温故知新No2

静岡県の牧之原市から、盆栽、野球審判、蕎麦打ち、おやじバンド、その他徒然なるままに、ブログしています。

拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No3

2006-10-15 08:57:08 | 拓郎&かぐや姫つま恋コンサート

私のギター好きの原点

拓郎を知るきっかけは、母の故郷に住んでいた、10歳ほど年の離れた、いとこの存在だった、と以前ブログした。拓郎&かぐや姫つま恋コンサート雑感No

また、彼にはギターも教えてもらった。ただし、教えてというよりも彼がギターを弾くのを見ていた。

当時私は小学生。弦を押さえようにも5本指ではできず、ギターを畳の上におき、弦の一本一本を押さえながら、それを爪弾いていた。そう琴を弾く格好を想像していただければいい。

私の母のふるさとは、静岡県の中央、北部の山間の中。

小学生の頃の私は、よく夏休みになると「夏休みの友」と自由研究の素材を持ってその田舎に、丸1ヶ月以上一人で預けられた。

でも、数十メートルも離れていないところに、親戚は数件あり、毎日のように各家を回って寝泊りしていた。

ただし、同じ年頃の子供は、女の子ばかりで、昼間はあまり遊び相手がいなく、一人で小さな沢に行って魚を捕まえたり、昆虫網をもって田んぼにいってのトンボ取りなど、そう!拓郎の「夏休み」そのものをやっていて、けっこう忙しかった(!?)。

しかし、やはり、遊び相手は欲しく、もうすでに大人で地元に就職していた、一番面倒を見てくれた、いとこの帰りを待ち、大半はその家に泊まることが多かった。

その頃は、GS(グループサウンズ)全盛時代。彼もギターでGSのコピーをよく弾いて歌っていた。その彼の大事にしていたフォークギターを彼が仕事に行っているとき、こっそり持ち出して弦を指で弾いた開放弦の音が、もしかしたら私の今のおやじバンドの原点かもしれない。

彼の大事なギターではあるが、とても興味を引かれ、怖いながらも指で弦を引くその恐怖感と、一方、誰もいない部屋一杯に広がる開放弦の音の豊かさ。

今でも、自分のギターの開放弦を弾くと、そのときの情景がいつでもよみがえる。

今彼は、おそらく60歳前後。今もギターを弾いている、とは聞いていない。このごろご無沙汰している。

コメント
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