2017.4.14(金)
フィギュアスケートの浅田真央さん(26歳)が12日、引退会見を開いた。彼女はすでに10日に自身のブログで引退を発表していたが、12日初めて公の場で引退を表明した。
浅田真央さんは来年の平昌五輪を目指していたが、昨年12月の全日本選手権で過去最低の12位に沈んだ時、引退が頭に浮かんだと言い、「今の時代はすごいので、体と気持ちがつらくなった」との思いから、今年の2月に決断したという。
5歳からフィギュアを始め、15歳でシニアに参戦。大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器に世界のトップで活躍してきた。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得(金メダルは韓国の金妍児選手)、2014年のソチ五輪では6位に沈んだ。しかし、2008年、2010年、2014年の世界選手権で優勝、グランプリファイナルで4回
の優勝を果たすなど常にフィギア界のトップを走ってきた。
引退会見では、記者からフィギュアはどんな存在だったかと聞かれて、「一言で言うと、やはり、人生かなと思う」と答えた。
彼女の引退が明らかになって以来、新聞、テレビは大きく報道した。新聞は全紙面を使って、またテレビはどの局も何度も何度も特集を組んだ。これまで大物選手らが引退を表明すると大きく報道されてきたが、浅田真央さんに関しては特別大きな報道に思えた。それは彼女のひたむきな練習、華麗な演技、どうしても五輪で金メダルが取れなかった悔しさの共鳴だったかもしれない。
しかし、「よく頑張った」「お疲れさま」というのが国民みんなの気持ちであろう。
一方で、歌手のペギー葉山さんが肺炎のため12日、亡くなったと報じられた。享年83歳だった。
ぺギー葉山さんといえば、まず「南国土佐を後にして」の大ヒットで世に出た。この曲は、戦時下の中国大陸で高知出身の兵士たちが望郷の念で歌ったとされ、戦後は歌詞を変えて歌ったものである。ペギーさんは「私にとっては反戦歌。今は平和への願い、兵隊さんたちの鎮魂の思いを込めて歌っています」と反戦の思いを語っている。
また、米ブロードウェーミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌「ドレミの歌」を独自の歌詞を考案して大ヒットさせた。‶素晴らしいあの頃〞と歌った「学生時代」も忘れられない。
筆者にとっては、忘れがたい歌手の一人である。
フィギュアスケートの浅田真央さん(26歳)が12日、引退会見を開いた。彼女はすでに10日に自身のブログで引退を発表していたが、12日初めて公の場で引退を表明した。
浅田真央さんは来年の平昌五輪を目指していたが、昨年12月の全日本選手権で過去最低の12位に沈んだ時、引退が頭に浮かんだと言い、「今の時代はすごいので、体と気持ちがつらくなった」との思いから、今年の2月に決断したという。
5歳からフィギュアを始め、15歳でシニアに参戦。大技トリプルアクセル(3回転半ジャンプ)を武器に世界のトップで活躍してきた。2010年のバンクーバー五輪で銀メダルを獲得(金メダルは韓国の金妍児選手)、2014年のソチ五輪では6位に沈んだ。しかし、2008年、2010年、2014年の世界選手権で優勝、グランプリファイナルで4回
の優勝を果たすなど常にフィギア界のトップを走ってきた。
引退会見では、記者からフィギュアはどんな存在だったかと聞かれて、「一言で言うと、やはり、人生かなと思う」と答えた。
彼女の引退が明らかになって以来、新聞、テレビは大きく報道した。新聞は全紙面を使って、またテレビはどの局も何度も何度も特集を組んだ。これまで大物選手らが引退を表明すると大きく報道されてきたが、浅田真央さんに関しては特別大きな報道に思えた。それは彼女のひたむきな練習、華麗な演技、どうしても五輪で金メダルが取れなかった悔しさの共鳴だったかもしれない。
しかし、「よく頑張った」「お疲れさま」というのが国民みんなの気持ちであろう。
一方で、歌手のペギー葉山さんが肺炎のため12日、亡くなったと報じられた。享年83歳だった。
ぺギー葉山さんといえば、まず「南国土佐を後にして」の大ヒットで世に出た。この曲は、戦時下の中国大陸で高知出身の兵士たちが望郷の念で歌ったとされ、戦後は歌詞を変えて歌ったものである。ペギーさんは「私にとっては反戦歌。今は平和への願い、兵隊さんたちの鎮魂の思いを込めて歌っています」と反戦の思いを語っている。
また、米ブロードウェーミュージカル「サウンド・オブ・ミュージック」の劇中歌「ドレミの歌」を独自の歌詞を考案して大ヒットさせた。‶素晴らしいあの頃〞と歌った「学生時代」も忘れられない。
筆者にとっては、忘れがたい歌手の一人である。
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