<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

遠くの海の、沖合の美しい夏の雲

2015年08月30日 10時43分11秒 | Weblog

ああ、でも、珠子にも一目会いたいなあ。どこにもいない珠子に会うには魔法を使うしかない。悪魔の魔法によらない魔法というのは、しかし、ないのかもしれない。善は魔法を必要としないでもいいのかもしれない。ないものをあらしめないで、あるものに最大限の価値を置いているのかもしれない。でも、なんでもいいから、美しい珠子に会いたいなあ。遠くの海の、沖合の夏の雲を美しい珠子に見立てようか。

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夏の海の力のある白い波

2015年08月30日 10時38分07秒 | Weblog

さあもう出掛けます。友人の所まで一地時間半ほどはかかります。お昼に間に合わさねばなりません。お昼はおうどん屋さんです。それから、海を見に行きます。これは彼の所望です。夏の海の、力のある白い波を見たいと彼は言うのですが、もう秋の海になっているのかもしれません。

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神々と万物がそうしているように

2015年08月30日 10時32分46秒 | Weblog

 詩「空と海がそうしているように」

互いの目を真っ直ぐに見ていられたらどんなにかよかろう/空と海がそうしているように/山と川がそうしているように/神々と万物がそうしているように/仏陀と行者がそうしているように/

ここだけを独立させて詩を作ってみました。詩は朗読の声を欲しがります。声になって初めて詩になります。

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互いの目を真っ直ぐに見ていられる

2015年08月30日 10時19分13秒 | Weblog

互を立てる。相手を立てる。立てるようにする。相手が立つ。それを見終えてこちらも立つ。これで互が立つ。

この順序で進めばどんなによかろう。喧嘩もしないですむだろう。よかったよかったになるだろう。こうだと互の目を真っ直ぐに見て、それで互のにこにこ顔を見ていられることになる。

相手を潰してこちらが立とう立とうとするが、相手が立てなくなったらこちらも立ってはいられないのである。利他行とは相手をまず立てるということから出発しているのかも知れない。

互いの目を真っ直ぐに見ていられたらどんなにかよかろう。空と海がそうしているように。山と川がそうしているように。神々と人間がそうしているように。仏陀と行者がそうしているように。

 

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空の色気 海の色気 女の色気 男の色気

2015年08月30日 09時58分37秒 | Weblog

色気。色気はあったほうがいい。色気がなくなるとそれは途端に張りをなくしてしまう。水を吸わなくなった花に等しい。ぐにゃりと垂れてしまう。やがて生きた色を失って枯れてしまう。だから、色気は生気・精気といってもいいかもしれない。鼻であしらって見くびるようなものではない。汚い物でもない。色気のある人は生気を放っているので、近寄るとあたたかくなる。パワーをもらう。こちらも色気・水気・生気を漂わせるようになる。

女の色気。男の色気。どちらにも色気があるが、それぞれに違っていて特色がある。吸う色気・吐く色気のような違いがある。押す力・引く力のような違いもある。根の勢い、茎の勢いのような違いもある。互いにそれに惹かれ遭うように仕組まれているし、互を得てますますパワーがアップしていくようになっているところがある。これを無視することはない。上手に引き出し合っているカップルもある。

空の色気、山の色気、川の色気、海の色気、石の色気、砂の色気、草の色気、木々の色気などという色気もある。互が互を必要とし合っているときにこれが発散されてくる。供給されてくるし、需要されても来る。互い互いの特色のある色気、これが調和し合うと、この世の一切はことごとく美しく輝いて来ることになる。

暇を持て余しているさぶろうは、今日はこんなことを考えた。嘘八百の他愛ないことを。

 

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「一足お先に」は気分がいい

2015年08月30日 09時19分13秒 | Weblog

ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボデイーソヴァファー 

これは般若心経の最後の段の神呪である。呪はまじないの音韻。摩訶不思議なパワーが秘められている。パワーそのものであって、翻訳不可能ななずだが、一節では、こんな意味合いが込められているらしい。

着いたぞ 着いたぞ 彼岸に着いたぞ 彼の(涅槃の)岸へ着いたぞ もうこれでいい。

お彼岸が近づいて来た。彼岸花が、みずから花開いて見せて、それを教えてくれる。

彼岸は川の向こう岸である。川は生死の水が流れている川である。ここを渡り終えたらもはや生死はない。生死につきまとう煩悩苦悩はない。ここは、だから、涅槃(ニルヴァーナ)の世界である。おぎゃあと誕生したときに、すでにこちら岸の此岸(しがん)から舟に乗り込んでいる。春分の日、秋分の日を中日にして、都合7日間が彼岸会になる。これは遠く平安時代からの、我が国の仏教行事である。

波羅蜜(はらみつ)は到彼岸・度彼岸とも訳されているが、もともとは梵語パーラミターの音訳である。理想とする真理界到達・自己完成の実現へ向けて菩薩(仏道を歩む者)は自利利他の修行実践をする。布施波羅蜜、持戒波羅蜜、忍辱波羅蜜、精進波羅蜜、禅定波羅蜜、智慧波羅蜜の6つが六波羅蜜である。六波羅蜜の完成が、生死ふたつながらの完成の時、すなわち般涅槃(はつねはん)、わが死のときにすべて成就されるので、われわれはこの般若心経の神呪を唱えて、到彼岸(彼岸に到着し終えたこと)・度彼岸(彼岸に渡り終えたこと)を祝うのであろう。

ギャーテーギャーテー ハーラーギャーテー ハラソーギャーテー ボデイソヴァファー

もちろん、生きている間にこれを祝って唱えてもいい。この世には各種イベントの先行予約というのもある。なんでも「一足お先に」は気分がいい。

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今日明日はお泊まり

2015年08月30日 09時01分44秒 | Weblog

我が友はいまは一人暮らし。奥さんがお孫さんのところに出掛けたから。お孫さんに引き留められて長期に及んでいるらしい。彼はまったく炊事洗濯掃除が苦手。で、日に三度の食事がままならない。悲鳴を上げている。冷蔵庫を塞いでしまうように奥さんの作り置きの料理があったのだが、これも食い尽くした。どうしようもない。で、SOSの信号がさぶろうへ送られてきた。さぶろうも炊事はできない。それで今日の昼、夜、朝、昼の4食を付き合うことにした。彼は車の運転もできない。車もない。おまけに山の中に住んでいる。一見、隠遁者ふうである。しかし、我が家で塾をしていて実はお金持ち。今日明日は塾もお休み。そこでさぶろうの出番だ。迎えに行って送って行く。仲良く近くの温泉場に泊まることにした。古風な彼は武士の質素倹約を心がけているから、もちろん至って安い安宿を、彼に予約してもらった。

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球根は極めて上質のデンプン

2015年08月30日 07時53分49秒 | Weblog

曼珠沙華のことをネットで検索して調べてみたらこんなことが書いてあった。

花の時に葉を見ず、葉の頃に花を見ないので「ハミズ」「ハナミズ」とも言う。なるほど、地上に茎を伸ばしてきたかと思ったら見る間に真っ赤な花を着けて来て、ここを華やかな大舞台にしてしまう。葉の頃はひっそりとしたものだ。誰も見る者もいない。また鮮血に染まったようにして咲くから「シビトバナ」の異名もつけられた。

曼珠沙華は山林原野にほとんど見られず、水田の畔に群生する。これは先人が飢饉の備えとしたかららしい。アルカイド系のかなり強い毒があるが、水に晒しておくと除去できる。球根は極めて上質のデンプンでできているので、飢饉時の非常食には最高の贈り物になったようだ。曼珠沙華はやはり天上界の贈答花だったのである。

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曼珠沙華が咲き出した

2015年08月30日 07時17分26秒 | Weblog

彼岸花、別名、曼珠沙華(まんじゅしゃげ マンジューシャカ)が畦道の処々に咲き出してきました。彼岸の頃に咲き出すからこの名がついています。お彼岸会までにはまだ日があります。ちょっと早いんじゃない、と思いました。

曼珠沙華はサンスクリット語ではマンジューシャカ。赤い花の意味がある。天上界に咲く四花の一つで、見る者のこころを柔和柔軟にしてくれる力を授かっていると言われている。しかし、これには毒があってこの汁に触れるとかぶれてしまいます。触れてはならない花のようです。中国原産の宿根草。野生種には赤いのだけではなく白いのもあるらしい。

お釈迦様が大乗の経典、妙法蓮華経を説き始められたときに、天は、大感動をあらわして、曼陀羅華(マンダラーケ)、摩訶曼陀羅華(マカマンダラーケ)、曼珠沙華、摩訶曼珠沙華の四華(しいか)を雨のように降らせてご供養申し上げた。以来この花々は仏教行事の散華(さんげ)の花である。

 

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工場の物音はしません

2015年08月30日 07時03分34秒 | Weblog

どなた様もおはようございます。8月30日、月曜が明けました。雨模様のようです。あかあかの日が地に射してきません。6時起床後、6時半から10分間ラジオ体操をしました。窓の下には赤い朝顔、青い朝顔が咲いています。数えてみると一株の繁茂に15個ほどの花弁が開いていました。是が毎朝続いています。

植物はどうやって青とか赤とかの染料を製造しているのでしょう。それをどうやって丹念に花弁に塗りつけるのでしょう。みな遺伝子が操作している、といっても物質界の化学反応、物理反応にはそれだけの力が必要になります。この力はどうやって現実確保しているのでしょう。工場があるはずですが、物音はしません。

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