仏教を楽しむ

仏教ライフを考える西原祐治のブログです

伽藍仏教から○○仏教へ

2009年11月14日 | 都市開教
「コンクリートから人へ」。民主党のキャッチフレーズだが、確かに仏教界も伽藍仏教から○○仏教への胎動が見える。派遣僧侶に見られる寺院をもたない僧侶の活動、都市開教寺院の設立、僧侶以外の仏教のメッセージの発信などなど、いま仏教がおもしろいという微動が見える。

田村圓澄さんが「仏教伝来と古代日本」(1986/03/10)のなかで、「私宅仏教」と「伽藍仏教」という言葉を使われているが、伽藍仏教という言葉がどの程度、初会的認知を受けているか分からない。

でも日本仏教をつらぬく大きな柱が伽藍仏教だと思う。過去、鎌倉期に浄土教の聖たちによって伽藍仏教でない仏教が活躍した。また室町時代に蓮如上人が統率する一向宗仏教が、道場を主として民衆を凌駕した。

以前にも書いたと思うが知人の都市開教寺院のH氏が、「伽藍は30年もてばいい。時代の機能も違ってくるし、30年たって新しい世代(人々)が、その時代に合った伽藍を作るべく盛りあがる」(意趣)と語ってくれた言葉が印象にある。

当寺もそうだが都市開教寺院は、一般的な家屋に近い伽藍で活動している。それが帰属意識の高まりとともに大きな伽藍に安住しようとする傾向がある。といって伽藍を否定するものでなない。伽藍仏教から○○仏教への○○を明らかにしたいと思う。

当寺のキャッチフレーズは「浄土真宗は安心をトレンドする宗教です」です。もっと五感に訴えるキャッチフレーズと具体性をもつべきだとうという反省がある。

「コンクリートから人へ」、仏教の世界もそうありたい。
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