<おでいげ>においでおいで

たのしくおしゃべり。そう、おしゃべりは楽しいよ。

光と同じかがやきで輝かされている者

2014年04月06日 11時11分45秒 | Weblog
おれは
まばゆいばかりの光を浴びている者である

おれは
光と同じかがやきでかがやかされている者である

おれは
爽やかな季節の風に包まれている者である

おれは
たましいを涼しくさせられている者である

おれは
全方位の全存在に抱き取られている者である

それで
おれは
どうなったのだ

どうもならない

新たに加えて
どうにかする必要など
残っていないのだ

このままで
完了をしているのだ

これが完了のすがたなのだ

おれは
まばゆいばかりの光を浴びている
おれは
爽やかな季節の風に包まれている
おれは
全方位の全存在に抱き取られている

おれは
たましいを涼しくさせられている
おれは
光と同じかがやきでかがやかされている
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今はすっかり安心をしろ

2014年04月06日 10時46分02秒 | Weblog
おれは
生きているうちに
大安心をしておきたいのだ

小安心ではなく
中安心ではなく
大安心をしておきたいのだ。

ほかのもので
代用をはからなくて
すむようにしておきたいのだ

雑多な物を
たくさん掻き集めてきて
それでその場をしばらく
誤魔化しするのでは
飽き足りないのだ

そろそろ
ほんものの
大安心を掴み取りたいのだ



おれは生まれた
おれは生きた
おれは一生を費やした

おれは見て聞いて考えた

その結果
それでもなお
おれは
不安に落ちたままでいる

これはどうしたことだ

これが
生きたということだったのか
これが
一生を費やしたということだったのか

***

春の雲が
安心をしろ

言う


春の山が
不安を抱えたままの僕に向かって
その愚を正せ
と言う
どっかりと座り込んで

春の川が
いつまでたっても
おだやかならない僕を
今日こそは
おだやかにさせようとして
さらさらさらさら
おだやかに流れている



おれは
生まれて生まれて
生きて生きて
春夏秋冬を暮らして暮らした

おれは
長い年月を喰らい尽くした
腹一杯喰らい尽くした

それでもなお
おれは
安心が獲得できない



おれは
畢竟するところ
安心を食べて来なかったのだ

おれは
押し寄せる不安だけを
喰らって喰らって
それで太った気になっていたのだ

それで
いつも
腹ぺこなのだ



春の山が
それでもいい
それでも安心をしろ

言う

春の山が
それもそれでいい
安心をしろ

言う

春の川が
それはそれでよかったのだから
いまはすっかり安心をしろ

言う
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安心の桜色に

2014年04月06日 10時28分27秒 | Weblog
これから書くのは僕のことだ。



おれは
あれを暗がり
これを暗がり
焦燥を覚えてしかたがない
あれを恐がり
これを恐がり
不安を覚えてしかたがない

そうだがしかし
おれは
それは
おれのこころの迷いである
ということを
直感している

それは図星に違いないのだ

その迷いを払い落としたら
そこにはいつも
あたたかな春の日差しの
真っ只中のはずなのだ

ここが今現に
春の日差しの降り注ぐところなのに
おれは
これを浴びずに
暗がり恐がり
迷いに迷っている



菜の花を見ろ
菜の花は
迷いを咲かせているのではない
安心を咲かせているのだ

スミレを見ろ
スミレは
暗鬱を咲かせているのではない
安らぎを開花させているのだ

***

サクラが
蕾を開いたらすぐさま
安心の桜の色に
染まっているように

この世に生きているうちに
わたしも
安心に染まっておこうと思う

ずいぶんと時間がかかってしまったが
一枝分だけでも
安心の花の色に
染まっておこうと思う

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安心をしていい

2014年04月06日 09時33分34秒 | Weblog
 「春の風景」

安心をしろ
安心をしろ
春の雲はそう言う

安心をしろ
安心をしろ
春の山はそう言う

安心をしろ
安心をしろ
春の川はそう言う


どこをどう見回しても
聞こえて来るのは
こればかりだ

この安心の声の座に
やすやすと
座した者が現れた

そこで
春は
静かに暮れていった

***

仏道のゴール地点の
教室の黒板にはチョークで
「寂滅為楽(じゃくめついらく)なさい」
「涅槃寂静(ねはんじゃくじょう)なさい」
と書かれてある
安心をしなさい、と。
安心をしていいから安心をしなさい、と。

ゴール地点まで行かなくとも
いまここで
「安心をしろ」と言う春の雲に従って
安心をしていいのだ。

「安心をしろ」という春の山に
どっかりと座り込んで
安心をしていていいのだ。

「安心をしろ」という春の川の声を聞いて、
深く深くうなづいて、
安心をしていいのだ。

春があんなにうららかにしているのは、
春こそがそのお手本を示して、
安心をしているからにほかならないのだ。

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