの後も次々に変わるので受験生泣かせである。宇野氏以降について受験生は「鵜飼い見や細ハム」「端of森(の)鯉」と覚えるらしい。小渕氏=ofだそうだ。