「私のギター好きの原点」
拓郎を知るきっかけは、母の故郷に住んでいた、10歳ほど年の離れた、いとこの存在だった、と以前ブログした。(拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No2)
また、彼にはギターも教えてもらった。ただし、教えてというよりも彼がギターを弾くのを見ていた。
当時私は小学生。弦を押さえようにも5本指ではできず、ギターを畳の上におき、弦の一本一本を押さえながら、それを爪弾いていた。そう琴を弾く格好を想像していただければいい。
私の母のふるさとは、静岡県の中央、北部の山間の中。
小学生の頃の私は、よく夏休みになると「夏休みの友」と自由研究の素材を持ってその田舎に、丸1ヶ月以上一人で預けられた。
でも、数十メートルも離れていないところに、親戚は数件あり、毎日のように各家を回って寝泊りしていた。
ただし、同じ年頃の子供は、女の子ばかりで、昼間はあまり遊び相手がいなく、一人で小さな沢に行って魚を捕まえたり、昆虫網をもって田んぼにいってのトンボ取りなど、そう!拓郎の「夏休み」そのものをやっていて、けっこう忙しかった(!?)。
しかし、やはり、遊び相手は欲しく、もうすでに大人で地元に就職していた、一番面倒を見てくれた、いとこの帰りを待ち、大半はその家に泊まることが多かった。
その頃は、GS(グループサウンズ)全盛時代。彼もギターでGSのコピーをよく弾いて歌っていた。その彼の大事にしていたフォークギターを彼が仕事に行っているとき、こっそり持ち出して弦を指で弾いた開放弦の音が、もしかしたら私の今のおやじバンドの原点かもしれない。
彼の大事なギターではあるが、とても興味を引かれ、怖いながらも指で弦を引くその恐怖感と、一方、誰もいない部屋一杯に広がる開放弦の音の豊かさ。
今でも、自分のギターの開放弦を弾くと、そのときの情景がいつでもよみがえる。
今彼は、おそらく60歳前後。今もギターを弾いている、とは聞いていない。このごろご無沙汰している。